子作りどらごん!
稲生拓海
第1話 はじめましてのごあいさつ
「――わたしは竜だけど悪い竜じゃないもん」
小首を傾げる美しい少女を前に錬金術師は唸る。
彼女は言葉を継ぐ。
「まぁ……昔は悪さをしたこともあるけど――」
可憐な少女の姿をしているが、その実は竜の化身。
それも凶暴で凶悪な事で知られる『赤竜』。
伝説にも語られる稀有な存在にして最強最悪の名で知られる災厄。遭遇したが最期、その姿を見た者に命はない。
しかし、少女は自らが無害であると主張する。
錬金術師は何と返答すれば良いものか逡巡する。
そんな青年の様子を見かねて、少女は口を開く。
「本当だよ? 信じてもらうには、わたしはどうしたらいい?」
どこか拗ねたように口を尖らせながら上目遣いで見上げてくる少女。
彼女は心底困ったように呻いた。
錬金術師も返答できず呻いた。
――事の始まりは一週間前。
罪を犯した錬金術師が奴隷に身分をやつしたことが全ての始まりである。
◇
若くして名声を手に入れた錬金術師。名をメルウェート・アドレシャルという。
彼は研究に没頭するあまり、周りの事が見えていなかったため、彼を羨んだ敵は多かった。
清廉潔白の身ながら貶められ、挙句には無実の罪を着せられ逮捕された。
『金貨百枚を上納か、奴隷への身落ち』
どちらかを選べとされたメルウェートは奴隷になる事を選んだ。
なぜなら彼には愛弟子が居たからだった。
錬金術に使う道具や薬品は非常に高価である。一切合切を売ってしまえば金貨は何とかなるだろうが、錬金の設備を失った愛弟子の夢は絶たれる。だからメルウェートは奴隷となる事を選んだ。師匠としてのせめてもの親心だった。
それに奴隷となった後も身辺整理のために時間が与えられる。それを計算に入れれば愛弟子に研究の仕方を教授できて、後は自身の力で何とでも生きられるだろうと思っていた。
だが――結果的にその思惑は甘かった。
メルウェートは取り調べを受けたその日の内に奴隷として身柄を拘束された。愛弟子が泣きながらも必死になって追い縋ったが、接触する事すら叶わずに次の日には奴隷商人の手に渡った。
奴隷商人は言葉少なく『竜の巣に向かう』とだけ告げると、ニヤリと悪魔のような笑みを浮かべた。
彼を載せた馬車が異常な速度で移動する事、二日間。
そして強面の奴隷商人によってメルウェートは竜の巣に連れて来られ、岩山に放置された。
そこは赤竜が出没するとされる場所。
死を覚悟した錬金術師はうなだれる間もなく三日三晩。飲まず食わず耐えきった。
そうして一昨日。荒野の岩肌に横たわった彼は、死を前にして幻覚を見る。
それは驚くべきことに美しい少女。
凶悪な『赤竜』の縄張りに居るはずの無い、いたいけな人間の少女。彼女が彼を助けたのだ。
近くの洞窟に住んでいると言う彼女は彼を縄から解くと、彼を自分の住み家に寝かせて介抱した。
衰弱した彼に少女は甲斐甲斐しく食事と水を運ぶ。
乾ききった彼に水はとても甘く感じ、身体に染み入るように感じた。
やがて一昼夜が過ぎた。
不思議と回復の早かった彼はお礼を言おうと彼女と話す。
すると彼女は錬金術師にとんでも無い事を願い出た。
『一緒にここで暮らして欲しい』と。
――それが今日。先程の出来事だ。
メルウェートは得体の知れない少女を前にして、幾つかの質問を問うことにした。
◇
「まずは、助けてくれてありがとう」
「どういたしまして」
メルウェートは彼女に疑問をぶつけることにした。
「ここで暮らす分は構わない。けれど理由を教えて欲しい。ご両親はいらっしゃらないのかい?」
「お父さんは知らない。お母さんは私が子供の頃に居なくなっちゃったの」
少女の表情にすこし陰りを感じたメルウェートは慌てて繕う。
「申し訳ない。立ち入った話だったね」
「気にしないで……もうずいぶん昔の話だから」
そう言って彼女は健気にもはにかんだ。
彼女の年の頃は十歳前後といった所。まだまだ親に甘えていたい年齢だろう。
きっと訳有って人里離れたこの地に暮らし、竜の目をかいくぐるようにして生きてきたのだ。しかし一人に耐えきれなくなり、そんな所へ竜の餌として連れて来られた人間を見つけたのだ。
彼女はメルウェートの不躾な質問に頭を振って、言葉を継ぐ。
「んーとね、んっと……」
うつむく少女。頬を紅潮させて気恥ずかしいのか言葉を選びつつ口籠る。
「お願いが……あるの」
奇妙な間が訪れる。
彼女は何かを言い淀んでいる様だった。顔を上げては口を開き、かと思うとまたうつむく。何度かそれを繰り返す。
彼女が何か言おうとひときわ大きく面を上げたその時、彼女の頭につけてあったリボンが揺れてそこから異形の角が覗いた。
山羊か、牛の物によく似たそれ。捩れているが、そのどちらの動物の特徴を併せ持つ。金属質な光を反射しているが、その色は漆黒。
少なくともそれを持つ彼女が人間では無い事を示していた。
メルウェートの視線がそれに釘付けになって固まっていると、彼女はその視線の先に気が付く。慌てて角を隠すように赤いリボンを整えた。
彼が落ち着いて彼女の姿を見てみれば、彼女の着ている服は全て深紅に染まっていて、派手好きな貴族ですら身につけるのをためらう程の色合い――自らの予想が当たっていない事を祈って、冷や汗を誤魔化すように眼鏡を外して目を擦すりながら言う。
「……あの。もしかして」
「……あ、あんまり私の角をじろじろ見ないで……恥ずかしいよ」
そういって彼の視線をさえぎるように身をよじる彼女。
彼には何が恥ずかしいのかよく分からなかったが、彼女のその言葉はそれが本物である事を意味していた。
――赤竜の住み家。
――角の生えた少女。
――赤い衣装。
錬金術師は戦慄した。
どうして気が付かなかったのかと自らの不覚を呪った。
彼女は――。
「もしかしてあなた……竜が、人に化けるのを見たのは初めて?」
――彼女は竜だ。それも凶暴で凶悪な『赤竜』。
にへらっと笑った彼女は続けた。
「安心して。わたし、人は食べたりしないから」
その言葉を聞いてメルウェートの額に玉のような汗が噴き出る。
凶暴で凶悪な赤竜。
その力は鉄の鎧ですらボロ布のように裂き、炎の息は城壁をも溶かすと言われている。
言葉を間違えれば待っているのは無残な死。
「あ、あの……わたしと仲よくしてくれると嬉しいな」
何を仲良くするのだろうかとメルウェートは必死になって思案した。彼女の真意を測りかね、多くの可能性から生存の希望を選び取ろうと苦悩する。
若き錬金術師はその英知も空しく答えが出ない。
彼は警戒しつつ彼女の言葉を待った。有体に言うと彼女の出方を待った。
人の少女に化けているものの、何しろ凶暴で凶悪な『赤竜』である。慎重に事を進めなければ次の瞬間には八つ裂きにされていてもおかしくない。
「……人間は可愛くて、格好良いから好きなんだよ」
メルウェートは目を細め、唐突に彼女が始めた独白を受ける。
だが、言葉の真意を測れず、怪訝に眉を歪めた。
彼の煩悶をよそに彼女は続けた。
「昔はよく分からない気持ちだったけれど、今は人間の事を本当に可愛いと思うの」
――愛玩動物。
青年の脳裏に飼殺しという言葉もよぎる。彼女の言うそれは例えば人間が可愛い猫を見るような状態に近いと理解した。
生活を共にする『人間と猫』。それが『竜と人間』になっただけの話なのだと思う。
人間を可愛がる竜の少女と、竜を恐れる人間の青年。そういった構図だ。
手の平に滲む汗を誤魔化すため青年は平然を装い、考え込む様相で腕組みして汗を衣服で拭った。
そこで彼女は少し戸惑いながら自らが纏っている服の裾をいじり出す。
華美な装飾と可愛らしさを兼ね備えているドレス。人間の姿になるためにわざわざあつらえたのだろう。
だがそれは全面が強烈な赤に染め上げられていて容赦なくメルウェートの網膜を焼いた。
苛烈で過剰な色合いは彼女の激烈な性格を表しているに違いないと思った。
「ねぇ、あなたにはわたしの事はどう見える? 人の姿だけど、怖い? 変じゃない? それとも……」
竜の少女は何かを言いかけて沈み込む様に黙った。
一方、青年は突然振られた質問に硬直する。
――それとも。とは? 彼女は自らの事をどう見て欲しいのだろうか。
メルウェートは恐怖に浮かされながら最適な答えを探す。
相手がただの人であればその言葉を推測し返事をするのは容易だった。
だが――。彼女は粗野で横暴な事で知られる『赤竜』。
返事を間違えて彼女の思うところから外れれば待っているのは無残な死のみ。
――怖い。恐ろしい。
彼は恐怖心を心の奥底に抑え込みながら努めて冷静に振舞う。あまりの恐怖で近くに居る彼女が至極遠くに居るようにすら視界が歪んで見える。
はっと、自らの心の動揺に気が付いたメルウェート。
彼が長年を掛けて錬金術で培った態度に同じく、冷静な観察こそが至適な回答を得られる秘訣だと思い至る。
だから、少女をじっくりと観察する。
肌はつややかで鱗は無い。頭の上には小さな角が見え隠れしているが、リボンで装飾があしらわれたそれは、ともすれば髪飾りの一部にも見える。
薄く結ばれた唇から牙は覗いていない。竜の身体的特徴は角のみのようだ。
そして、これまでの振る舞いは少しばかり臆病で控えめな少女の様に見えた。
少なくとも恐ろしい竜には見えなかった。
だが油断はならない。彼は今一度、居住まいを正す。
傍から見ればほんの一瞬の出来事であったが、彼女が不審に思うギリギリまで考えたメルウェートは、ついに彼女の質問に対して言葉を返す。
「……可愛い女の子に見えます」
見たままを素直に答えた。
「本当?」
すこしくすぐったいのか、満足そうに微笑みながらため息を溶かす竜の化身。
それから何かを考えるように自分の手の平をしばらく眺めて、メルウェートの前に差し出した。
「あ、あらためて宜しく」
硬直している彼を前に、少女はどこか緊張しながら更に言葉を継ぐ。
自らの行動が間違っているのではと不安になったのだ。
「……人間は、こうやって挨拶するのでしょう?」
彼女は人間の習慣に不慣れなのか、確認を求める。
返事をする代わりにメルウェートは彼女の前に跪いた。
震える細い手を取ると優雅に振舞う事で自らの動揺を隠す様に、手の甲にそっと口づけする。
「?」
「人間はこうして敬愛を誓う事も有ります」
少女は目を見開くと、接吻された手を大事そうに胸に抱きながら次第に目を細めて呟く。
「……そうだった。そうね。そういう事もあったわね」
少女はくすりと笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます