第5話

 夏休み一日目。

 午前五時。

 今時の男子高校生にしては健全すぎる生活を今まで送ってきた真は昨日早く眠りに就いたことによりいつもよりも三十分早く目が覚めていた。

「んー、久々にランニングでもするか。」

 運動着に着替え、一階に降りると母親である香織が既に起床し朝食の仕度をしていた。

「あら、おはようマー君。 もう起きたの?」

「ああ、昨日は色々あって疲れたから早めに寝たんだ。」

「色々?」

「ま、まぁこっちの話、あと母さん、何度も言ってるけどもう高校生なんだからいい加減、マー君って呼ぶのやめてくれよ。」

「わかってるわよマー君。 今度から気をつける。」

「……全っ然わかってないよね⁉︎」

「そんなことより朝からそんな服装なんてどうしたの?」 

「少しその辺を走ってこようと思って。」

「そういえば今日から夏休みよね? もしかして夏休みの目標とか?」

「まぁそんなとこ。」

「あら、そうなの。」

「じゃ、行ってくる。 三十分後には帰ってくるから。」

「わかったわ。 ご飯作って待ってるわね。」

「ん、じゃ行ってくる。」

「気をつけて行ってらっしゃい。」


 玄関を飛び出し、後ろを振り返ると香織が両手を広げて見送っている。

「知り合いに見られでもしたらたまんないな。 まったく。」

 後で母親への注意事項を一つ加える事を決意し、走り出した。


 真の住む鷹揚市は面積の半分が田んぼで残りは住宅街と小さな商店街が数箇所にあるだけの小さな街だ。

 三年前に一度、市の都市計画に伴い大型ショッピングセンターを建てる案が上がったらしいが、地域住民の激しい抗議により白紙に戻されたらしい。

 真にとってもそれは嬉しい事だった。

 例え大型ショッピングセンターの導入により買い物などの利便性が上がったとしても、それにより今の街の景観が他所から移住してくる人々によって汚染されてしまう、と真も含めこの街の住民の大多数が考えたのだ。

 結果、その判断は正しかった。

 二年前に鷹揚市とよく似た地域形成の近隣市が大型ショッピングセンターの導入の案を出したところ、住民の反対はあったものの、鷹揚市ほど反発が強くなかった為、自治体が導入を許可してしまったのだ。

 大型ショッピングセンターがきて半年間は地方からの来客も多く順調に見えたのも束の間、そこからめっきり集客力が落ち、住民も土地を離れてしまった状態である。

 結果、その市は近隣都市に合併され今や見る影もない状態になってしまっている。


 真が家から一番近くの商店街を通るとまだ五時だというのにシャッターを開けている店がいくつもある。

 すると、至るところから声を掛けられる。

「お、真じゃねぇか! 珍しいなお前がこんな朝早くにここに来るのは!」

 朝から芯のある声を出すのは魚屋の親父しかいない。

「少し早起きしちゃいまして、ランニングでもしようかと。」

「ランニングとはねぇ。 朝から精がでるわね真ちゃん。」

 会話に混ざってきたのは魚屋と対面する店構えの婦人服屋を営んでいるおばさんだ。

「そういえば、今年から高校生なのよね?」

「そうですね。」

「早いわねー。 昔はあんなに小さかったのに。」

 笑いながらそう言って向かいの魚屋の魚墨を指差す。その魚墨は親父が釣ったという七十センチ程のクエだった。

「いや、それは違います。」

 真は直感的に嫌な予感がした。

「そうかしら? まぁそうね。 あれくらいだったかしらね。」

 今度は六十センチ程のタイの魚墨を指差す。

「そう言うことじゃなくて!」

「おい。」

(あ、あーもう、また面倒くさいことに……。)

「なんだい? お魚屋さん。」

「黙って聞いてりゃ、言いたい放題言いやがって。」

「なんのことだい? あたしはただ真ちゃんと話してただけだよ。 アンタの事なんか話してないさね。」

「俺にとっては俺の釣った魚を侮辱されるのは自分が侮辱される事に等しいんだよ! なぁ真? お前もそう思うよな?」

「た、確かにそうかもしれないですね。」

「マー君、この親父に言わされてるんじゃないよ。 この親父は大した腕もないくせに威張ってる口だけの男なんだから。 言いたいことは正直に言いなさいね。」

「いや、別にそんなことは思ってないですよ。 ただ魚屋さんにはいつも新鮮な魚を頂いてますし、おばさんには僕と妹の制服を仕立てくれたり、母がいつもお世話になっているので感謝はしています。 本当に。」

「……マー君。 なんていい子に育ったのかしら!」

「……真。 お前も立派になったんだな。」

 

 その後、二人は真に騒ぎに巻き込んだ礼として魚屋の親父からはアジを3匹、婦人服のおばさんからはどこから持ってきたのか高そうな香水を貰った。

 

 ランニングから帰宅するとすでに朝食を作り終え食べ始めている香織と朱音がいた。

「おかえり。 マー君。」

「ただいま。」

「あれ、お兄ちゃんどっか行ってたの?」

「少しランニングにな。」

「ふーん。 それで何その袋。」

「あーこれ、商店街の魚屋と婦人服のおばさんに貰った。」

「どうしてくれたの?」

「んー、少し手伝いをしたんだよ。 で、そのお礼だってさ。 はい母さん。」

 そう言って袋ごと香織に渡す。

「まぁ、アジがあるじゃない! 急いで冷蔵庫にしまわなきゃ! 香水もあるじゃない! マー君ちゃんとお礼言った?」

「言ったよ。あと俺がお礼のもらったんなんだから。」

「ねぇ、お兄ちゃん。 この香水私がもらってもいい?」

「いいよ。 別に。」

「やった! ありがと! お兄ちゃん!」


 こうして真の夏が始まった。

 

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