第5話 先輩と後輩の過去と

「うっえのちゃーん!」


 久々にこの陽気な声を聞いてあの人が来たことがすぐにわかった。何を隠そう、私の去年までの新人教育を担当してくれていた清水先輩である。ベテランの清水先輩は仕事はピカイチなのではあるが、性格がちょっと難ありな人物。それというのも、去年まで一緒の部署で働いていたわけだけれど、根っからの女たらしで有名である。新しい部署に異動になってからもそういう噂の絶えない有名人物なのだ。


「うえ。清水先輩どうしたんですか?」


 嫌そうに顔をしかめた私にひどいなーという泣きまねをする仕草もわざとらしい。先輩にこういう扱いをしてしまうのもこの人の人徳のようなものだろうと去年の中盤からは諦めてこいう扱いである。


「ねぇ上野ちゃん、教育担当になったんだって?どの子どの子?」


 それが狙いでわざわざ来たのかと呆れてしまう。清水先輩にあの人ですよと教えると「うそ・・・?」という今までにない清水先輩の素が出たような動揺した声が聞こえた。


「なんで佐伯さんがここに・・・?」


 何故か動揺をしている清水先輩。しかも、幸子さんを知っていることがわかった。


「知り合いですか?」


 私の問いかけに清水先輩はやっと気づいたみたいな顔して、うん、知ってると教えてくれる。それ以上は何も話そうとしてくれないみたいだ。「そうですか」と言うしかなかった。先輩のあんな顔初めて見たような気がする。どこか辛そうで動揺しているみたいな顔。過去に何かあったのだろうか。


「佐伯さんこの会社に入ったんだ。彼女どう?」

「そうですね。一言でいうと超人です。」


 幸子さんのいつもの表現を口に出すと、苦笑いしながら「だろうね」という清水先輩。前の幸子さんってどんな感じだったんだろうって疑問が出てくる。今まで、幸子さんとは今の話はしても、前のことを話す機会なんてなかったのだ。どういう仕事をしてこんな超人になったのかというのも知らない。


「佐伯さんって前、どんな仕事されてたんですか?」

「うちのライバル社の主任をされてたんだよ。」


 やっぱりすごい人だったんだと感心する。ライバル社と言うとあの会社かという一つの社名が浮かぶ。


「ヘッドハンティングでもおかしくないのに、ここの部で新人扱いなんて」


 そう言った清水先輩の言葉に私は幸子さんの過去がめちゃくちゃ気になっていた。幸子さんはあの会社の主任にまで登り詰めていたのに、この会社の新人として入社したことになる。鼻っから私が教えるような人材ではないということだ。最初に思っていたここには十分すぎる人材という違和感がぴたりとはまったような感覚でもあった。幸子さんに今度聞いてみようかな?とは思うが、それって私なんかが踏み込んでいい領域なのかはわからない。ただの新人教育の担当で、妹の友達でしかない私の立場はそこまで幸子さんにとっては重要な位置に無いように思う。知ってしまった事実に疑問は残るが、たぶん私は聞けないのだろうということに、なぜか苛立ちを覚えていた。


 清水先輩の突撃訪問から、私は全く仕事に集中できなかった。幸子さんの過去ばかりが気になって仕事が身に入らなかったのである。残業に厳しい会社の為、残りの仕事は明日に持ち越しである。明日が地獄だなとため息が出る。


「上野さん、今日ご飯どうですか?」


 そう誘ってくれたのは、私の悩み事の張本人である幸子さんだった。断る理由は特になかった為、ご飯をご一緒することになった。


 居酒屋の暖簾をくぐると威勢のいい挨拶が帰ってくる。こういった居酒屋に来るのは清水先輩に連れられて以来だろうか。どこで食べましょうと聞かれたので、あまりお店を知らない私は以前行ったことがあるお店を紹介した。紹介したと言っても、清水先輩に連れて行かれたところでよさそうな所を選んだだけなんだけど。


「雅美ちゃんが居酒屋なんて意外ね」


 そうふふっと笑う幸子さんにすみませんと謝る。もっとオシャレなお店とか連れて行ったらよかったのかなと後から思った。気軽に話せてお酒も飲めてということで居酒屋チョイスしてしまったのだ。しかし、こういうお店には私は意外なのかという自分に対する幸子さんのイメージはなんなのだろうとも思う。


「とりあえず、ビールで」


 私もと幸子さんが私に続いて注文する。こうやって外食を二人ですることは初めてである。こういう場合はやっぱり先輩がもつというのが本当であろうか。初めて後輩を食事に連れて来たわけだけど、慣れてないからよくわからない。清水先輩はいつも払ってくれていたっけ。と財布の中身がいくら入っていたのか思い出していた。


「ねぇ雅美ちゃん?」

「はい、どうしました?」

「何かあったの?」


 問いかけられて気づく。私が心配されているということに。「なんもないですよ?」と答えたら、「仕事中何か考えてたでしょ」とズバリ私のことは分かられていたようだ。


「いや、なんもないですから」


 そう答えたら、むーと頬を膨らませた幸子さんにこっちが焦る。今の幸子さんは、たぶん妹の友達の私に対して言っているんだと思う。だめだぞ!と言われているみたいでこっちも縮こまってしまう。一向に納得してくれない幸子さんに私はどうしたらいいのかわからなくて、でも少し気になることがありますときっかけを作っていた。


「幸子さんの前の仕事のこと聞いてそれで」


 思っていた回答と違ったのか幸子さんは意外な顔をして、少し辛そうなそして苦笑いみたいな顔をしていた。しまった言わなきゃ良かったと後悔しても遅い。


「今の忘れてください。私なんかが聞いちゃダメなのわかってたので」


 幸子さんの顔色を伺うようにして見ていると、少し考えた仕草をして、それでも優しく笑ってあのねって初めの言葉を口にした。


「前の会社で寿退社する予定だったの。だけど、結婚なくなっちゃったの。だから、退職して今の会社に入ったんだ。」

「そ、そうだったんですか・・・」


 幸子さんは教えてくれた。私なんかに過去のことを包み隠さずに。幸子さんにとってはとてもつらい出来事だったに違いない。そのことを口に出すのもつらいはずなのに、私のせいで口に出さないといけなくなってしまったのだ。それに、その

 結婚するはずの相手のことがムカついて仕方がなかった。こんなに綺麗で優しくて、料理できて完璧超人な人を直前に捨てただと?と自分の身内のことみたいに悔しくて悲しくて。それにこんな顔をさせてしまった自分にも腹が立つ。幸子さんに申し訳なくて、本当私馬鹿だって自己嫌悪しても足りなかった。


「雅美ちゃん・・・!」


 幸子さんの慌てた声にはっとして自分が泣いていることに気付いた。いつの間に泣いていたのだろう。どうしちゃったのだろう私突然泣いてしまうなんて。それからしばらく涙が出て止まらなくて、幸子さんは心配そうな顔して私の背中をなでてくれていた。


「落ち着いた?」

「はい。ごめんなさい」

「うん。ありがとう」


 幸子さんに怒られていてもおかしくないけれど、御礼を言われるなんて思っていなかった。お礼なんて言われること全然これぽっちもしてないのに。「かわりに泣いてくれたんだよね」そう言って私の頭を撫でてくれた幸子さんに、私は胸が締め付けられていた。ダメだ。私はこの時初めてこの人のこと本気で好きかもしれないと自覚した。


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