第3話
chocolate×doll 3話
『飲み込んだメーデー』
買い取られ数日、期限が延びない。と返品された。それから検査だと、暴かれて、さんざん遊ばれてからスクラップが決まる。焼却炉の順番を待ちながらぼんやり空を見た。沢山の白い雲がふわふわと行く宛もなくふわふわと漂っている。死にたくなかった。
逃げ出したはいいものの、やはり行く宛なんて無くて途方に暮れた。路地裏で寝転がって、空を見上げて大好きな人魚姫の歌を歌っていると、椿さんに見つかった。
喫茶店で働くようになって数日、夜の仕事をしないか?と勧誘が来た。自分の体質を話したらその人は構わないと言った。君と話だけでもしたい人がいる、と。本当にそれからは、ただのお悩み相談係だった。俺も嬢の仕事をします。って言っても、これはやりたい子だけがやる仕事だ、と一瞥された。君は誰かの話を聞いて、その声を発するだけでいい。と。
けれど、そこに俺の存在理由はない。
ドールとして造られた俺の存在理由が。
自我があると言われるけれど、これは本当に自我なのか。否定の言葉を述べる事、賛同の意思を示す事、そんな事が自我の有無に繋がるのか?その程度の事で。
「そうやって悩んでる事がなによりも、だ」
椿さんはそう言った。意味はわからない。
椿さんは大切な人だ。けど、使われたいとは思わない。彼はただ、俺を可哀想だと思っているだけなんだ。人間はそんなもんだ。道具に可哀想だとは思っても、愛してるなんて言えはしないだろう。
「頂いた金額分は働きますよ」
ーへえ、大変ですね
「大変、大変。お前なら出来るだろーじゃねぇんだよ!てめぇでやれっての!」
ーそれはおかしいですね
「だろぉ?そこそこだとは思うんだけどなぁ?俺より不細工なやつの方がモテんだよなぁー」
まるで数年来の友人のような懐かしい感覚。酒に吞まれ、へべれけになっていく彼を他所に誰だろう?と記憶を辿っていた。
「お前は?」
「え?ああ。カッコイイと思いますよ」
「ちげぇよ」
「ええ?」
「お前は悩みとかないの?こんな客がうぜぇ、とか、同僚が実はハゲてるとか」
「悩み…」
「俺って、ドールに見えますか?」
どれだけ虐げられても、どれだけ感情があっても、俺はチョコレートドールなんだ。それはもう覆すことの出来ない事実だから。
「あ?わかんねぇよ」
「そ、う」
「なんか見えないとまずい理由とかあんの?」
ー理由?
なんだよそれ、わからない。
「ドールじゃないといけない理由、人間じゃないといけない理由だよ。ねぇの?じゃ、いいんじゃね?」
いいもんか。俺は…、ドールとして造られて、人のように心を持って…、俺は、なんなんだ。どっちだ?なんなんだよ、俺は。
ドールとして人に必要とされず、人のような心も持たない、俺は?
どうしてこんなことを彼に問うているのか?…彼は答をくれる気がした…。
「他人の決めた定理に従わないといけない理由が何処にある?お前の人生だろ、てめぇで決めろよ自分の事ぐらい」
「そう、だね…」
「なはは~、ほんでなぁ?俺の悩みやねんけど、そろそろ三十近いのに童貞って…」
俺で卒業したらいいのに、ってそう思った。
「俺ーー」
そうして零れ出た言葉だった。
誰にも打ち明けなかったこと。腐り始めて発し始めた甘い匂いを香水をつけて誤魔化していた。誰にも悟られず、見られず、この腐った生を精算しようと…そう思っていたのに。ただ、ほんの少し、彼の気を引いてみたいだけだった。だというのに…
まるで自らの事のように、いや自分の事ではないからか、当の俺よりも悲しみ、怒った。ベッドに縫い付けられ、その顔を真近に見つめる。綺麗な闇色の瞳に俺が映っている。
何処か、深淵の底にあるような何かが、どろりと蠢き始めた、ような気がした。
それは生存本能からか、果たしてー。
明日終ると、そう受け入れたのに
延びてしまった命がこう告げる
ー死にたくない
『愛して』
俺に会いに来てくれたの?
「っ、ひ…あっ」
海は果てしなく広大だった
「あッ、だめ…」
この世界では俺なんてちっぽけな存在で、俺の悩みなんて取るに足らなくて
「っだめ、もう…また」
夕夜…。だから、夕夜。貴方に全てを、
全てを捧げます。俺の所有者は貴方です。
「うっ、あッ、あぁああ」
貴方が俺を、好きじゃなくても
俺は貴方を
『愛して』います
ー
「おはよ」
夢の泉に浸かっているかのような不鮮明な意識に声を掛ける。掬い上げるように髪を撫でると、ふふっと小さく笑った。
時刻はそろそろ明け方というところか。雀の声が聞こえる気がした。あれから、海からそのまま自宅へと連れ帰り、何度も何度も体を重ねた。思い返すと頭がぼうっとして、顔が熱くなってくる。無我夢中、我武者羅に彼を欲し、無茶をさせ無茶をした結果、疲れ果てて泥のように眠りに落ちた。昂るような匂いや効能の含まれてる体液とかそういうのあるんだろうか。後で調べよう。そんな感じで、昨晩は彼に夢中になりまくっていてその反動が来ているのか、碌に姿を見れないくらいに恥ずかしい。
「お、お腹すいた?」
「すいた、かも」
身をよじらせて起き上がろうとした時、びくりと肩を跳ねさせてから、尻の方を手で覆った。みるみる赤らめていく頬。どうしたん?と顔を覗き込むと、ぶんぶんと顔を横に振った。
「出しすぎ…」
頬のあたりがひくひくとしてきた。笑っちゃいそう。
「使ってなかったからね」
流して来たら?と促すと、こちらもぶんぶんと否定される。嫌だって。顔を近づけ、口付けると、もうダメだよと怒られた。
「もう出ないでしょ?」
「いつ買ったの?」
ドール用のおやつを彼の前に置いた。
「一回お前がトんだ時」
「なにしてんの!?」
俺はプリンを買ってきて、並んで食べた。
幸せだ、幸せなんだ…
彼が目覚めるまで、ドールについて調べた。それらは無機質で心無い文。凡そ人間について綴られたものではなく、「使い方」や「破棄の方法」など、どれも冷たい内容だった。これが「普通」なんだ。ここで異質なのは俺なのか。隣で食べ物を頬張るこいつは、唯の「無機質」なのか。
だからこそ、永遠を約束できるのか。
「ゆうや?」
「え、…ああ。…ん?」
携帯が震えていた。電話?こんな明け方に一報を寄越す不届き者に心当たりがなく案の定知らない番号だったが、それでも彼を見ていると何かが引っかかって、許可のボタンを押した。
「あっ繋がった!蓮さんは無事!?」
第一声がそれかよ。やはり蓮の関係者だ。この声は…喫茶店のあの人か?
「隣で飯食ってます」
「ああ、そう…よかった。君は…志津木さん?」
なるほど。俺はお持ち帰りした事を叱られるのか。世話焼いてそうだったしな。そう言えば、連れ帰ります。なんて知らせてなかったな。
「そうですね。…あの、えっと」
「ならいい。わかった。すまん、君の上司の方に教えてもらったんだ。オレは彼を雇用している喫茶店の店主の椿です。自己紹介が遅れて悪かった。」
「はい、まあ。俺も、なんも知らせなくて、すんません。」
電話越しでもどこかピリリと嫌な雰囲気が伝わる。この人の言動、表情、たぶん蓮に気がある。たぶん。緊張が走る、口が乾いてきた。
「…ねぇ、今時間あるかな?いや、今じゃなくても…今日なら」
「え」
宣戦布告、だろうか。どうする俺。でも、なんだろう。ここで逃げたら男じゃない。とちっぽけなプライドが産声を上げている。
「わかりました」
「ありがとう。昼頃に店まで来てください。お待ちしてます。」
プツン
「どうした?」
「あ、いや……仕事が。…ちょっとだけ出掛けるわ」
陽の光が落ち始めた頃、またあの通りへ向かう。まだ家並は閑散として、いや今日はこのまま眠っているのか。二回目といえど、覚えているわけでもないので、地図アプリを開いて右往左往。ようやくたどり着いた。クローズの札が掛けられているその扉へ恐る恐る手を掛けた。店内の照明は消えていて、大きな窓からはいる傾いた陽の光だけが店内を淡く照らしている。
「ドールの事、どのくらい知っていますか?」
コツコツと革靴の音を鳴らして、カウンターの奥から其の人は現れた。昨日見た雰囲気と何処か違う。無機質だ。
「ある程度は。一緒に住めるくらいなら…」
「住める…飼うの間違いじゃ?」
「は?」
明らかに棘のある言動に目を細めた。
「そう、気を荒立てないで。君と喧嘩をするために呼んだわけじゃない」
そういって、彼は、服の裾を捲った。顕になった手首。
「君に教えることがある。」
バーコード。彼はドールだ。
昨日食べた料理は確かに美味しかった。だというなら、彼はどうやって料理を作っている?ドールに味覚はない筈。食べることは生存する為の手段ではないから。味見をせずに望んだ味を作れるのか?
「オレのことは気にせんでくれ」
立ち話もなんだ。とカウンターに促される。今日、ここで、俺は叱られるわけじゃない、それどころか恋のライバル宣言をされるわけでもない。俺は、知らなければならない事があるんだ。
「自我の作り方を知っているか?」
それは、廃棄されたドールにだけあった人間性。自然発生なんてのではなく、人為的に作られたという。
「そうプログラミングしてるからじゃ」
「計算式で表せるようなものじゃない。創造出来ないなら、パクればいい。簡単なことだ。コピーペーストすればいい」
「死んだ人間の脳を使っているんだ」
「そんな、そんな非人道的な!?」
「勿論これは、誰もが知りうる事じゃない…オレ…オレのこの脳の持ち主のように内部の人間、それから『作ってほしい人間』以外は知らない」
眩暈のするような言葉だった。確かに一から作るにしては余りにも精巧で、全く違和感のない存在。意思。
「亜種型全てに自我があったわけじゃない。望んだ者と叶えられる者がいただけ。けれどそれは失敗だった。自我を道具に与えることは。そうして幾つも返品されそれらを隠蔽する為にまとめてスクラップにした。」
「そんな…勝手すぎ」
「単刀直入に言おう。彼、蓮さんはこれの一人目の成功品。望んだのは、オレだ」
勢いよく椅子を後ろへ飛ばし倒し、立ち上がった。男の目は変わらず無機質で、それでいて虚ろだ。瞬間的に湧き上がった怒りもゆっくりと冷めていく。ならば、おかしい。彼はドールでこの様子だと自我を持っている。ならば蓮は一人目ではない、一人目は椿さんだろう。
「……そう。正しくは、この脳の持ち主。…こいつはとんだクズでな。振り向かない彼を海へ沈め殺し、その脳波のパターンを飼ってた亜種型に流し込んだ。姿は違えど、亜種型はその日から『彼』になった。あまりにも『彼』だった蓮さんに大変満足した『オレ』は、それを会社に持ち込み類似品を量産。新商品として売り出す、と計画を進め始めた。自分の思い通りになる恋人として」
「…あんたは?」
「けれどそんなものは出来なかった。彼は…変わらない。『オレ』は逆上した。絶望した。そうして命を絶った『オレ』を誰かが椿に流し込んだ。…この体になって初めて冷静に物事を俯瞰で見れるようになったんだ。その知らない誰かに感謝している。オレは大罪を犯していた」
それでも、この人の語り口は無機質だった。決まり事のようにつらつらと述べている。他人事のように…。そうしないと持たないんだろう。そんな気がした。なら何故
「どうしてこんなことを喋るか?さて、ここから本題だ」
「オレが『オレ』のことを覚えているのは決して珍しい事じゃない。まるで前世の記憶のように他のドールにも大なり小なり元の記憶があるだろう。」
前世…
「蓮さんは…『彼』は…自殺だった」
「え…だってさっき」
「死に追いやったのが『オレ』と言うだけで、手を下したのは彼だ。何もしないで手をこまねく男ではなかった、という事だ。彼の矜恃を幾度となく踏みにじっていた筈だ。自らの存在理由を砕いてしまうほどに…」
自殺。その言葉が反響し脳の中を満たしていく。自殺…自殺…、何でこんなに引っかかるんだろう?
「心当たりがあるんじゃないか?彼は自らの在り方を君に尋ねたんじゃないか?…まるで人魚が海へ還るようにその身を海へと溶かしていった…。自殺者の霊はその瞬間をひたすらに繰り返すと言う話もある。蓮さんが、海へ行きたいと言った時…」
続く言葉を飲み込んで、彼は大きく息を吐く。その目には温かな光が灯っている様に見えた。それはゆらゆらと揺れて、今にでも消えてしまいそうだ。無機質…?そんなの程遠いくらい、この人は。
「…彼は答えを見つけたんだろう。君の中に…。どうか蓮さんを守ってやってほしい、君が導いて欲しい。」
「少し話し込んでしまったかな。そろそろお腹を空かせて目を覚ますよ」
俺は、揺れていた
あの人が語った話は、徹頭徹尾『作り物』の話だったからだ。ドールは紛い物だ、そう言ってるように感じた。そう感じるくらいに俺は揺れていた。俺は、そう思いたかっただけなんじゃないか?人間と思いたかっただけなんじゃないか?道具扱いする事に嫌悪を示しただけで、根底では同じ様に道具だと思っているんじゃないか?
蓮は俺の物だ。そう、彼に対して敵意を示していた。
買い被りすぎだ。俺は…他の奴らと変わらない。それでも…それでもお前が、俺を愛してくれるのなら…。永遠なんてない。そんな事はわかっている。いつだってそうだ。大切なものはスグに目の前から消えてしまう、失くしてしまう。それでもお前に俺は永遠を求めてしまう。
永遠なんてなかった
それでも…
俺がお前を永遠にできるのなら…
こんな俺を愛していてくれるのなら、俺は…
家に帰ると、そこに彼は居なかった
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