第14話 熱と添い寝と
入社してから2年目にして初めて私は熱を出して会社を休んだ。入社してからは極力体調を崩さないように気をつけていたし、新人が会社を休むと言うのはあまりいい顔をされないと思っていたから気を張っていたということもあったのかもしれない。
昨日の帰りに雨が降っていた。出社する時には降っていなかったため傘なんてもって来てなかった。仕方なく濡れて帰ったのが悪かった。それに、シャワーに慣れた生活もあってか、身体が芯から温まらないままに寝てしまったのは自分のせいである。初めて会社に休むと連絡をするときのあのドキドキはもう二度と味わいたくないものだ。もう絶対熱なんか出さないと心に決めた日でもあった。
しかしながら、会社に勤めてから初めての熱に侵されて私はなんとも言えない心細さに襲われていた。病気の時はやはり人間だれでもこんなに心細くなるものなんだなと他人事のように思っていたのに、いざという時には私も例に紛れずにそうなっているのに苦笑いする。
おでこに冷えピタを貼って常備薬を飲む。この冷えピタと常備薬は社会人になる前に用意しときなさいと母に言われていたものだ。流石母である。お母さんのいう事は聞いといたほうがいいと思うことは一人暮らしを始めて嫌と言うほど実感した事でもある。
例えば、アイロンは買っておきなさいとか最初に給料が入ったら米は買っておくのよとか。アイロンなんかいらないと思ってたのだけど、社会人にワイシャツと言うのは必需品で、干すのを少し遅らせただけでも皺になってしまう。最初の一週間の間に何度も使うことになったのだ。今では手放せない必需品である。それに、給料入ったら最初に米を買いなさいという母の言葉は後々わかった。最初は恐る恐る使ったお金もこれだけ使えると思うと食事分のことなんて考えずに使ってしまうことになって、後悔してしまう。けど、米さえあれば何とかなるのである。ご飯は大事だとこの時に初めて実感したものだ。そう考えても母は偉大だとつくづく思う。
意識は朦朧としていたけれど、薬だけでも飲んで寝ていたこともあってか昼すぎにはある程度動けるようになっていた。今日はでも明日のことを考えてもゆっくりベットで過ごしたほうがいいだろう。昨夜炊いた炊飯器にあったご飯にふりかけを混ぜおにぎりにして昼食にすることにした。薬を飲む前にはさすがに何か食べないとと思ったから無理やり胃に押し込む。今日開けたばかりの常備薬は錠剤である。これも3粒飲む。もうあとは寝るだけだ。気だるい身体をベッドに横たえるとすぐに意識はなくなった。
ピンポーンというインターフォンの音で目覚めた。スマホを見るともう午後6時を回っていた。誰だろうと思いながらベッドからでた。
「はーい」
「雅美ちゃん?幸子だけど」
「え!?幸子さん?今開けます。」
ドアを開けたら幸子さんが仕事帰りのスーツ姿で私の前に立っていた。幸子さんが家に来るのは初めてのことである。それに、こんな府抜けた格好で会うのも。焦りながらどうぞとリビングに案内した。
「ごめんねいきなり来ちゃって。これポカリと、あ、いらなかったかな?冷えピタも」
幸子さんの視線の先には私のおでこがあった。あ、しまった冷えピタ張りっぱなしだ。
「わーわーはずかしい」
慌てて冷えピタを剥がしてありがとうございますと御礼を言いながら恥ずかしさいっぱいで顔が熱くなるのがわかる。
「剥がさなくてもいいのに。ふふふ」
「でも、幸子さんよくここわかりましたね」
「うん、清水さんに聞いたの。」
「先輩にですか?あーなるほど」
何度か近くまで送ってもらっていたことがあったのでそれである程度の場所までは知っているはずである。流石に家にまでは上げたことはないけれど。私も一応女子ですから。
「清水さんここ来たことあるの?」
「え?ないですよ!違います。ただ、新人の時に飲んだ帰りに送ってもらったことが何度かあったので知ってるだけです。」
またあらぬ誤解を招きそうになって焦って訂正した。先輩なんかちょくちょく私と幸子さんの間に出て来るのヤメテ!
「そ、そうね。わかった。雅美ちゃん風邪は大丈夫なの?熱あるんでしょう?」
「薬飲んだので明日には大丈夫だと思います。熱はたぶん今は微熱くらいじゃないですかね。朝よりだいぶ良くなりましたよ。」
「そっか。よかった。けど、無理しちゃダメよ?」
幸子さんが心配してくれる事とわざわざここまでお見舞いに来てくれたことが嬉しくてたまらなかった。にまにましてしまう顔を必死で抑えながら、私は幸子さんが持っているもう一つのビニール袋が気になっていた。
「ん?これ?今から雅美ちゃんにご飯作ろうかと思って買ってきたの」
「え?本当に?」
ふふふと笑う幸子さんに私のテンションも上がって、思わずタメ語になって喜んでしまった。なんと、料理までごちそうしてくれるらしい。私は幸子さんにベッドに入っておくように言われた。素直にベッドに入った私に、幸子さんがベッドの横に立って前髪をかき分けるようにして私のおでこに触れてきた。ひやっとする幸子さんの手のひらを感じて、その間近に迫った幸子さんの顔を見て私はどうしていいのかわからず、黙ってされるがままになっていた。そして幸子さんは「んー」と考えるようにしてリビングに戻って行った。ごそごそと物音がした後、幸子さんが私のベッドのそばにまた来て、「雅美ちゃん前髪上げて?」と言うからそのとおりにしたら、さっきより冷たい感触に驚く。冷えピタを幸子さんが張ってくれたのだ。いたれりつくせりである。夕飯を幸子さんが作ってくれている間、私がベッドの中で悶えるのは仕方のないことである。
「雅美ちゃんできたよ。寝てた?」
「いや、起きてます」
寝れるわけがないと思う。好きな人が家にいて、料理作ってくれて私に構ってくれるのに寝れる?それにあんな間近で冷えピタ貼ってくれるんだよ?ドキドキして寝れないよ!
平静を装ってリビング行くと、うどんと卵焼きサラダがテーブルの上に乗っていた。幸子さんの分もあるというのが、心躍るのは幸子さんと一緒に食べれるということだ。夕飯作ったから帰るねと言われたらどうしようと思っていたから嬉しい誤算である。
「やっぱり幸子さん料理上手ですよね。幸子さんの料理が一番好き」
「も、もう雅美ちゃんはいつもそんな事言うけど簡単なものばっかりだよ?卵焼きだって私じゃなくてもできるんだから。」
「いや、幸子さんのがいいんです。卵焼き好きとしてはそこは譲れないので引きませんよ?」
「そう言ってもらえると嬉しいけど。」
幸子さんはまんざらでもないような顔をしてはにかむように笑う。その顔を見て私も嬉しくなってしまう。やっぱこの人じゃなきゃ嫌だなと思ってしまうほどに私は彼女が好きなのだろう。あの日した告白の答えは聞かないままだけど、あれからも変わらず幸子さんは私と接してくれる。意識はしてくれているのだろうかと思うほどである。こっちとしては、もう少し意識してほしい気持ちはある。けど、それで距離を取られると寂しくなってしまうのだろうけど。私は幸子さんが答えを聞かせてくれるまで待つ事にしている。急かすのはいいことではないと分かってる。それに、幸子さんだって考える時間がいるだろうから。
「雅美ちゃんのお家初めて来たけど、すっきりしてるよね」
「そうです?まぁあんまりごちゃごちゃしてるのは好きじゃないからですかね。趣味はゲームくらいですし。」
「そうなんだ。何か可愛いの予想してたから意外かな」
幸子さん曰く、私はキャラクターものが好きそうだから、ぬいぐるみとか家具とか可愛いのを置いていそうだったんだとか。小物系は買ったりするけど、家の中に飾るものとしては買ったことが無いなと思っていた。
「幸子さんの家は大人の女の人のお家って感じですよね」
「そう?使い勝手がいい感じにしたかっただけよ」
幸子さんのお家はセンスが行き届いているというか、白を中心に家具が揃っていて所処にワンポイントの差し色がされて見ても楽しめるオシャレなイメージだった。それに観葉植物も置いてあったし癒し空間でもあった。私だったら観葉植物は簡単に枯らしそうだからそういうのは憧れてもできないんだろうな。
夕食が終わったら、薬を飲んでまたベッドに戻るように言われた。それに私も素直に頷いた。幸子さんが食器を洗っている音が聞こえる。食器洗い終えたら幸子さんすぐ帰っちゃうんだよね。そう思うと無性に寂しく感じてしまうのは、私が熱がまだあるからだろうか。朝からもそう思うことがあったからそれがずっと続いているということなのかな。キュッと蛇口を締める音がして洗い物が終わったことがわかる。刻々と幸子さんとのお別れの時間が迫ってきているみたいで寂しさが襲う。
「雅美ちゃん?」
「・・・」
「寝ちゃったかな?熱は」
頬に触れる幸子さんの手の感触にビクッとなる。そして恐る恐る目を開けた。心配そうな、けど、優しい顔の幸子さんが私の顔を覗いている。
「幸子さん」
「ん?」
「寝るまでいてもらえません?」
「・・・いいよ」
一瞬ためらった表情をした幸子さん、けど私の我儘を聞いてくれるようだ。
「じゃあ、スーツだしジャージか何かあるかな?」
幸子さんがこんな事を言い出したので、疑問に思いながらも私はスウェットの上下を幸子さんに渡した。身長差はそれほどないのであまりサイズは気にしなくても着れそうだし。
「雅美ちゃんの匂いするね」
「そ、そうですか?」
「うん。するよ」
私のスウェットを着ている幸子さんを見ることになるとは思わなかった。ちなみに着替えはリビングでされたので生着替えは観れなかったわけだけど、そんな事より、私、そのスウェット絶対洗えないわ。
「じゃ、雅美ちゃんもうちょっとそっち行って?」
「へ?」
私はベッドの片側を開けるように要求されていた。布団を開けて幸子さんがよいしょと入ってくるのは私のシングルのベッドでして、これってまさかと思った時にはすでに幸子さんは私に添い寝をしてくれるということで間違いないと思う。ちょっと待て、それは流石にマズい。幸子さんだって私が本気で幸子さんのこと好きだって知ってるはずなのにこんな状況になるのはおかしい。幸子さんの身の危険とか考えても、私の理性とか云々の前に幸子さんが意識してないということがはっきりしたんじゃないだろうか。
「あ、あの幸子さん?」
「なに?」
「なに?じゃなくて、もう!幸子さんの馬鹿」
「えー!?」
「いいです。私こっち向いて寝ますから」
「なんで怒るの雅美ちゃん」
「幸子さん知ってるくせにそういうことするのずるい」
「そっか」
でもねと言いながら、幸子さんは私を後ろからそっと抱きしめてくれる。
「知ってても、雅美ちゃんが寂しいと思ったら一緒にいてあげたい。そっと抱きしめてあげたい。まだそれだけしかわからないの。私の我儘聞いてくれない?」
耳元から聞こえる幸子さんの優しい声に、幸子さんが私を抱きしめてくれていることに嬉しさも感じていて。心臓は早くなるけど、それでも少し落ち着けて安心していた。
「幸子さん」
「ん?」
「大好きです。」
「ふふありがとう。お休み。」
大人はやっぱりずるい。そう思いながらも私はやっぱり幸子さんにはかなわないなと思っていた。やっぱり好きで仕方ない。そう思いながら幸子さんと眠ったのだった。
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