第2話 かのじょのほんしょう
錬金術師の青年は立ち上がる。
少女は彼を見上げながら満面の笑みを浮かべた。
「じゃあ、お友達になってくれる?」
ならない。と言えばどのように殺されるか。
心臓を一突きか、頭を握りつぶされるか、煉獄の炎に焼かれるか。
いずれにせよ選択肢は無かった。
「――勿論です。宜しくお願いします」
「良かった! それじゃあ、いつもの『かしこまらないわたし』でいいかしら」
「どういう……?」
彼が答える間もなく、距離を詰められた。
彼女は居ても立っても居られない様子でメルウェートに近寄ると彼の顔を見上げる。まじまじと見て嬉しそうに笑みを浮かべている。
凶暴で粗暴な赤竜の化身である所の彼女は、しかしながらいたいけな少女の姿をしていたので背が低かった。自然と上目遣いになる。
「ね、ね! あなたのお名前は?」
少女はまるで本当の人間の子供のように生き生きとしている。
丸い目をさらに見ひらいて目の前の人間をどうしようもないほど面白くてたまらないと言ったように見つめている。
彼の返事を待ちきれないかのように落ち着きなくそわそわと後ろ手に両手を揉んでいた。
一方の彼は全く雰囲気の変わった少女を前に狼狽えながら自らの名を伝えた。
「私はメルウェート・アドレシャルと申します」
「メルウェートって呼べばいいのね。ドレイショウニンさんになんて言われてここにきたか知らないけれど、もうお行儀よくしなくても大丈夫だよ。もうお友達なんだから、気にしないでね?」
と、小首を傾げて優しそうに微笑む少女。人間ならば十歳前後と思しき姿。
そんな幼い姿の彼女に振る舞いを諭されるような格好になって人間の青年であるメルウェートはどう対応していいか惑う。
しかし彼女の見た目がどうあれ、人知を超えはるか遠き昔より生を受けた竜の化身であり実際の年齢とはかけ離れているはずだと思い至る。
彼がかつて目を通したことのある竜について解説した貴重な文献からの知見によると、彼らが人間と会話するまでに知恵を持つには千年を超え、また、その長い時を経て生きた竜はその姿を別の生き物へ変化できるようになると聞いたことが有った。
彼らに比べてはるかに寿命の短い人にとっては想像を超えた世界である。
メルウェートは人間の部族の中には千年を生きた竜に敬意を持って神族扱いし、祀り立てる事を知っていた。
彼女のかしこまるなという申し出に頭を振るメルウェート。
彼の知識に因れば、ここは下手に出て彼女の機嫌を取るべきだと確信を持てた。
「……いえ、そういう訳にも行きません、我々錬金術師の間では万能の象徴とも言うべきあなたのような竜の存在は、おいそれと無碍にしてはなりませんゆえ」
「そうなの? うん……じゃあ……メルウェート。そちは私にざっくばらんに対応する事を命じる……」
とってつけたように口調を変えて見るものの、少女の幼い声色に威厳も何もない。
メルウェートは恐怖と困惑の狭間に置かれて冷や汗をかく。
「ほら、私が命令したよ? お願いだから仰々しくしないで?」
「……御意に」
「あぅうう……」
ふぅっとむくれるドラゴン。その様子は人間の少女が思い通りにならなかったことを我慢する様で愛らしかった。
だがそこは凶暴で強大な力を持つ事で知られる『赤竜』。彼は油断しなかった。
警戒を怠らないメルウェートを前に、言葉を選びつつ会話を試みる竜の化身。
「えーっと。わたしね、人間の事で知らないことがいっぱいあるから教えて欲しいの」
「ご謙遜を、しかしそう言って頂くとは光栄です。私も知識の根源とも呼ばれるあなた様と一度お話してみたかったのです」
少女は驚いたように目を見開いてそれから溶けたように満面の笑みになる。
「難しいことを言ってるみたいだけど、ほめてる? そうだとうれしいなぁ」
「……失礼致しました。私如きがあなた様を褒めるとは無礼な真似を」
かたいなぁ君はと苦笑を浮かべる少女を前に、メルウェートは会釈で応えた。
そんな彼に対して、スカートを丁寧に広げてお辞儀を返す少女。
人間の真似にしては上品でメルウェートは驚いた。思わずどこでそんな真似を覚えたのですかと言葉が口をついて出る。
「本を読んで勉強したの……それでも分からない事は沢山有るわ。人間の事、それからあなたの事。どうか色々と教えてね」
教育のよく行き届いた子供のような振る舞いを続ける彼女を前にやりにくさを感じたメルウェートであった。
もしかして、彼女は思ったほど恐ろしい存在では無いのかもしれないと、少し気持ちが落ち着いてくる。
一方、竜の化身である彼女は生身の人間をそばで見られたのが何よりも嬉しくて、心底嬉しそうに人間の青年を眺めていた。
彼女はメルウェートの事を、つまり大の大人である所の青年の事を『愛らしくて大事にしたい』と思っていた。だから彼に少し歩み寄る。しかしメルウェートはその度に一歩離れ、一定の距離を置く。
「もしかして……わたし、避けられてる?」
「いえまさかいえいえ、そんな事は決して」
しかし彼の額には脂汗が滲んでいた。
「むー。そう言う事にしておいてあげる。ドレイショウニンさんも、すぐに仲良くなるのは難しいと、教えてくれたもん」
彼女は至って常識的な振る舞いを続けていた。まるで聞き分けの良い子供の様だった。
メルウェートはようやく気が付いた。彼女の口から時折出てくるドレイショウニンさんとは、きっとここへ自分を連れてきた奴隷商人である事に。
そして彼はこの竜の化身である所の少女に人間の常識を上手に教えたのだろう。
メルウェートの脳裏に、果たして彼はどのような方法を使ったのか一度教えてもらいたいものだ、それに彼女にどのように近づいたのだろう等と、様々な疑問が浮かんだ。
だが少女の悲しそうな表情でその思考は一旦停止する。
少女は涙を溜めて悲しそうにつぶやいた。
「……ごめんね。急に近寄ってびっくりするよね。でもね、わたし本当にあなたに悪さしないよ? わたしの力はとても強くて、人間にとっては怖いものだっていう事も知ってる。だけどあなた達人間の事が本当に好きなの。大好きなの」
メルウェートは次第に罪悪感を持つようになった。少女の気持ちをないがしろにしている様な気持ちになった。
よくよく考えてみれば、彼女の事を一方的に恐れていたのは自分の方ではないかと気が付いた。さっきから彼女は何も非常識な振る舞いをしていない。人間の作法に学び、人間の生き方に沿い、何にでも化けられる姿をも非力な少女になって警戒を解こうとしているではないか。
彼の中で、彼女が人間と距離を置いているがあまり、人間との距離感が測れなかっただけだという結論に至った。
――そして話は冒頭に巡る。
すっかり拗ねてしまった竜の化身は沈黙を守った。
メルウェートも何をどう返していいか言いあぐねる。
そして、そこでメルウェートは気が付いた。
彼女は純真無垢なだけだと。
自分の気持ちに素直になるがあまり、他人の気持ちが見えなかっただけなのだ。しかし、その事を反省しようとする態度は見せてもらった。尊大な態度を取りがちな竜であるはずが、とても謙虚な態度だった。
だから、こちらも腹を割って、素直に告白するしかないと思った。
いつしか彼女は目の端に涙を溜めていた。大好きな人間に距離を置かれてどうしていいのか分からなくなったのだ。
メルウェートは意を決して自らの中に秘めたる思いを伝えることにした。
「……すみません。一つだけ白状させて頂きたく思います」
零れそうになった涙を手の甲で擦り誤魔化した少女は気にしないでと、頭を振った。
しかしメルウェートは彼女を前にしてどうしても自分の性分について正直に答えたかった。それが彼女へ対する礼儀だと思ったし、何より彼女の心意気に向かい合う事だと思ったからだった。
だから彼は――つい、口を滑らせる。
「実は……私は鱗のある生物全般が恐ろしくてどうしようもないのです――特にトカゲが大の苦手でして」
彼の言葉に少女は顔を真っ赤にして打ち震える。
ふくれっ面になって、肩を怒らせた。まさに怒り心頭といった様子で叫んだ。
「わたしっ! トカゲじゃないもんっ!」
まずい、竜の尻尾を踏んだとメルウェートは察した。
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