第6話 のろいというなのほんのう
更に時が過ぎた。
いつしか季節は秋になった。
高山に位置するルチアのねぐらには早くも冬が訪れていた。
ほぼ毎日吹雪になり、人が外に出るには危険を伴う様になった。
二人はほとんど毎日家に籠りっきりになったので、ここのところは会話する時間が増えていた。通常の人間であれば持て余すほど長い時間であったが、知識量が非常に多い彼らの会話はとても弾んで楽しい時間を過ごせていた。
それこそ世界の真理から明日の天気、失われた国の宮廷料理、珍しい動物の生態と、非常に多くの内容に富んでいた。
そもそもルチアは永きに渡って生きる竜。
動く図書館とでもいうべき知識の宝庫といえる。人間社会の中では太古に失われた内容でさえ彼女の中に秘められていた。
知識を尊ぶメルウェートはいつしか彼女に尊敬の念を抱くようになった。ルチアも自分の事を気遣ってくれる彼の事がかけがえのない存在となりつつあった。
◇
「うーさむーい」
扉を開けて外から帰ってきたルチアの頭や肩にびっしりと雪が積もっている。
メルウェートが外に出れば数分で命を失う程の猛吹雪。
岩肌にはめ込まれた分厚いガラス窓の外には雪が凍りつき、日が落ちるまで猶予があるというのに部屋の中は既に暗い。
「大丈夫ですか」
メルウェートは彼女の分厚い外套を脱がせると、頭や肩に積もった雪を払った。ふるふると震える彼女の手を取って暖炉の前に座らせる。
流れるような手つきで沸かしてあった暖かい茶を湯呑に入れて床に座る彼女に渡す。
「はぁぁ……あったかーい……しあわせー」
溶けたような表情で幸せをかみしめる彼女を目の端に捉えながら、茶菓子を用意する彼。長い荒れた季節の中で、二人は部屋の中に居たので、更に一緒に行動する事が多くなった。より気心が知れたため、お互いにどうしたら快適に過ごせるかわかるようになっていた。
メルウェートはお茶が好きで、ルチアは甘いものに目が無かった。
彼に渡されたそれを薄く目を閉じながらもぐもぐと食む彼女。どこか小動物を思わせるその様子に彼は笑った。
「めううぇーともふまったら?」
口に物を含んだまま喋る彼女の不明瞭な言葉。
彼女に言われるがまま、彼女の隣に座るメルウェート。冷え切ったルチアの肩口を包む様に毛布を掛けて並んだ。
ルチアは菓子をすっかり飲み下すと、暖炉の火に手をかざして冷え切った体を温める。
「ふふ。外はあんなに寒いのに、家は幸せだね」
「安全な場所は落ち着きますね。それにしても洞窟をくりぬいて作った家はとても過ごしやすいので驚いています」
ルチアのねぐらは人間用に加工が施され、メルウェートにすら住み心地の良い住居であった。
「すごいでしょ。これも大昔の技術を使っているんだよー。えへ」
ルチアは少し自慢げに呟く。
聞くところによると彼女が知る知識を応用して、彼女の指示で奴隷商人がよこした職人の手によって作られたと言う。
メルウェートは建築については素人だったが、それでもその精巧な造りと工夫に舌を巻いた。何より外は全ての物が凍りつくほどの環境にも関わらず、家の中は気温が安定していて快適そのものだった。
現に、家の中に入ったルチアは外套を脱いだが、その下は素肌の露出が多い夏服と変わらない格好だ。メルウェートも袖なしの服を身に付けていた。
ふと、メルウェートに体重がかかる。ルチアが身体を預けたのだ。
「でも、こうやって二人で居る方がもっと暖かく感じるよ」
「……」
薄く微笑むメルウェート。返事をする代わりに、彼女のしたいままにさせておいた。
しばらくしてから彼女を喜ばせようと、口を開く。
「地下の貯蔵庫に食べ物の蓄えは十分有りますし、夜食用にビスケットでも作りましょうか」
「賛成だよぅ。メルウェートの、美味しいんだよね」
「いやいや、ルチアさんの作るパンもなかなか素晴らしい物ですよ」
錬金術師が精密な分量を量り作るビスケットに、赤竜が小麦粉をこねこねして作るパン。二人はお互いの腕を褒めたたえたが、やっている事は料理である。
「んと、でも……今は、もう少しだけこのままでいさせて欲しい、かも」
「ええ。承知致しました」
ルチアはメルウェートの肩に頭を預けるようにしてうっとりと暖炉の火を眺める。
彼女は赤い双眸に燃える炎を映しながら呟く。
「どうして、こんなに幸せなのかな。どうして一人だとさびしいのかな」
メルウェートからは彼女の表情が死角になって見えなかった。彼女が何を思っての言葉なのか測り損ねたが、もはや彼女の機嫌を取るための計算は必要なかった。
「難しい問いです。考えた事も有りませんでした」
「触れ合うと、とても幸せ。メルウェートはとても暖かい」
「それは物理的な意味でしょうか」
相変わらず物事をはっきりさせたがる彼の物言いに、ルチアはくすくすと笑う。ひとしきり笑うと静かに呟いた。
「どっちも。だよ」
「……」
静謐な時間が流れる。時折、暖炉から薪が爆ぜる音が聞こえた。
「……それはある意味呪いのようなものかもしれませんね」
「のろい?」
ルチアは体勢を変えた。膝を抱えてそこへ頬を乗せてメルウェートの方を見つめる。彼は薪を足すと再び彼女の横に並ぶ。
「誰かを思う気持ちは呪いから生ずると言う事です」
「メルウェートの言う事はときどき難しいね?」
「そうでしょうか。貴女が感じている寂しさも、人間に対する愛情の裏返しのように思えるのですよ」
「裏返し……」
ルチアは再び吹き上がる炎を見つめて考え込んだ。
彼の言う通り人間の事が好きでたまらなかった。確かに愛情を感じていた。けれど好きな物ができた時に、それを壊されようとしてとても悲しい思いをした。
例えば人間の街を追い払われた時もそうだった。愛情を向けた相手から裏切られるのがとても怖くなった。
これが気にしないものであれば傷つく事は無かっただろう。牛や蛙に嫌われても、何とも思わないように。
「うーん。そうかも」
「全ての物事に関係しないものなんてありません。谷が無ければ山も無い様に」
ルチアは彼の言葉を聞いて困惑した。
それを見ていたメルウェートは言葉を続ける。
「だからこその話です。貴女の深い愛情が有ったからこそ貴女は幸せな気持ちになったのでしょう。それはやがて味わう不幸よりも、ずっと甘く、心地よい物だと思います。なにしろ貴女の気持ちは真っすぐでとても強いものですから」
「そう思う?」
ええ。とメルウェートは相槌を打った。
「貴女の近くに居た私がそう感じるのだから間違いありません。あなたほど愛情に溢れた竜は人間の中を探してもなかなか居ませんよ」
「そっか」
そっか、と噛みしめるように繰り返す彼女。しばらくすると嬉しそうに目を細めながら思いに更ける。
「ありがと。メルウェート。わたしあなたにたくさんの事を教えてもらっているね」
「気にしないで下さい。私は……いやすみません、多少説教くさいのは自覚しています」
ルチアは肩をすくめた彼の姿を見て思わず吹きだした。
「それでも私は貴女と話すのが楽しいのですよ。ルチアさんの力になりたいと、心底そう思います」
「……どうして?」
答えを誘う様にして、悪戯っぽくルチアは笑った。
「さぁ、どうしてでしょう。私も自分の気持ちに整理がついておらずうまく言えませんが……」
メルウェートは相変わらずいつも通りの口調で続けた。顎に手をやって少し考え込むと口を開いた。
「それは、きっと貴女が魅力的だからでしょう」
彼の言葉に墓穴を掘った形のルチア。
彼女は顔を真っ赤にして褒められたことに焦りだす。立つ瀬無く、顔を隠す様にして自らの膝に顔を埋めた。
「も、もぅ、何を言っているの?」
彼女の言葉を聞かないまま、彼は続けた。
「貴女は感受性豊かです。そして貴女は優しい。だから人間に愛情を感じて、人間と自らを重ね合わせているのでしょう。それは自分と対象の感性を合わせると言う事です。それも深い物になっていけば対象と同じ思考に至るものです。とりわけ、人間であれば誰かのそばに居る事が幸せだと思うものですが――」
「……うん。人間は集まって暮らしてるもんね」
メルウェートは慌てて言葉を継ぐ。
「――ああ、勘違いしないで下さい。ルチアさんは誰かのそばに居ても幸せになれないと言って居る訳ではありません」
知ってるよ。とルチアは笑った。
今、幸せだものと心の中で呟く。
メルウェートはそんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、淡々と続けた。
「つまり、人間に対するその愛情の深さのあまり、ルチアさんにも誰かのそばに居る事で幸せを感じることができるようになったのではないかと思うのです」
彼の方便は回りくどい言い方だけれど、その言葉のすべてが自分に向けられた愛情のような物である事を知って、ルチアは心地よさそうに訊き続けた。
「これはもはや本能に近い物と思われます。そしてそれは決して逃れられる事の無い呪いのような物です。決して無視はできないし、気が付けばいつの間にか我々の気持ちを支配している。あるいはそれに浮かされて追い求めるがあまり破滅してしまう者もいます……けれど本能を否定しては、きっと不幸になるでしょう……だから、ルチアさんの感じているそれは呪いのような物と思うのです」
「うんと……人に同調したからこそ誰かのそばに居たいという愛情を感じて、いつのまにか本能として身につけたという事ね」
「まあ普通は本能が先なので逆説的ですが、ルチアさんの場合はそういう風にしか説明できません。何しろ今思いついたもので」
ルチアはメルウェートの言葉を受けて少し考えた。
それではその本能を、人はどうやって制御しているのだろう。竜である自分達は本能のままに動く種族である事は知っている。けれどこうして知恵を身に付けた後は、人間のやり方を見につける必要があると考えていた。
「……それじゃあ本能を抑え込むにはどうしたらいいの?」
「抑える事は出来ませんよ。うまく付き合って調整するしかありませんね。理性とのせめぎあいになるでしょう」
彼の言葉を受けてルチアは考える。
よく考えて答えを出した。
「……うーん、逆に言うと、それは時には考えるだけでは無くて行動で表現しないといけないこともある、という事?」
「場合によっては、そういう事も有るでしょうね」
ルチアはなるほどと言って黙った。
考える時間が必要だと思いメルウェートはそれ以上言うことなく、押し黙った。
再び訪れる静寂。
ルチアは大きなあくびをした。
◇
しばらくすると、静かな室内にか細い寝息が加わった。メルウェートの隣から聞こえてくるそれに呼応したかのように、彼はルチアの姿勢を崩して肩を取る。そのまま彼女の頭を自らの膝の上に乗せて寝かせた。
今日はなにしろ、あまりの寒さに外で活動できないメルウェートの代わりに、朝早くから彼女が煙突の雪を落とす作業をしていたのだ。身体をあちこちにぶつけても、転んでも、たんこぶ一つできないほど頑丈なのに、体力は人間の少女の物と何ら変わる事は無い。にもかかわらず、部屋で窒息したら大変! とばかりに朝から外へとびだして一人作業をしていたのだ。
しばらくして、メルウェートは腕がだらしなく伸びた彼女の様子に苦笑する。熟睡してしまったのだ。
彼は小柄な彼女の身体を両手で抱えると寝台へ運ぶことにした。
ねぐらの奥まった一室が彼女の寝室だ。
いつも着ている真っ赤な衣服とは異なって、優しい色合いの布で整えられた寝台は彼女の別の面を表しているようだった。
メルウェートは起こさない様にゆっくりと、眠る彼女を優しく横たえる。
熟睡しきって無防備にもされるがままの様子だった。
降ろす際に引掻けたのか、露わになったルチアの下着に思わず目を逸らすメルウェート。
不意に、ルチアの口から言葉が漏れる。
「ルチアね……」
目をつむったままのとても小さな呟き。
長い沈黙。
静かな室内に二人の息遣いだけが響く。
とても長い沈黙の後、ルチアは続けた。
「……いいよ?」
メルウェートはしばし真面目に考えたが意味が分からない。
「何がいいのでしょう?」
「……ばかぁ……」
彼女の声を漏らすまいと、彼女の口に耳を寄せていたメルウェート。
そこへ彼女の細い腕が伸びたかと思うと――ぱさりと力尽きて寝台の上に落ちた。
それっきり静かに寝息を立てる彼女。
寝言は本人にしかわからない夢を見ているため、支離滅裂で意味不明なことが多い。
そう思ったメルウェートは何事も無かったように彼女の衣服を整えると、毛布を掛けて彼女の寝室を後にした。
彼女がその夜、いい夢を見たかどうかは彼女にしかわからない。
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