第11話 5000兆円で立ち上げてみた

「あなた、神様になってみない?」

 奥田准教授の言葉に、和夫は意味が分からず、ただ「はぁ?」と答えた。


「どういうことですか先生?神様とは?」

 和夫に代わって秀夫が質問すると、奥田先生はあっさりとこう言ってのけた。


「和夫君を教祖にして、新しい宗教法人を作るんだよ。どんな宗教で作るかは正直言って別にどうだっていい。教義も私がそれらしいのを全部書いてあげる」

「……すみません、先生、一体何をおっしゃっているんですか?」

「いや、5000兆円の使い方の話だけど」

「先生、宗教法人を作ることと、5000兆円を使うのと、一体何の関係が……?」

「え?そんなの当たり前じゃないか。というか、それ以外の選択肢が無いだろうが」


 和夫も美知子も秀夫も、なぜ奥田先生が突然そんなことを言い出したのか、全く思考が追い付いていなかった。でも奥田先生は奥田先生で、なぜ三人が自分の考えをちっとも理解できないのか、全く思考が及んでいなかった。

 先生は少しだけ面倒くさそうに、三人に説明した。


「そもそも神様が出してきた条件を考えてみると、現実問題として5000兆円を全部預金にも株式にも債権にもすることなんてできないんだけど、それでも全部を一般に公開された形にしなさい、ってものなんでしょ?

 となるともう、どこかの法人に5000兆円を持たせておくしか方法はないだろうな、とまず最初に私は思ったんだ」

「なるほど」

「そこで私はまず、ペーパーカンパニーを新しく作って、その会社に5000兆円の名義を移すという方法を考えた。

 もちろんその会社は、5000兆円を持ったまま十年後まで一切何もしない。何しろ5000兆円という額は、それを使って商売をして、仮に1%の利益が出たとしても、それだけで50兆円にもなってしまうんだから大変なことだ。

 そうすると、日本の法人税率はまぁだいたい30%くらいだから、所得50兆円の30%……つまり法人税だけで15兆円も日本政府に支払うことになっちゃう」


 先生の言葉に、和夫がすっとんきょうな声を上げた。

「税金で15兆円!?」

 秀夫が冷静に説明を補足した。

「日本の税収は60兆円ですから、日本の税収の4分の1をそのペーパーカンパニーが支払うことになりますね先生」


「なんだそりゃ!?絶対にバレるぞそんなの」

「そうなんだ。そんな事になったら大騒ぎだ。すぐにバレてしまう。だから、とにかくその会社はひっそりとただ書類の上だけで存在させ、お金を持ち続けるだけでとにかく何もしない。そうやって十年間をひたすらやり過ごす」

「なるほど……」


 そこで奥田先生は和夫の方に向き直り、目をじっと見つめて言った。

「しかし一方で、そんな会社は非常に不自然だ。巨額の資産を持っているのに何もしていないのだから、税務署に怪しまれて査察を受けてしまうかもしれない。

 それで私は、お金を持たせるなら会社ではなく宗教法人を作った方がいいだろうと考えたんだ」

「宗教法人だとそんなに違うんですか?」

「ああ。何といっても宗教法人は、一般企業と比べて国の管理が非常に緩い。年収8000万円未満であれば、文化庁に提出が必要なのは役員名簿と財産目録だけで、収支計算書も貸借対照表も出さなくていい。だから、まさに今回みたいに巨額の資金を隠しておきたいというケースにはうってつけなんだ。――どうだい和夫さん、あなた、神様になってみないか?」


 そう言って奥田先生はニヤッと笑ったが、相変わらず目は笑ってないので、冗談なのか本気なのか真意がよく分からない。確かに頭はキレるのかもしれないが、よくもまぁこんな得体の知れない人を秀夫は尊敬して付き合い続けられるもんだな、と和夫は思った。


「ええぇ……?でもそんな、俺なんかが神様だなんて……?」

「大丈夫。安心しなさい。実際には書類の上だけの教祖様だ。何もすることはない。

 まず私が宗教法人を立ち上げて、その法人名義で倉庫を所有する。そこに、黒いATMから引き出した現金を保管するんだ。

 ただ、それだけだと神様のルールによれば社会に流しておらず使っていないということになるから、引き出して十日後には黒いATMの残高が元に戻ってしまう。

 でも、宗教法人の設立申請の際に、その法人の所有財産は何円ですと記載しておけば、この倉庫に保管した現金は社会に流されたと見なされる。これならATMの残高は減ったままになるはずだ。

 あとはただ、この作業を5000兆円分繰り返すだけだ。まぁ、怪しまれないために寺の一つくらいは建てるかもしれないが、信者もいない空っぽの宗教団体だよ。どうだい、悪くないだろう?」

「いや急に言われても心の準備ができてませんよ。教祖だなんてそんな……」

「そうだなぁ。例えば君の苗字が金井だから、これを音読みの『キンセイ』にして、使う漢字も変えて『金生教』とかどうかな。この新宗教はできるだけ目立たない方がいいから、全く新しい奇抜な宗教にするんじゃなく、仏教系の新しい一派という風にすべきだろうな」

「ちょっと先生……そんな勝手に話を進められても……」


 戸惑う和夫を無視して、奥田先生はグイグイと勝手に話を進めてしまう。口調は穏やかだが、先生の態度には有無を言わせぬ圧力があった。そんなの嫌ですと和夫は言おうとしたが、多分この先生、そんな事を言ったら一秒後には


「なぜ嫌なの?」

「嫌な理由をきちんと説明して?」

「どこに嫌な要素があるんだい?不安は一つも無いじゃないか?」


などと機関銃のようにまくし立てて追い詰めてくるだろうな、と和夫は直感的に思った。そうなってしまったら、頭の回転の遅い和夫がこの奥田先生を論破するだけの筋の通った反論をするのはまず無理だろう。

 これだから頭のいい奴は嫌いなんだよ。和夫は頭の中でそう悪態をついた。


 和夫がしどろもどろになって回答に窮していると、秀夫が口を挟んだ。

「でも先生、それでも財産目録は政府に提出しないといけないんですよね?」


 その言葉に、奥田先生はふんと軽く鼻息を吐いて腕を組んだ。

「まぁ、それなんだ。このアイデアの最大の問題点は財産目録にある」


 和夫と美知子が意味も分からずに呆然としている脇で、大学で経済学を学んだ奥田先生と秀夫だけが、二人の理解を置いてきぼりにしてポンポンと会話を続けていく。


「金井君――いや、今は結婚して婿入りしたから手塚君か。手塚君の言う通り、宗教法人に対する国の管理がどんなに緩いとはいえ、持っている資産の額は財産目録を提出して政府に申告しないといけない。

 だけどもし、金生教の設立申請をする際に、財産目録に『所有財産:現金5000兆円』なんて書いて文化庁に提出したら、頭がおかしいと思われて却下されるか、要注意団体としてマークされるかだろうな」

「ですよね」

「だから私は、この5000兆円を細かく分けて、たくさんの団体に分けて保有させようと思っている。そうすれば文化庁の目もごまかせる」

「なるほど。だとすると……どうでしょうかね先生。保有させる資産は一団体あたり10億円くらいが、文化庁に怪しまれない限界の金額でしょうか?」

「どうだろうね。そのあたりの感覚は私にもさっぱり分からない。私だってもちろんこんな事の専門家ではないからね」


 奥田先生はそう答えた後で、フフッと苦笑しながら言った。

「ただね、確かに手塚君の言う通り、一団体あたり10億円くらいずつにするのが一番安全だと私も思うんだが、それは現実的じゃないんだよ。

 私はこの金生教を、保有資産100億円で設立申請してみようと思っている」


 秀夫が心配そうな顔で先生に質問する。

「100億円ですか!?それはさすがに多すぎじゃないですかね?そんな金持ちの宗教団体、カルトじゃないかと思って文化庁もさすがに怪しむんじゃないでしょうか」


 すると奥田先生はクックックッと笑った。嫌な笑い方だなと和夫は不愉快に思ったが、とても表情には出せない。

「いや、大丈夫だろうがなかろうが、それくらいの規模にしないと物理的に大変すぎるんだよ。冷静になって計算してみてくれ手塚君。一団体あたり10億円持たせて5000兆円を全部ばらまくとしたら、団体をいくつ作らないといけないんだ?」

「あ……」


 大きく口を開けて驚愕する秀夫の顔を愉快そうに眺めながら、奥田先生は言う。

「500万団体だ。5000兆円を塩漬けさせようとしたら、500万個の団体を作らなきゃいけないんだよ。そんなことができるのか?という話なんだ」


「500万団体!!そうでした……さすがにそれは無理ですね……」

「そうなんだ。だからまず私は、資産100億円で金生教の宗教法人申請ができないかどうか、信頼できる会計士に相談してみる。もしそれで無事に申請が通って『宗教法人 金生教』が成立したら、10年かけて徐々に資産を増やしていって、最終的には5000億円くらいをこの団体に持たせたい」


 秀夫は呆然と呻くようにつぶやいた。

「そうか……もし仮に、金生教に5000億円を持たせることができたとしても、それと同じものを1万団体も作らないと5000兆円にはならないんですね……」

「そうなんだよ。資産5000億円の団体を1万個……500万個を立ち上げるのと比べたらまだ実現可能性はゼロではないが、それでも1万個なんて、何とも気が遠くなるような作業だ」


 秀夫が不安そうに尋ねる。

「できますかね先生?」


 奥田先生の答えに、迷いは一切なかった。

「やるしかない。何しろ資金は無尽蔵にある。秘密を守れる有能な会計のプロを何人も雇って、人海戦術でやるんだ」

 どうやら彼は、やれると判断がついた瞬間に「ひょっとしたらやれないかもしれない」というマイナスの可能性をキッパリと自分の頭の中から全部捨て去ることができる人のようだった。


「ただ、これを全部日本国内でやるとさすがに怪しまれる。金生教とは違う名前にしてカモフラージュした別団体を立ち上げるにしても、これからの十年間で日本に謎の宗教法人がいきなり一万個も設立されて、しかも、どれも5000億円もの資産を持っていたら、文化庁とはいえ、さすがに異変に気づいて怪しむ人がいても全くおかしくない」

「確かに、いくらなんでも不自然ですもんね、それ……」


「だから私は、金生教の支部を世界各国に作ろうと思っている。

 幸いなことにこの黒いATMは、世界中のあらゆる通貨で現金を払い出すことができる。銀行を使わずに各国にお金を送るのが少々厄介だが、まぁ一般貨物に紛れ込ませて少しずつ送れば、船便であれば、そこまで厳密にチェックはしていないだろう。

 むしろこの作業の最大のネックは、現地で団体設立を手伝ってくれる人物をどれだけ見つけられるかどうかだ」

「そんな人に、先生は人脈がおありなんですか?」

「うーん。アメリカ留学時代の友人が何人かアメリカとヨーロッパの金融機関で活躍していて、何人か信頼できる人物はいる。

 ただ、それだけじゃ全く足りないから、そこから紹介してもらって人脈を広げていくことになるな」

「それ……大丈夫ですか?十年で間に合いますかね?」

「わからない。わからないが、とにかく全力は尽くしてみる。いま世界にはだいたい200の国がある。そのうち100ヵ国で金生教の支部を作ることができれば……1つの国で100団体を作ればいい」


 秀夫は天井を見上げて大きな息を吐きながら言った。

「はー。100ヵ国で100団体ずつ立ち上げ、1団体あたり5000億円を持たせる――それでやっと5000兆円。気が遠くなりますね」

「そうだな。でも、実に面白い。この話は本当に面白いよ手塚君」


 話にようやく区切りがついた所で、今まで全く会話に加わることができなかった和夫が二人におずおずと声を掛けた。

「……それで結局、俺は何をすればいいんだ?」


 奥田先生は答えた。

「君は何もしなくていい。あなたはこれから金生教の教祖様になるが、それは名義上だけのことで、実際に君がやることは何もない。君は、とにかく目立たないように普段通りに平凡に暮らすんだ。金が無限にあるからといって、派手に豪遊して近所の噂になるようなことは極力避けてほしい」

「はあ」

「5000兆円の出所が我々であると気づかれてしまったら、その時点で全てがお終いだからな。くれぐれも気をつけて静かに過ごしてくれ。

 その点、今住んでいるこのアパートは非常に都合がいい。まさかこんな所に、世界に流通するお金の半分にあたる大金が隠されているなんて、誰も考えないだろう。だから、あなた方夫婦にはこのまま十年間、この家から引っ越さずにいてほしい。

 あと、無職でいるのも近所から不審な目で見られるからダメだ。どんなに安い給料の仕事でもいいから、とにかく何か仕事について、普通に働いている風を装うんだ」


 和夫はだんだん訳がわからなくなってきた。


 俺は5000兆円を持っている世界一の金持ちなはずだ。

 世界中のあらゆるものを買うことができるだけの金を持っているはずだ。


 それなのに、何が悲しくて俺はこのボロくて狭い安賃貸アパートに住み続け、そして再び働かなければならないのだろうか。


 それだったら5000兆円なんて、もう有っても無くても正直同じじゃないのか?

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