第2話

chocolate×doll 2話

『何も無い世界に連れ出して』



妹が死んで、その時初めてドールと知ってそれから。俺は人間恐怖症になった。普通に会話をして顔を見合わせていた相手が、もしかしてドールなんじゃないか?って。突然死んでしまうんじゃないか?って。また俺は、何も出来なかったと後悔することになるんじゃないか?って。そんなことばかり考える。

成人して働かないといけなくなるまでになんとか回復はした。完治はしていないけど。

だからもう、人と関わる事は嫌なのに、あの人が気になって、仕方がないんだ。

助けて欲しいって、愛して欲しいって、そう言われた気がして。仕方がないんだ。



日が昇ってから数時間、少し肌寒い街を掻い潜って言われた場所を探す。昨日は酒が入っていて正直全然道を覚えていない。それから夜と昼とではこの繁華街はまるで別の場所のように違う顔を見せるから、観念して上司に場所を問いただした。

「角をふたつ…突き当たり…?」

本当にここは、まるで死んだように眠りにつくこの通りは、夜はキャッチの男女で溢れかえっていたあの通りなのだろうか?端末と目の前とを交互に見て、目的の場所を探した。そうして数分辿りついたのは、シックな出で立ちの喫茶店だった。外のブラックボードには、ファンキーな文字で本日の日替わりメニューが記載されている。土曜はハンバーグ定食か。

扉を引くと、カランカランと鐘の音が鳴った。

「いらっしゃい、ま…」

俺、その場で泣きそうになった。

彼はそこにいた。生きている。


「まさか昼の方来てくれるなんて。誰に聞いたの?」

「茉莉花さん」

水とおしぼりをテーブルに置くと不思議そうに、けど、嬉しそうにそう尋ねてきた。外観から感じたものと同じ、シックで落ち着いた雰囲気の店内、制服。夜とは打って変わって、ノスタルジーで何処か懐かしさを感じた。着せられていたメイド服と違って、きっちりと着こなしているエプロン姿に釘付けになる。似合っている。

「一緒に来てた常連さん、か~。あんま教えないでって言ってるんだけどね」

「なんで?」

「お昼はお触り禁止」

「なるほ」

それから、ご注文は?とメニューを受け取った。日替わり定食といちごのシェイクを頼む。

「蓮、さんが作ってくれるの?」

「俺は作れないよ。味わかんないし。あれ?名前教えたっけ?」

「まつりかさん」

「はいはい」

そう言って笑うと厨房の方へ向かっていった。お昼のピークは過ぎたのか、店内には俺しかいない。ちょっとした貸切のような気がしてなんか嬉しい。そういえば、店内にかかるこの曲は、たしか人魚姫の曲だった気がする。聞き覚えがある。子供の頃かな?鼻歌を歌って思いに馳せていると、ほどなくして定食が運ばれてきた。

それから、何故か目の前に彼が座った。

「俺、人がご飯食べてるとこ見るの好きなんだよね」

「気まずいわ」


「なぁ、何時まで?」

「お店?そろそろ閉めるよ」

「違う」

「ああ。…今日いっぱい、かな」

左手の時計の下、あのバーコードが現れた。その下の文字が昨日とは変わっていて…、23:59:59とそう刻まれていた。

「ごめんね、俺があんなこと言っちゃったから。気ぃ遣わしちゃってるね」

「別に」

今ここで、彼を抱けばきっと全て解決するんだろうけど、それは根本的な解決にはならない、というかまず彼に好いてもらわなければ延命させることも出来ないのか。彼が求めているのは、その場しのぎの命じゃない、愛する人のそばで寄り添うことなんだろう。

「ブロッコリー、嫌いなの?」

箸を止めてブロッコリーを眺めていた、眺めてないけど、眺めていたら彼がそんなことを聞いてきた。

「うん」

「俺も嫌い」

もっと、生きる事にしがみついて欲しい。そうすれば俺は、なりふり構わず、全部君のせいにしてその身体を抱き締めるのに。好きになってもらおうと足掻くのに。

「何処か行きたいところないの?」

「なんだよ藪から棒に…あ、海、見てみたいな」

「わかった」

「なんだよ」

「行っておいでよ蓮さん」

奥の方から一人の男性が声を投げてきた。すらっとした見た目のインテリそうな男の人。キッチンの人だろうか。椿さんと呼ばれた男は、こちらのテーブルまで歩み寄ってきて、彼の肩をぽんぽんと叩いた。

「後はオレがやっとくから」

「でも」

「連れていってくれるんですよね?」

「はい、責任を持って」

「ね、蓮さん」

渋った顔をしてそれから仕方なくといった面持ちで席を立った。彼の姿が見えなくなると俺の食べた食器を盆に乗せてそれからこう言った。

「本当は、今日の朝が期限だったんですよ。」

「え?」

「あはは。オレが何度迫っても拒否するくせに、貴方には自分からキスしたって聞いて結構妬いてます」


「蓮さんを宜しくお願いします」



暫くして、私服姿の彼が姿を現す。パーカーにチノパンでラフな感じ。今日だけでいろんな彼を見れた気がする。それから駐車場まで一緒に歩いた。

「え、何でそっち乗るん?」

「こっちじゃないの?」

「助手席来て」


「何?」

熱い視線を感じて横を見やると、綺麗な目でじっと見つめられていた。慌てて前を見る。

「いや、運転してる姿カッコイイなぁって。ってちょ!?事故んなよ!?」

「うるせぇばーかばーか」

「知能が下がっている!?」


夕夜さん何聞くの?そういって勝手にオーディオをつけ、俺も知ってるよ!っと言う。適当に歌ってみせると、上手いなぁ、って。それから身を乗り出して、今度は俺越しの外を見て感嘆の声を上げた。

「あれが海?広ー!」

「見たことないの?」

「テレビでしか…」

窓を開けると潮の香りが車内に広がってきた。小学生のように身を乗り出して外を食い入るように見つめている。

「何処まで続いてんだ…」

「水平線の向こうは断崖絶壁で、でかい滝があるんだって」

「ホント!?」

「嘘。痛っ」


駐車スペースを適当に探して、車を停めてから砂浜の方へ向かった。都会の砂浜はお世辞にも綺麗とは言い難い。日が落ち始めの頃だからだろうか、季節柄か、人気はない。サクサクと砂浜を歩き、それから波打ち際で止まった。

「夕夜さん。ありがとう」

「じゃあガソリン代払って」

そう言って顔を近づけると、掌が顔と顔の間に割入れられた。少し傷ついた。

「ごめん」

「好きじゃないから?」

彼の目が俺を見る。瞼は重く乗っているけれど、それでも意思の強そうなしっかりした目だ。

「俺の事、好きじゃないから?」

そんな双眸もゆらゆらと揺れて、水面のように困惑している。

「そんな事まで喋ったのか」

「俺が聞いた」

「どうして、どうしてただの数分一緒にいただけの俺に…そんな」

「お前が助けてって言ったんじゃん」

たぶんこれは俺の勘違いだけど、そうであって欲しい。勘違いであって欲しい。そんな問いかけだった。死にたいやつは死ねばいい、けれど、生きたいと、そう言ったのならば、俺は…もう後悔はしたくない。

「ほんと、はね。覚悟も出来てた。覚悟なんていらないな。朝起きて顔を洗って朝食を取るのと同じように、期限切れは当然の普通、なんだよ。そうだった。」

「そう」

「でも、なんでかなぁ、俺。前世が悪人とかだったのかなぁ、徳を積んでこなかったんだろうね」

「うん」

ひとつひとつ紡がれていく言葉。丁寧に伝えられる言葉。それはあまりにもか弱く、儚くて、波の音に攫われそうになっている。振り切って空を仰ぐその横顔を俺は一生忘れられないだろう。

「最悪、最悪だ…なんで…くそっ!苦しいよ…会いたくなかった、夕夜さんになんて会いたくなかった!!」


「ごめんね…好きなんだ…」


きらきらと落ちていく雫を掬って、それからその唇へ口付けた。拒否する手が胸を肩を押してくるけど、形だけで力なんて碌にはいってない。腰を引き寄せて体を更に密着させる。ぎゅっと瞑っていた目がゆっくり開き、それから口が控えめに開かれる。お互いの舌を絡ませ、溶けあわせて、水音を脳に響かせていく。波の音も鳥の声も風の音も聞こえない。彼の荒い息だけが俺の耳に届く。それからどれくらいの間そうしていたのか、暫くして彼の身体が崩れ落ちた。弱々しく肩で息をついている。背筋を嫌な予感が駆け巡って、彼の手首をみた。けれど、予想していたものとは打って変わった、正反対の結果がそこには刻まれている。

今から三日程後の日付だ。

「立てる?」

顔を覗き込むと、随分蕩けた顔がそこにあった。綺麗な桜色に色付いた頬、撫でると温かい。もう一度同じようにキスをすると、体をビクビク震わせ、堪えるように衣服を掴んでくる。

「…イった?」

「馬鹿」

ぽんぽんと叩いてくる手を握ってそこに口付けた。また一日増える。

「おもしろ、もっと増やしたい」

「ばか、ばか…わかってんの?俺の性格…知ってるんでしょ?」

ぽかぽかとまた叩かれる。今度は両手を掴んだ。蕩けきった目をつりあげて、その端からはらはらと涙を零している。

「もう、夕夜としか…キスもえっちも出来なくなった!生きたくなった!生きて生きて、生き続けて、夕夜に気持ち良くしてもらいたい…、夕夜に気持ち良くなってもらいたいって、思っちゃったじゃねぇか!バカ!」

「蓮、どうしたい?」

彼の額に自分の額をくっつける。ドールが全て彼のように死ぬことを恐れないのか、諦めてるのかは知らない。彼の過去に何があったかも知らない。けれど、それでも、この世に、死にたいと思って生まれた命なんて無いはずだ。

「生きたいぃ…うぁあああああ」

胸に埋められた彼の心を包むように、ただ抱きしめた。



それから狭い車内の中で、お互いの身体を確かめ合った。俺達は一つになっていた。ガンガンにかけた音楽の中、熱い息と水音を感じて、肌と肌を溶けあわせ、意識を泡沫のように弾けさせた。

それなのに俺は無視をした。猛る欲も、募る気持ちも理解出来るのに、無視をした。

彼は生きるために俺を求めてくれる。なら俺は、何のために彼を求める?

同情か?後悔か?欲望か?そんなもののために利用するな。ならば。この思いはなんだろうか。

なんてことはない、これは恋心だ。

だから俺は無視をした。


もしそうならば、俺は、失うことに耐えられないから

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