chocolate×doll

かすてら鈴丸

第1話

chocolate×doll



愛玩動物という言葉こそが人間のエゴで暴力的だと感じる。

自らの命のために生物を虐殺し、時には見世物にする。けれど同じようにヒトを殺し、時には見世物にしようならば、まるで親の仇かのように寄ってたかって非難の声をあげるのだ。

ならば、そうならばこれは、とんだ倫理観の崩壊と言えるのではないか?


世間一般にチョコレートドールが布教して十年が経とうとしていた。チョコレートドール、通称愛玩人形、簡潔に言えば人型の成人玩具だ。精巧なダッチワイフと言ったら尚わかりやすいか。

性紀末なんて馬鹿げた言葉が生まれるくらいには、人々は性を隠すことをしなくなっていた。ドールの首に首輪を繋げ、フリフリの服を着せて歩道を歩く人。道端で熱いキスをして、それからそのまま前戯めいたことをする人。十年の月日は人を馬鹿にした。俺もその例に漏れず、そんな光景を当たり前だと思ってしまうくらいには狂っている。

チョコレートドール。人の形をした愛玩動物。人造人間。

人類はとうとうその一線を越えた。


俺はドールが嫌いだ。



「えぇ…本気ですか?」

夜の繁華街、そこから更に暗がりに連れてこられ目の前に現れた「いかにも」なお店。上司に無理やり連れて来られた俺は場違いな顔をしながらその扉を潜った。

「お帰りなさいませ!ご主人様!」

強烈な甘い匂いが扉を開けてすぐに漂ってくる。それから、目のやり場に些か困る格好をした男性……?に出迎えられた。

「また来てくれたんですか♡ありがとうございます!そちらは…弟さん?」

「いやいや、部下ですよ」

生涯見たことのないくらいに顔をだらしなく歪ませた上司。帰ったら脅迫のネタにしてやろうか。そんな事を思っていると突然腕に誰かが絡まってくる。

「可愛いお兄さん♡こういうの初めて?」

「ああ、いや、まあ」

胸元をかっぴらいたお淑やかな男性。男…。猫なで声をあげて、俺の腕に撓垂れるこの人にドキドキとしてしまうのはなんでなんだろうか。プロなのかな?そうか、その道のプロか。何はともあれ、ここは所謂風俗で、しかも男性の相手とヤレる所みたいだ。

「こいつったらまだ童貞なんすよ!ハッハッハ!!」

とんだ余計なお世話だ。飲みの席で、そんな流れになり、口走ったのが運の尽き。こんな辺境の店まで連行され、あわや男で卒業しろと言われている。しかも…

彼らは『ドール』だ



彼らに案内されるままその後ろをついて行っていた。上司は目当ての人がいるみたいでそそくさと連れていかれた。そんな時にみた。

「ひぇ…」

ガラス張りの部屋で、ガッツリ男同士で行為をしている様を。

「あ、大丈夫ですよ。ここは希望者だけなんで。普通は密室です」

「はぁ」

今からこんなことをしなければならないのかと思うと、嫌な汗が、どっと溢れてくる。

「では。どうぞお楽しみくださいね♡」


「失礼しまーす」

恐る恐る扉を開けると、一人のドールがベッドに腰掛けている。さっきの人たちと同じ、胸元の開いたメイド服に身を包んだ人。けれど他の人とは違って、なよっちい体格ではなくちゃんと男と分かるくらいしっかりとした体つきだ。

「はい、どうぞ」

振り向いて、微笑まれる。嬢という雰囲気はまるで感じられず急に現実に戻された感覚に陥る。それから、数年来の友人…のような親しみやすさを感じ、ほっと胸を撫で下ろした。

「単刀直入に言うけど、お兄さんやる気ないでしょ?」

「うぐ…」

「いいって、いいって!そういう人、結構いるからさ!御付き合いは大切だよね」

そういうとその人は立ち上がり、近くのテーブル席へ俺を促す。備え付けの電話でお菓子とお酒を頼むと俺の目の前の席に腰掛けた。

「まあ、頂いた金額分は働きますよ」


悩みを聞いてあげる。と、そう彼は言ったのだ。


お酒もいい感じに回って来て、碌に目も合わせられなかったこの人に腹に積もりに積もった悩みや不満を嘔吐するかの如くぶちまけてしまった。やれ上司はハゲの癖に偉そうだ、やれ顔は自信あるのに全くモテないやら、しょうもない事も言った。

「ちくしょぉ~童貞で悪いかー!」

「いいんじゃないかな?純情で。俺もそういう意味では童貞だし」

目の前の男を舐めまわすように見遣る。こういう優しくて、お人好しなやつに限って女にモテないんだよなぁ、なんて思ってヘラヘラと笑った。

「わかる」

「納得すんなよ!」

俺達、ずっと前から知り合いなんじゃないかって、そんなこと思っちまうくらいにこの時間が居心地良くて安心できて、だからずっと心の奥にしまっていた思いをどろりと落としてしまったんだ。

「なぁ、ドールに生まれて幸せ?」

瞼をピクリと震わせ、大きく目を見開いた。それから目を伏せていく。心臓がチクリと痛んだ。

「生まれて…って言ってくれるんだ」

口許を柔らかく引き伸ばして穏やかに笑った。その姿に釘付けになって、続く言葉がつっかえる。でも言わなくちゃ。

「生き物なんだから、生まれる。だろ」

眉を寄せて、からっと笑った。苦しそうな表情、今ここにいる彼の過去が薄らと見えたような気がして、苦しい。

「優しいんだね」

「優しくねぇよ。卑怯なだけだ」


「俺の妹、ドールなんだわ」

今まで誰にも言えなかったこと。どろりと落としてしまった。


「俺さぁ、養子でさ。ガキの頃はどう足掻いても無神経になるじゃん?言っちまったんだよな親に妹が欲しい!そしたら次の日、何処からか女の子を連れてきてさ。妹だよって。……分かるわけねぇじゃん!セックスしなきゃ延命出来ないなんて…!一緒に遊んで、出掛けて、手を繋いで…そしたら、死んじゃった…。」

懺悔室で罪を述べる感覚というのか。どろどろどろ、と言葉が口から溢れ出てくる。楽になりたい。許されたい、聞いて欲しい……慰められたい。

「親は?知らなかったの?」

そんな俺にまるで、自分のことのように苦しそうな顔で尋ねる。

「みたいだな。たぶん違法サイトとか転売とか、そんなんだろ。ドールって家買えるくらいの値段なんだろ?んなもん買える家じゃない。」

「そっか…」

「俺、テンパって、おぶって病院まで連れていったのに『ペットの検診は受け付けてない』だってよ。そんで、まるで壊れた家具でも回収するみたいに業者に連れていかれて…。墓もない。だから俺はドールが嫌いだ。……俺を傷つけたドールが!」

吐き出して、やっと、ソレが汚くおぞましい物だったと解るんだ。落とした言葉を確かめて、どっと脂汗が吹き出す。目の前の彼はその、ドールだろうが。けれど。

「羨ましいな」

耳を疑うような言葉を彼は吐いた。否定の言葉を返そうと思ったが、彼の身を思えばそれは俺が窺い知ることの出来ない言葉だと容易に想像がついた。オウムのように言葉を返す。

「羨ましい?」

「羨ましいよ。こんなに愛してもらえるんだ。……あのね?俺達って基本的には感情のプログラムはねぇんだわ。けどね、一個だけ使命があるの」


「買ってくれた人を幸せにすること」


「……感情がないなんて、嘘。そんなわけないだろう。あんたはこうやって俺の心を溶かしてくれる。あいつも、いつも笑ってた。事切れるその時まで…。」

凪いだ水面のような、沈黙。木の葉が1枚落ちるように彼は息を吐く。

「じゃあ俺も秘密ぶっちゃけちゃおうかなぁ~」

頬杖をついてニヤニヤと笑っている。気づけば酔いはすっかり冷めていた。体だけがアルコールを含んであったかい。けれど、この温かさもすぐに冷めていく。

「俺、明日死ぬんだわ」

「え…」



白の手袋を脱いで、手首を露わにする。脈を打つその横に赤い掻き毟ったような字体で明日の日付が刻まれている。そういえば、妹の手首にも同じような模様があった気がする。

「これ、消費期限。俺らナマモノだからさ」

「なんで…なんで?」

「俺って、型が古くて、ね。めっきり指名されなくなっちゃって。あはは」

どうしてそんな、当然のような顔をする?

「何笑ってんだよ?!…死ぬんだぞ?」

立ち上がって取り乱す俺とは対称的に、落ち着いている彼。覚悟?諦め?そうじゃない。彼らにとってこれが『普通』だとでも言うのか。

「無駄にしがみついて痴態を晒すつもりは無い。俺ら不良品はこんな最後がしょうに合ってる」

「なんで…」

「けど、しまったなぁ。羨ましくなっちゃった。俺も、誰かに愛されたかったなぁ」

ただ、無我夢中だった。彼の腕を掴んで、ベッドに押し倒す。上に覆い被さってその顔を覗いても、穏やかに笑ったまんまだ。

「無理しないで」

「してない」

「抱けないでしょ?」

ドールの命、期限は、激しい快楽を与えると延期する。その画期的なシステムが永久の命を持つ『人のような玩具』を作り上げた。それがここまで流行った理由と言っても過言ではないだろう。自らの欲を満たせば満たすほどドールは命を伸ばす。性処理に大義名分が生まれる。

彼を抱くことは、救命と言ってもいい行為だ。正義だ。けれど俺はできない、彼も分かっている。俺がドールを同じ「人類」として見ていることを。

「無理しないで、俺の所為で傷つかないで」

「もう傷ついてんだよ!!」

彼の開いた胸元に、ぽたぽたと涙を落としていった。そうして、無慈悲にも終了のベルが鳴る。悔しい、不甲斐ない。これは合意の上での行為だ、けれど俺にはできない。とんだへたれだ…。

「延長する…」

「高いよ?」

「うぅ」

子供のように駄々をこねて彼の上から離れないでいると、頬を包まれて口付けを貰った。

「これでちょっとだけ延びたよ」

「キスでも延びるの?」

「俺が気持ちいいと思え、ば。ん」

ならば、とこちらからキスをする。彼の手が頬から離れて、シャツを掴んでくる。それに促されるまま、もっと深く口付けを交わした。彼の口内は甘ったるく、脳の芯まで蕩けてくる。

「気持ちいい?」

「う、ん。上手いね…」

薄らと雫を溜めた目元、震える手。


なんだ、やっぱり怖いんじゃないか…。




「どうだった?」

夜の繁華街、まだ眠らない街を歩く。

「どうもこうも」

「蓮ちゃん。いい人だろ?」

「…指名してたんすか」

「お前、タイプだろうと思って、さ!」

背中を豪快に叩かれて、数歩前へ進んでしまう。彼の笑顔がまぶたの裏に現れて、目頭が熱くなる。蓮って名前なんだ…。

浮かない顔をしていたんだろうな、俺。上司は、徐に語り出した。あのお店のこと。

チョコレートドールには男性型、女性型、それから二つの機能を持った亜種型がある。男性型基盤で女性機能を持った『ロゼ』と女性型基盤で男性機能を持った『リリィ』。亜種型は子会社が許可もなく作り出した物で、当然のように欠陥が見つかった。

自我を持っていた。

彼、蓮が語ったようにドールには感情が無い。感情と言うより意思、自我を持ち合わせていない。当たり前だ、道具のように扱われるのにそんなものを与えれば、必ず拒否反応を示す。けれど亜種型にはそれが搭載されていた。

当然のように苦情が殺到。道具に逆らわれた、拒否られた。そうして親会社が糾弾し、全ての亜種型は廃棄処分を言い渡されたのだ。それから新しい型のロゼとリリィが親会社から発売されるが、彼らに自我は与えられていなかった。

大規模な廃棄処分宣言から数年が経つがまだ全てを破棄することは出来ておらず、不法投棄されたドール達が行き場をなくし路頭に迷っているのが現状だと言う。

そんな彼らを保護し、同性愛者向けの嬢として雇っているのがあの店らしい。先輩は金儲けと言うが、俺は、合理的でかつドールを思いやったものなんじゃないのかなって、そんな気がした。

蓮はロゼ型のフラワーシリーズという大分古いタイプらしい。彼は、行為の際に感情を重んじるタイプで、好きな人が相手じゃないと快楽を感じず、期限も延びない。意地で彼を指名する人もいたが、今は新規の客のメンタルケアが主な仕事なんだとか。

「またおいで。って言われただろ?な?」

もう一度俺をあそこに連行するつもりなんだろうけど、俺はそんなこと言われなかった。俺が言われたのは謝罪の言葉だった。ごめんね。と。

もう、あの店に蓮はいない…。

黙りこくっていた俺を見て何を思ったのか、先輩はニヤニヤした顔で俺の肩に腕を回して。

「昼に、同じとこ行ってみろよ!」

とそう言った。

「あの店、昼は喫茶店やってんだよ。何も全員がエッチしたいわけじゃないからな。」

胸が走り始めた。そういえば、明日の何時に彼は命を終えるのか。もしかしたらまだ間に合うんじゃないか?だからって俺に何が出来る?何かある筈だ。

彼を愛することなら、俺にだってできるはずだ。

同情なんかじゃない、後悔のせいでもない。ただ、俺は…


『夕夜は優しいね』


……卑怯なだけだ。

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