第16話 山津見(やまつみ)の大神

 思いもよらぬ、大神おおかみの言葉に山津見やまつみの心は揺れた。


「ならば、大神おおかみは人の姿に戻られまするか。」


 山津見は、つい好奇心に動かされて口走ってしまった。ところが、大神は、真面目まじめであった。


「戻りたい気持ちはあれど、われが主となるべく人の姿がない。どうじゃ、ここは見ての通り海の底。汝らの命は、すでになきに等しい。命を惜しんでここに参ったわけではなかろう。このまま、あめつちの宮に戻れるとも思ってはおるまい。汝らのだれかひとつ、このわしに身体を委ねる勇者はいないか。」


 山津見やまつみはつまらぬことを言ったものだと後悔したが、他の四人は、まともに顔を突き合わせた。


「いやいや、大したことではない。そのような面をしては、雲野之比古次神くもののひこじのかみに申し訳ない。もうよい。忘れてくれ。」


 山津見やまつみは、自分が言ったことを、取り下げるわけにもいかなかったし、曽良そらは、既にその気になっていた。山津見やまつみ曽良そらに遠慮し、曽良そら山津見やまつみの気持ちをおもんばかっていた。


大神おおかみに申し上げます。しばし、われらに時を頂きますように。さすれば意に沿う形で、御返事申し上げることが出来ましょう」


 と言うなり、五人は輪になって話を始めた。曽良そらはこの務めは、自分にしか出来ないと思っていたので、すぐに皆にその意思を伝えた。


従兄あにさまには、杭打くいうちの仕事がまだまだ山の様に控えておりましょう。この務めは、われに譲っていただきましようか。曾真利そまり麻繰まくり山津見やまつみ従兄あにさまに学ばなければならぬことが沢山ある。沙鳥さとりは、まだ年も若いのでこの務めは無理だ。従兄あにさま、宜しいですよね。」


 自信たっぷりに言ったつもりであったが、曾真利そまりが言い返した。


曽良そらいは、櫛彦くしひこきみに、航海の師として仕えなければならない身だ。われは、前に鳴戸なるとかみ久治良くじらに救われた。今度は恩返しをしなければならない。われこそは、相応しいと思わないか。」


さらに沙鳥さとりも言った。


山津見やまつみ曽良そら曾真利そまりも、みな、比古次神ひこじのかみ大切な仕事を任されている、淡路あわじみやの働きかしらばかりではないか。誰が欠けても、すぐに明日から、皆々が困ることは間違いない。それよりも、若いわれらに、そろそろ重要な仕事を任せる時期ではないでしょうか。われなら、喜んでこの務めをお果たし申す。」


 意外な皆の積極的な申し出に、山津見やまつみほうが緩み喜んだ。


「ありがたいことじゃ。こうして皆が、自分のことを差し置いて、務めに励んでくれる。もはや、われらにて誰が相応しいかを考えてみても意味はあるまい。みなの心は、ただひとつ。瀬戸の主神ぬしかみの意に従おうではないか。それでよいな。」


 山津見やまつみの提案に、皆はうなづいた。


「瀬戸の大神さまに申し上げます。ただ今、われら五人で評議ひょうぎいたしましたところ、五人が五人とも、「われこそは、大神の姿に相応しい」といって収拾しゅうしゅうが付きかねております。かくなる上は、大神様のご意思に従うほかはないと心に決めております。どうか、われらの中から、御選び頂きますようにお願い申し上げます。」


 大神は、五人、一人ひとりを見廻して、礼を言った。「見廻した」といっても姿なき姿なれば、まさにそのような姿を皆は見守っていた。


「さすがに、あめつちの宮の方々。ありがたき申し出になんとお礼を申し上げればよいのか。五人の皆方には、まこと心よりの気持ちを捧げましょう。なれば、今から、瀬戸のわが一族が集まることになっている。その一族の前で、われの思いを伝えましょう。」


 そういうと、海の底の磐座いわくらの周りに、次々と海人が現れ出た。まずは、サメの姿をした海人が多くの一族を従えて挨拶をした。


「われらは、サメの一族。瀬戸の海を守る兵士の一族なり。」

「われらは、鯛の一族。海の深きところの番人なり。」

「われらは、エビの一族。海の底を掃除いたしております。」

次々に磐座の前に集まって来た海人たちは、たちどころに所狭しと、一杯になった。


「ここにお集まりの、海に生きるものの皆に申し上げる。われ、人の姿をなくして幾久しい。クジラの身なれば、かつては、年に一度、瀬戸を離れ、紀伊の水道を渡りて大洋に泳ぎ、北洋の海にて、極星きわぼちを祝うこともあった。」


 海人が総出で一堂に会することは、久々の事である。大神が、皆々の前で、何を言おうとするのか、興味津々きょうみしんしんである。集まった海人達も、いまだ、大神の姿を見たことはない。


「今は、瀬戸の海を預かる海神かいしんなれば、瀬戸を離れ難きこと多し。陸に揚がって人の姿となることもまた必要である。しかるに、われ争いを避け、クジラの身であることをたてとなして、陸に上がるを拒んでまいった。」

 

 会場が、ザワザワとなった。


大神おおかみさあが、おかにあがると言われておるぞ。」

おかにあがられれば、わしらはどうなるぞ。」

「わしらは、海のもんじゃ、おかのことなぞ、どうでもいいじゃろ。」


 皆々は、大神が海を離れるのではないかと、大きな不安を隠せない様子である。


「だがな、西の海を見よ。このままでは、争いは止むることなく、多くの命を失っても、未だ収まる気配もない。海にこだわりを持ち続けたがために、むしろ、海神の務めを疎かにしてしまったのではないかと、今では、恥ずかしく思っている。」


 集まった海人達は、大神の悔恨かいこんの思いを、まともに受け取ったのであろう。たちまちに、ざわめきは治まり、静かになった。


淡路あわじ狭別島さわけのしまに「あめつちの宮」を立てられた雲野之比古次神くもののひこじのかみは、あめのことわり、つちのことわりを守り通され、まさに淡路あわじうみは安らかに落ち着きを取りもどした。」


 海人かいじん達は、西の海のことには、触れたくなかったようだが、大神は、その雰囲気を吹き飛ばしてしまった。


「ここに、われは、雲野之比古次神くもののひこじのかみと共に、瀬戸の海から争いをなくし、緑と安寧の海を取り戻そうと思う。」


 大神の心は決まっているようであるが、誰も、口を開かない。


「いま、われの元に、高天原から五人の若者がまいっておる。西の海に光が射したと言うだけで、この若者たちは、目を輝かせて希望を見出してくれた。あの、闇の海として、われが封印した西の海に希望を示してくれた。」


 水底の海に、潮が流れた。小魚の群れが、踊るように周りを取り巻いた。


「どうだ、皆々よ、もう一度、考え直してみようではないか。」

さらに、色とりどりの魚たちが、群れを成した、やってきた。


「われは、今、この若者たちの希望を無駄にはしてはならないと思うた。雲野之比古次神くもののひこじのかみに見習い、勇気と行動を持ちて西の海を治めようと思う。」


すると、皆々の口から、

「もはや、大神さあは、心に決めてござる。」

「西の海を開きなさるか。」

「闇の海に光を。」

ざわめきの声ではなく、一人ひとりが、心を決めているかのようである。


「皆には、もう一度われに力を貸していただけるであろうか。」


 大神の切々とした決意を海人たちは、黙々と聞いていたが、最後に、大神と共に立ち向かう心意気の声をあげた。


「おおぉぉっ。」

「おおぉぉっ。」


「今日、ここにお出での五人の方々は、淡路のあめつちの宮からお越しいただいた勇気ある若者衆である。日夜、瀬戸の海を巡りてお勤めある重鎮なれば、皆々も一度は見かけたこともあろう。」


 五人衆は、まさか、このような場にて、恭しく紹介されようとは思わなかった。一番年下の沙鳥さとりは、何も分からないままに、顔がほてっている。


「われが姿なきことを知り、五人の若者からは、われの身体からだとなって身を捧げようとの申し出を頂いた。われ、ありがたきこととして、このことをお受けしようと思う。」


 大神の側近である門戸の神、久治良くじらが前に出た。


「大神さあの心は決まった。さて、ここに集まったものの中に、大神さあの姿を見たものはいるか。」


と、声を掛けたが、誰一人として、応える者はいなかった。

「そうだよなあ、われも、一度も見たことがない。大神さあは、神聖の海神かいしんさあよな。今までに、そのことで問題はなかったはずであるが。」


 そのことが大神様の耳に届いたのであろう。


「ここにお集まりの衆で、われの人の姿を見たものはいないであろう。いつのことであろか、千年か二千年か、もっと前になるかもしれない。われにも人の姿をした時期があった。姿なき大神として瀬戸を預かって参った。だが、今よりは、皆々と同じ姿かたちを成して、ともに、西の海を治めようと思う。」


久治良くじらは、にんまりと口を結んだ。

「やはり、思った通りだ。大神おおかみは、よろずの年を生きる白鯨しろくじらの神であったな。」


姿なき、白鯨(しろくじら)の声は、続いた。

「五人の若者からの申し出があったが、われは、ここにいる津島之山津見命しまのやまつみまみことを、わが身とすることに決めようと思う。山津見命やまつみのみことには、瀬戸の島々にくいを打ち、船の航行が頻繁に行えるように水戸みなとを築く大きな仕事がある。われは、瀬戸の大神である。山津見やまつみと共にその仕事を成し遂げようと思う。」


「このことを雲野之比古次神くもののひこじのかみに伝えるため、われは明日、淡路のわたつみの宮に出立する。」


 まさに、淡路島の衆は、これまで何度も、何度も、事あるごとに大神の返事を待つばかりであった。実は、大神にも事情があったのである。それが、瀬戸の大神、直々に淡路島の訪問となり、山津見やまつみ曾良そらも大いに驚いた。


「われ、今日のこの日をどれだけ待ち望んでいたことであろうか。これによりて、瀬戸せと大神おおかみ雲野之比古次大神くもののひこじのおおかみは、共に同じあめつちの道を歩むことになろう。」


 水底の潮が巻き上げて、いか、蛸、かに、鯛、ふぐなどの集団が、磐座いわくらを取り巻いて踊った。ウミガメが、鮫を連れて、その周りを旋回すると、そこには、巨大な白鯨しろくじらの姿があった。その白鯨はくげいかみ|《ルビを入力…》が、山津見やまつみに言った。

 

山津見命やまつみのみことには、この後に及んで、よもや心変わりのことはあるまいな。曽良そら曾真利そまり麻繰まくり沙鳥さとりにも、瀬戸の海の安らかなるために、その力をわれにお貸しいただきたい。」


「もったいないお言葉に御座います。われ、ふた心なきことをお約束致します。」


 ほかの四人の若者も、口を揃えて応えた。

「われら、大神おおかみこころざしを受け賜わり、瀬戸の海の安らかなるを願って、力となることを誓います。」


「ありがたきかな。まずは、雲野之比古次大神くもののひこじのおおかみへご挨拶を申し上げ、このことを受け入れて頂かねばならない。われらが、雲野之大神もののおおかみの許しを請わねばならない。高天原の若き五人衆よ、わたつみの宮に案内をお願いする。」

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