第8話 呼び出しと駆け引きと

「上野君少し残っててくれるかい?」


 部長から仕事終わりに残るようにと言われてから私は久しぶりの残業をすることになった。残業と言うより上司からの呼び出しである。これまでこのようなことはなかったので何事だと緊張していた。


 部長曰く私的なことだからという呼び出し内容を聞くと余計に心配になったりする。私的なことを上司から言われるというのはどういったことなんだろう。緊張したまま業務を終えた私は言われた通り、会議室に部長と向かい合った状態で話すことになった。


「そんなにかしこまらなくていいから、ゆっくりしてくれ。」

「はぁ。」

「いや、私的と言っても君に愛の告白とかそういった類ではないからな」


 はははと笑う中年のお腹をさすりながら言う部長なのだが、部長は奥さん持ちなんだからその考えは私にもなかったことである。それより、祖業が悪いとかそういった怒られると思われることを思い返していたのだけど、部長の雰囲気からしてそういうものでもないらしい。


「佐伯君のことなんだがね。過去のことは聞いているかい?」


 幸子さんの過去と言えばあの事なのかと思いいたり、素直にはいと答えた。そして、部長は少し考えた後、こう続けた。


「佐伯君の過去を知る君だから頼みがあるんだが、いいだろうか?」

「佐伯さんと何か関係があることならばできる範囲でしたらさせて頂きますけれど。」

「これから言うことは、佐伯さんのプライベートにも関係するから、本人にも言わないでいてくれるとありがたいのだがいいかい?」

「はい。」

「結婚破断になった相手がだね、今回のプロジェクトの重要ポストに置かれているのは知っているかい?」

「ライバル社と取り合いになっているあの案件ですよね?クライアント側の方ということでしょうか?」

「そうだ。クライアントの御曹司が佐伯君の元婚約者だったのだよ」


 それは初めて聞く幸子さんの元婚約者の情報だった。詳しく幸子さんに聞いたわけではなけれど、幸子さんからは仕事関係で知り合った人だったことは聞いていた。ここでこんな話が出て来るなんて驚きである。


「そして、私はどうすればいいのでしょうか」

「うん。佐伯君にはこのプロジェクトを抜けてもらおうかと思っている。」

「え?それは今までしてきた仕事を他の人に回せということですよね」

「彼女には申し訳ないのだが、今回ばかりはクライアント側に印象が悪くなる要素は避けておきたい。君には彼女の仕事をある程度引き継いでもらって、詳しく資料も把握していて欲しい。」

「と言いますと、私が佐伯さんの仕事を横取りするということになりませんか?」

「いや、指導の立場から言ったら普通ではある。上野君にしかできないことでもあるんだ。」


 上司に言われたことであるから、例え嫌なことでもやらなくてはいけないこともある。幸子さんの仕事を私がいいとこどりすることは変わらないわけで。幸子さんになんて言ったらいいのかわからない。

 部長との話が終わり帰る用意をして、会社の外に出た。


「さぶ・・・」


 寒くなってきていてコートがいる季節になりつつある。早く帰ろうと思い、速足になりかけたところに、両手をこすり合わせて寒そうに立っている美人が目に入った。


「幸子さん?」

「雅美ちゃん」


 寒そうに立っていたのは幸子さんだった。


「どうしたんですか?まだ帰ってないなんて」

「雅美ちゃん待ってたの」

「私を?」


 この寒い中私を待っていたという幸子さん。


「ちょっとどっか入りましょう。うわっ冷たい」


 幸子さんの手を引いたら寒いのに待ってたことで幸子さんの手はすごく冷たくなっていた。本当に私を待ってたんだと思うとはやく暖かいところに行かなきゃと焦る。


「幸子さん!寒いのになんで待ってるんですか風邪ひいたらどうするんです?」

「雅美ちゃんとお話したかったんだもん。」


 私を待っていてくれた事実は顔がにやけそうになるけれど、風邪でも引いたらどうするのだろう。それに私が先輩だからたまには叱ってもいいかなんて思って怒ってますアピールをしてみたのだ。しかし、そんな可愛い顔されたらこっちが返り討ちでやられちゃうんですけど。


「っ・・・電話じゃダメだったんですか?」

「うん。部長に呼び出されてたからそれがね」

「あー・・・」

「それに・・・」

「ん・・・?」


 聞き返した私にだまったまま何か考えている幸子さん。私はこのタイミングでこう言った話をしてくるから幸子さんは何か情報が入ってきてて、部長の話を知っていたからそういう前振りなんてことをしていたのだと思っていて、幸子さんはやっぱり知っているのかなって思ったりしてた。


「雅美ちゃん・・・あのね・・・・雅美ちゃん部長にセクハラなんてされてないよね・・・?」

「・・・は!?ちょっ・・・え??」


 私の驚きは間違いじゃないと思うんだ。だってそんなことで待っていたの?とかそんなことであの寒い中心配していたの?とかそういうのはやっぱり意識されてるんじゃ?と思ってはおかしくないと思うわけで。


「だって私的な事とかいわれてなかった・・・?」

「それは・・・まぁそうなんですけど、それはその・・・」

「やっぱ言いにくいよね。ごめん。私が言っても答えてくれないよね」


 なにを勘違いしたのかわからないが、幸子さんが盛大に勘違いをしてるのは確実で、勘違いがもし事実だったとして幸子さんにとってそれはあまり関係のないことではないのだろうか。それが、気になるとしたら何かしら私を意識しているということでは?だから私はちょっといじわるしたくなったりして。


「もし・・・そうだったらどうします?」

「そしたら、雅美ちゃんを守るから」


 こちらはどう反応すればいいのだろう。これって、どういうこと?私の頭の中ではフルスピードで処理をしようとして結局オーバーヒートしたみたいで、言葉を濁してしまったのは私の恋愛経験が乏しいからなのだろうか。


「いやいや、違くて、ただ幸子さんのことで話があったみたいなんです。あ、別に幸子さんは悪いわけではないですよ?不可抗力が働いてしまったというか。」

「どういうこと?」

「んー部長には幸子さんには言わないように言われてはいるんですけど、でも、これって言わないといけないことかなって私は思うのでいいますね。」


 部長に言われたことを一部始終教えた私にふーんと言った幸子さんは特に気にした様子でもなく。私に向かって試すようなにひっとした顔を向けてきた。


「雅美ちゃん、それどう思った?」

「どう思ったって幸子さんの手柄を横取りした悪者気分ですよ。」

「なーんだ」


 がっかりしたという幸子さんに私はこの人が何を考えているのか初めて疑問に思っていた。がっかりというのは手柄を取ってしまったからというのではない違った意味のようにも聞こえる残念という声に聞こえたのは気のせいなのだろうか。


「それって、やっぱり謝った方がいいですよね・・・?」


 そうかな?って考えていても、念のために聞いてみることにすることにした。


「んー、残念だけど、それに関しては仕方ないことだよね」

「はぁ仕方ない・・・ですか」


 どっちとも言い難い返答にやっぱり曖昧にする大人と言うのは難しいものだと自分がまだまだ子供のようでそういう扱いを受けることにちょっと腹立ってきてしまって、幸子さんはどういうことで動揺するんだろうって試すことをしてみたくなった。


「幸子さんは、仕事のことよりプライベート充実させたいタイプですか?」

「え?まぁ考えたことはなかったけれど、そうかもね」

「じゃあ、私が仕事もらう代わりに私とのデートで手を打ってもらえません?」


 私の精一杯のアピールとそして、確率を上げるために代替えした仕事のこと。ずるいかもしれないけれど、幸子さんにとっては思いがけないことかもしれないし、それって驚いてくれているならそれはそれでいいかなって思える案で。この年上の女性をどうやって驚きと心の動きをとらえるのかというのがカギなのかもしれないという私の渾身の提案である。


「デート・・・。うん、いいよ。」

「まじですか!?」

「え??うんいいよ?」


 私の渾身の提案はたやすく通ってしまったみたいです。ちょっと迷って決めた感があったのだけれど、その答えには偽りはないようで、動揺とまではいかなかったけれど、迷うくらいは成功したみたいだった。


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