07. 学校にて

 遅刻寸前の電車内と通学路は、普段よりも人が多い。殺気立った集団に混じって、私は久々に全力で疾走する。

 結果から言えば、始業の二分前に教室へ滑り込むことに成功し、息も絶え絶えに授業内容を聞き流した。


 一限の政経が終わる頃には、さすがに呼吸も落ち着いたが、頭はまだ混乱気味だ。

 休み時間に勝巳が寄ってきて、英作文の宿題を見せてくれと頼む。自分の解答に、全く自信が無いんだとか。


「間違えてたっていいじゃん」

「前で書く番なんだよ。あんまり酷いと、またブチブチ言われちまう」


 答えを丸写しするような性格ではないので、彼に見せるのは構わない。数学では助けてもらっていたので、お互い様だろう。

 プリントを彼へ向けて広げると、勝巳は自分の解答と見比べ始めた。

 ちょっと距離が近いと文句を言いそうになったのは、私が意識しすぎなのかも。


「なるほどな、仮定法を使うのか」

「“もしそうなったら”ってしてしまえば――」

「あのさ」

「ん? 納得できない?」

「いや、今朝は何かあったのか?」


 体育でもトロい私が、今朝は息せき切って教室に飛び込んできたのを、事故にでも遭ったのかと思ったらしい。

 適当に誤魔化そうかとも考えたが、思い切って話してみることにした。


「口は堅かったよね?」

「うん、まあ」


 バッグの中を引っ掻き回してスマホを取り出すと、勝巳は校則違反だと軽く注意する。

 よっぽどの緊急事態でもない限り、校内での操作は禁止されていた。でも、今はその緊急事態だ。

 データフォルダから、今朝撮ったばかりの画像を探す。


「ちょっとこれを見……あれ?」

「カメ?」


 ウミガメは写っていても、カワウソはいない。在るのは不自然な凹みだけ。

 薄々そうじゃないかなとは予想していたので、驚きはしないけども。


「これ、私の部屋なんだけどさ」

「へえ。カメだけじゃ、感想は言いにくいな」

「ここにカワウソがいたのよ」

「甲羅があるからカメだろ」

「クッションの上で寝てたけど、カメラで撮れないんだって」


 ふーん、と半端な返事をして、彼はプリントに向き直る。

 分かってる、毎度かつがれてる勝巳にすれば、カワウソくらいじゃ動じなくて当たり前。

 信じないというより、素っ頓狂な話を聞くのは日常茶飯事なのだ。


「そのカワウソ、喋るんだよ」


 衝撃の事実が、彼の顔を上げさせる。

 どうだ、これは驚くよね?


「ないな。可愛いけど」

「ペットならね。ペラペラ喋りまくるだけならともかく、その内容がさ――」

「アヤにしては可愛い嘘だと思うよ。でもまあ、そんなカワウソはいねえ」

「いやいや、本当なんだって!」


 先生が来るまで懸命に説明すれど、彼の態度に変化は無く、「カワウソは喋らない」と繰り返された。

 なぜそこだけ常識的なのか。そりゃ私だって、実際に体験しなければ信じなかったけどさ。


 仮に勝巳を巻き込めたところで、事態の解決に役立ちはしまい。そう自分を納得させ、残りの授業を淡々とこなした。


 進学する者が大半のクラスなので、この時期の授業内容は復習ばかりである。

 英語は比較的真剣に、数学はこれでもかと不真面目に取り組みながら、手の空いた時間はミャアについて考えた。


 四限が終わろうかという時点で、カワウソが教室に乱入してくるような騒ぎは起きていない。

 写真に撮れなかったことからすると、他人には見えないことも十二分に有り得る。

 耳元で喋りまくられることも無いし、学校生活は平穏に過ごせるということか。


 時折、目の端にオレンジの影が映り、ヒヤッとした瞬間はあった。

 慌てて視線を向けると、机に光が反射しているだけだったり、オレンジ色のバレッタだったり。

 四度も見えたのは不審だが、まあ、気のせいなのだろう。

 ……気のせいだって、たぶん。


 昼休み、前や横の席に女子三人が弁当を持って集まる。

 私も含めて四人での昼食は、端から見れば仲の良い光景だ。でも実際は隣の遠藤さんが主体のグループに、居候しているに過ぎない。


 独りで食べたって構わないけれど、ボッチを気取るほど人嫌いではなかった。

 ただ、この遠藤さん、ちょっとお節介焼きなんだよね。


「綾月さん、また購買の菓子パン?」

「朝は忙しかったから」

「栄養が偏るよ。私のフルーツ分けてあげよっか」

「いいって。あんまり食欲無いし」

「遠慮なんてよしなよ。リンゴ、ウサギ型に切ってきたんだ」


 タッパを開けた彼女は、得意げにウサギリンゴを見せてくる。

 耳だけじゃなく、ゴマで小さな目、海苔でヒゲまでついていた。味より見た目が最優先とは恐ろしい。


「私はほら、四月生まれでしょ」

「あー、そうだったね。一日だから、ギリで同学年だったっていう」

「だから、ウサギは食べられないんだ。四月は卯月って言うじゃん。あれはね――」


 冬陽ふゆびの弱い光が、教室へ差し込んで揺らめく。

 皆の足元を縫って、オレンジ色が瞬いた。


「どうしたの?」

「なっ、何でもない」


 いいや、大有りだ。

 遠藤さんの席より、さらに廊下側へ二列離れた女子グループ。その彼女たちがくっつけ合った机の下に、こちらを眺める顔があった。

 首を縦に振っているのは、何かの合図か? カワウソ式のコミュニケーションか?

 知らないから。私にカワウソの知り合いなんていないから。


 遠くて見づらいものの、こんな場所にいるカワウソはミャアくらいのものであろう。

 未だかつて、学校でカワウソなんて見たことないもん。いてたまるかっての。


 机の陰から出たミャアは、私に背を向けたかと思うと、今度はピョンピョンと跳ね始めた。

 なんの儀式かと、しわ跡が残る勢いで眉根が寄る。

 机に手をかけてジャンプし、最高点に到達すると同時に大きく左右に頭を回す。


 しばらく観察した結果、なんとなくカワウソの意図が推察された。

 このオレンジ妖怪、どうもみんなが何を食べているのかを覗いているようだ。


 女子グループから移動し、男子の二人組に近づいて、また垂直跳び。

 キウイを食べる安原さんの横では棒立ちして、口に運ばれるフォークに合わせて首を動かしていた。

 口を大きく開けて、だ。光っているのは、よだれじゃないよね。違うって言って。


 なんていやしいカワウソなんだ。

 さすが妖怪と褒めるべきなのか。妖怪クレクレキウイ、弁当の時間に出現して、いつの間にか盗み食い――。

 ああっ、ほんとにつまみ食いしたよ、今!

 なによ、嘘はダメで、安原さんのキウイを食べるのはいいわけっ!

 食事は要らないとか言ってたくせに。


「――月さん、綾月さんってば!」

「え、あっ」


 急に黙った私はかなり不審だったみたいで、頭痛がしたという苦しい言い訳にも妙な視線を返される。

 大丈夫、大丈夫とそれだけ繰り返し、以降は会話に参加せずに黙々とパンを食べた。

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