第4話 いのちのつくりかた
次の日の朝。
二人はルチアが作った朝食を平らげると話し込んでいた。
「それにしてもルチアさんは人の料理がお上手ですね。どこで覚えたのですか?」
「わたし、ちゃんと勉強したもん。ほら、これ見て」
褒められたことに対して嬉しそうに見せつけたのは古びた一冊の手帳。
中身を見ればびっしりと料理のレシピが書かれてある。今や材料が手に入らないような古い料理も多かったが、とかく料理の基本は今も昔も変わらないものだ。
基礎ができていれば大抵の料理はできる。彼女もその多分に漏れず、努力をしたのだと分かった。
レシピ帖には様々な筆記で沢山のメモが書きこまれていた。一人だけで書いた物では無く多くの人が追記を重ねて作成したのだ。メルウェートにはそれが秘術とされる錬金術の手順と同じく門外不出の貴重な手帳にも見えた。
「なるほど、これはすごい。なかなかお目にかかれない」
「えへへ、もっと色々作ってあげるね」
向学心旺盛な錬金術士たる彼は興味本位から手帳を食い入るように査読する。そんな彼の事を愛しそうに見つめる彼女。
ルチアにとって随分久しぶりに話した人間は奇しくもそんな好奇心旺盛な性格のメルウェートだった。何よりも料理好きという自分の事に興味を持ってもらえた事がとても嬉しかったので、つい沢山の事を喋りたくなってしまうのは道理であった。
「ほら、これ見て。中には竜の身体を使った料理もあるんだよ。びっくりでしょ」
「……」
彼女がめくって見せた頁のレシピには材料に竜の肉が使われていた。そして殴り書きで、
『美味。滋養良し。体力気力の回復に抜群の効果あり』
と書かれてあった。著者はとても興奮したのだろう。そこだけ力強い筆致だった。
「……これは……倫理的にいかがかと」
彼の反応が嬉しいあまり言葉が耳に入らなかったのか、彼女は続ける。
「なんでもね、竜の身体やそこから出る物は人にとっても良い影響を及ぼすんだって」
彼女が示した頁のいくつかは竜にまつわるレシピだった。
中には竜の尿や涙といった、体液、そして他には口に出すのもはばかられるような物を材料とした内容まで記されている。
――ふと、メルウェートは彼女の住み家に収容された時の事を思い出した。
三日三晩放置され死にかけたにも関わらず半日と経たずに快復したその事実。
介抱された時に食べさせられたものはもしかして――。
訊くのは恐ろしかったので彼はそのまま本を閉じた。
「あ、ありがとうございますとても面白かったですありがとう本当に面白い内容でしたびっくりしましたありがとう」
そのまま突っ返す様に本を彼女に返す。
「あれ? もうおしまい?」
ルチアはもっと聞いて欲しかったが、残念そうに唇を尖らせると本を戸棚にしまい込む。
メルウェートは話題を変えるために、無理やり質問を作る事にした。
「……こんなに素晴らしい料理を作れるルチアさんに、手料理を食べさせるようなお友達は私以外に居ないのですか?」
「うーん……」
ルチアは考え込む。
「居る。ううん……居た。だね」
過去の事を思い出して遠い目をする彼女。
メルウェートはまた竜の尻尾を踏んでしまったかと、血の気が引き始める。
しかし彼女は気丈にも言葉を続けた。
「……人間は寿命が短いから、お友達になってもすぐに土に帰っちゃう。それがとても寂しいから、あまり思い出したくないのだけど……」
◇
彼女が訥々と噛みしめるように述べた内容はとても古い話だった。
それは千年以上昔。
永きを生きた彼女は竜としての生から転機が訪れた。
千年目を迎えた彼女は、その時初めて竜の姿から他の生き物へ姿を変えられるような気がしたという。
けれど、一度変化してしまえば元の竜の姿以外の生き物へ姿を変える事はできない。
本能的にそう感じた彼女であったが、迷わず人間の少女の姿に変わる事を望む。
彼女は巨大な竜の姿とかよわい人間の姿を往復する事を選んだ。
実にあっさりと人間の姿に変化できた彼女は満足した。
しかも人でいる時は体が小さいせいか食べる物も少なくて済む。
元来は竜の巨体を支えるのに必要な自然はとても豊かな物でなければならなかったが、豊かな土地にしか住めないというその制約が取り払われたのだった。
『憧れの人間になれた』『自由を手に入れた』二つの意味で彼女は大いに喜んだ。
早速、人間の住む街に出かけて一緒に住む様になった直後の事だった。彼女を待っていたのは、思いもよらない人間達からの迫害だった。
彼らは自在に姿を変える彼女の事を悪魔の使いとして、執拗に追い立てたという。
失意の中、人里離れた場所に籠った彼女。
そんな希望の無い日々を送っていたある日の事。
彼女の隠れた穴倉に人間の女の子が訪れた。彼女はルチアを恐れる事も、襲う事も無かった。
そればかりか向こうから親しくなりたいと申し出てきた。だから友達になったのは自然な事だった。
それから彼女と友情を育んだという。
「……けれど、彼女は」
ルチアはそこまで言いかけて目から玉のような涙を零す。
「ごめん……ちょっと、つらい……」
メルウェートは席を立つと、彼女を抱きしめる。
嗚咽する彼女が落ち着くまでしばらくの時間が必要だった。
肩を震わせ、それが止み、メルウェートの腹に顔をうずめるルチア。気持ちが落ち着くとゆっくりと彼から離れて椅子に座った。
それを見届けてからメルウェートも彼女に合わせて椅子に座って向き合う。
「すみません。また、無神経に訊いてしまいました」
「……ううん。いいよ。懐かしかったの。久しぶりに思い出しちゃった……えへ」
泣き腫らした目で元気な所を見せようと、無理に微笑むルチア。
彼女が落ち着くまで慰めようと思ったメルウェートは彼女の愁いを帯びた表情に儚い動悸を覚えた。
長きに渡って生きる竜。望んで人としての生を選んだがあまり彼らの死に触れて別れを味わい、孤独に苛まれる事になってしまった皮肉。
彼女が幸せを掴むことはできるのだろうか?
人として生きるためにできる事は何だろうか?
メルウェートは不憫な彼女を前にして、真剣に考え込んだ。
――ふと、ある可能性を閃いた。
「ルチアさん。今の話、一つだけ……貴女の気持ちを埋める方法が有るかもしれません」
彼は思案しながら眼鏡を押し上げた。どこか得意気で、さも重要なアイデアを思い付いたと言わんばかりに、その表情は自信に満ちている。
「それはこうです――人間は親しい者が家族になり、それから長い間を一緒に過ごします」
彼はいっそ彼女が人として生きたいのなら人の生き方を徹底的に真似ればどうかと思い、その考えに至った。
「だから――『子供』を作るのはいかがでしょうか」
「あ……!」
ルチアにはその発想は無かった。そもそもそう言った知識は皆無だったし、何より一人が長すぎてその思いに至ると言うきっかけすら無かったのだ。
彼女は双眸を輝かせて力強く叫ぶ。
「メルウェート――今すぐ子供をつくろう!」
硬直する彼。微動だにしない。
「え、どしたの? わたし、何か変な事言った?」
「いえ、間違ってはいませんが、色々と間違っています……」
「なぞかけだね?」
メルウェートは何と説明していいやら頭を抱えた。
ルチアも謎かけをされたと勘違いして答えの無い答えを探して頭を抱えた。
彼は安易に解決策を提案したことを後悔した。
寂しい想いを埋めるための方法。ルチアが自身の子孫を作れば――彼女と同じ寿命を持った子供であれば長く一緒にいる事は可能であろう。だがそれを実行するには決定的な物が欠けている事が判った。
困ったメルウェートをよそに考えるのを止めたらしいルチア。
無邪気にも、なるほど、それはいいアイデアだと一人呟いている。
事をあまりに簡単に考えているその様子からも分かる通り、彼女に足りないそれが『性にまつわる知識』である事は明白だった。
きっと、子作りをクッキーやビスケットを作るような料理と同じレベルに考えているに違いないと思った。
メルウェートは彼女が望む行為を先送りにする事を決める。まずは彼女に教育しなければならない事が山積みだと理解したからだ。
「……まぁ、この件は一旦保留にしておきましょう」
「ええー?」
非難がましくむくれる彼女をよそに彼は頭を振った。
「『人間にとっては』それは簡単な事ではありません。子供を作ると言う事は子供の彼らに対しても責任を持つという事です」
人間を強調したのも殊、人間の事に関しては聞き分けの良い彼女が自分の言う事を飲んでくれるであろうという計算が働いての事だった。
「そっか。うん……わかった。人間のあなたが言う事ならそれが人間の道理で、正しいのね」
案の定、彼女は溜飲を下げて大人しく彼の言う事に従うことを決め込んだようだった。
「ご理解頂きありがとうございます。子供を作る相手に関してはよく相談の上決めましょう。私には竜の知り合いは貴女以外に居ませんので時間はかかるかも知れませんが」
とにかく今、彼女の頭の中は新しい家族を作る事で埋められた。凶暴で最強な赤竜のその大暴れ衝動に占められているはずの頭がそんな桃色脳みそに書き換わってしまった。
今後、彼が苦労する事は山ほどあるだろう。一つは彼女の子作りに対する知識の無さと、そこに関わる心の機微。それらを根気よく教えて、彼女が望む過程を作るのには中々に骨が折れるのは予想できた。なぜなら彼女は一人で過ごしてきた時間が長すぎる。その常識は人間の常識とかけ離れていて、知識は知っているつもりでも細かい所では通用しないに違いないからだ。
それから、彼女のパートナーとなる他の竜を見つけ出す事。
これも難易度が高いことは想像に難くない。彼女に相応しい竜を探し出すには大変な労力が必要だ。彼女に見合うそれなりの相手は彼女並みの知恵と力を持ったものを探すと言う事。ルチアは稀有な例として、他に人間的な常識を備えた竜を探す必要がある。だがそんな他の竜が居るとは到底思えなかったのだ。
あれこれと彼が悩んでいると、彼女はとても寂しそうな表情で消え入るようにつぶやいた。
「……でも、わたしは……早く、欲しいな」
「何か言いましたか?」
「ううん、何でもないよ! ひとりごと!」
ぶつぶつと呟き続ける彼女を前にして、彼女に安易な希望を抱かせて悪い事をしてしまったと感じたメルウェートは腰に手をやってやれやれと困り果てた。
まずは彼女の知識を総ざらいして、子作りに必要な知識の確認をしなければならないと感じた。彼は弟子を諭すようにして形ばかりに教鞭をとることにした。
「……時に、ルチアさんは、子供の作り方をご存知ですか?」
「ううん?」
きょとんとしてメルウェートの事を見つめるルチア。彼の見立て通り、さながら巣立ちしたばかりの雛鳥の様に無知だった。
「人間は、子供を作る時に色々と恥ずかしい事をします」
「?」
彼の言っている事が全く理解できない彼女。
小首を傾げて考えあぐねている。
「そうですね、例えばルチアさんは私の前で裸になれますか?」
「え、う、うん、メルウェートになら……いいよ?」
顔を真っ赤にして恥ずかしそうにしている。一応、人間らしい羞恥心は育っているようだ。
「それはありがとうございます。それで、裸になった後は一緒に寝台で寝るのです」
「そ、そうなんだ?」
平静を装ってはいるが、落ち着きを失う彼女。
「それから、ルチアさんは身体のどこを触られても構いませんか?」
「えと、えーと……おまたの辺りはくすぐったいから嫌……かも」
「そうですか。ですが、子供を作るには私のおまたと、ルチアさんのおまたをくっつけなければなりません」
「あ、ああう……えっと、えっと、子供を作るって……まさか……」
ルチアの顔が瞬く間に紅潮する。
答えを求められてしどろもどろになりながら口を開いた。
「こ、こーび……とか……うう、そう言う事?」
さすがは聡い『赤竜』。知っている知識の中から思い当たったようだった。
メルウェートは彼女の理解力に感心して大きく頷いた。
「その通りです。交合、交接とも言い、色々な呼び方があります。特に人間の場合は――」
彼女は手を上げて彼の講義を一旦制止する。顔を真っ赤にして消え入るように呟く。
「うううー、ごめん! わたし……すごく恥ずかしぃょ」
メルウェートは彼女の様子に自らの配慮に欠けた言動に気付く。
我に返ると頭を振り、いたって大真面目に嘆いた。
「すみません。私も……貴女に教育している自分の不甲斐なさに気が付いてものすごく恥ずかしくなってきました。私も教示する立場にいながら、そういった経験は無く……今は自らの迂闊な言動に辟易しているところです。とりあえずこの話はまた少しおいて、朝ご飯の後片付けをしましょうか」
「そっ……そうだね」
◇
朝ごはんを食べた後、メルウェートは彼女に炭と紙を借りて彼女に必要な知識を教えるための教材を作り始めた。優秀な錬金術士だけあって、医学の知識も豊富であった彼は、人間の構造を頭に叩き込んでいた。だからさほど時間はかからなかった。
やがて夕方になり夕食を終えると、メルウェートは準備してあった教材を取り出す。ルチアは目を輝かせてそれを見つめた。
「ルチアさんの勉強のために少し準備してきました」
「すごーい! これを書いてたの?」
メルウェートはルチアの歓声にまんざらでもなさそうに微笑んだ。
「まぁ、私にも教え甲斐のある弟子が居ましたので、教えることに関しては慣れていますよ」
残してきた愛弟子の事を想い、少しだけ遠くを見つめるような目をした彼は資料を机の上に並べると、まずは人体の解剖図を指し示した。
「これは?」
「人間の体を書いた図です。ここがみぞおち、その下にお腹。その下の方が下腹部ですね」
「……ふんふん」
彼女は興味を持って彼が指し示す絵を眺める。
「下腹部の中には」
彼は別の絵を差した。そこには体内の様子が書かれた図があった。
「まずはこれが腸。そして女性であればその少し下、その奥に子宮があります。子宮は、いわゆる命を育てるための部屋です。生まれるまでの赤子が成長するのです」
「知らなかったよぅ……面白い」
ルチアは感心してメルウェートに矢継ぎ早に幾つかの質問をぶつける。
彼は彼女の質問に対して淀みなく答える。
「これは?」
「卵巣です。赤子の元になります」
「それにしても、この赤ちゃんのための部屋って小さくない? 私が見た赤ん坊はもっと大きかったよ」
「赤子の成長に合わせて、この部分が大きく拡がっていくのです」
錬金術は様々な知識を要求される。卑金属を金に変えると言う目的に始まり、生命の発生についても学ぶ。彼は研究熱心なあまり、この時代の下手な医学者よりもはるかに精緻な知識を備えていた。彼の得意分野は
「そうなんだ、人間ってすごいね……わたしの、おなかの中にもあるのかな」
「ええ。身体の構造が人間と同じであれば、ですが。きっと貴女のお腹の中にもこれと同じものがあるはずです。ただ――」
メルウェートは傍らから瓶を取り出し、やおら机の上に置きながら言う。
「――分からないのは竜であるあなたが卵生なのか、胎生なのかと言う事です。そのいずれかで準備すべき内容が異なるので明らかにさせておいたほうが良いでしょう」
「要は『たまご』か『あかちゃん』か、と言う事ね……確かに。卵なら温めるだけで生まれるけど、赤ちゃんなら知らないことが多くて色々と大変かも」
ルチアは人間の里で見かけた親子を思い出す。母が子をあやす光景を回想して少し幸せな気持ちになった。
一方のメルウェートは机の上に置いた瓶の包み紙を開けて栓を抜く。それから中身の蒸留酒で手を洗い始めた。
「何してるの?」
「消毒です。高濃度の酒精に触れると清浄にできるのです」
そうなんだ、と感心する彼女。
「それで、何をするの」
「触診ですが?」
「……」
ルチアは彼の行動が理解できない。
疑念を掃うために確認する。
「えーっと、どこを?」
「申し訳ありませんが、スカートを捲くってしばらく持っていていただけますか? 折角ですから確認をしましょう」
「……」
しばらく黙り込む二人。
ルチアは思った。
――彼は人として、決定的に何かが欠けている。
沈黙を破ったのは事を理解したルチアだった。
「……ちょっと!」
「早くお願いします。時間が経つとまた酒精を塗らなければなりません」
「そう言う問題じゃないもん!」
「ほら、急いで下さい」
「やだ、やだってばぁ!」
ルチアは両手の甲を見せながら近寄るメルウェートから逃げ出すと距離をとる。
「また今度! 今そんなことすると疲れちゃう!」
「そうですか。まぁ、夜も更けてしまいました。急ぎでは無いと思いますので、続きはまた今度にしましょうか」
はぁはぁと興奮して息の荒い彼女が長い授業により疲れて気が立っているものと勘違いして、授業を切り上げる事を決めた彼。
教材をまとめると優しく微笑んだ。
その日から、ルチアはメルウェートと目が合う度に、さっと距離をとって警戒するようになった。
しかし一方の彼はその度に赤くなる彼女の気持ちが計り知れず首を傾げた。
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