第3話
「はっ。はぁっ。」
暗闇の中、声を漏らしながら無限にあるように思える螺旋階段を一つ一つ、こつこつとヒールのかかとで音を鳴らしながら駆け上がっていく。
モカはまたこの夢かぁ…と、今回は夢の中で夢だと気づくことができた。それでも怖いものは怖い。何かが後ろから後ろから迫ってくる感じは慣れられるようなものではないだろう。
私は走りながらも後ろに何がいるのか、少しチラ見するぐらいならと横目でその正体を見た。
それは暗く大きく…
「きゃああああ!!!」
私はパチっと目を覚まし、身体を起こした。暑くもないのに額の汗を拭いながらさっきの夢のことを考える。
「何か…大きくて、黒い…。」
私が思い出せる範囲はこのぐらいかと、また身体をベッドに倒し、天井を見上げながらため息をつく。
「なんなんだろう。」
寝汗でぐっしょりとした服から着替え、朝の準備を整えていた頃、ドアの向こうからノックの音が二回鳴った。
こんな朝早くに誰だろうと思いながら玄関のドアを開けるとマサコが立っていた。
「ごきげんよう。モカさん。」
「おはよ、マサコ。どうしたの?」
「少し、お話がありまして…。」
私は外は寒いだろうとマサコを招き入れ、マサコの分のコーヒーを作る。
思えばマサコが家に来るなんてこと初めてのことだ。私が一人暮らしをしているのは学生寮だから、場所はそこから割り出したんだろう。ポーっと音を鳴らしたケトルを持ち上げゆっくりお湯を注ぐ。
トクトクとお湯が注がれながらコーヒーの香ばしい香りが辺りに広がる。良い香りだなあなんて思いながら、半分ぐらい注ぎ終わった頃、そういえばお嬢様ってコーヒーなんて飲むの?と手が止まる。それでもケトルのお湯はトクトクと注がれていくのだが…。何か紅茶とかの方が良かったかな…。でも、特に美味しい紅茶なんて持ってもいないし…。そんなことを考えているうちにマサコの分のコーヒーは煎れ終えてしまった。
マサコの前に先程煎れ終えたコーヒーカップを差し出しながら私も席に着く。
「こんな朝早くに話って…何かあったの?もしかしてリリナのこと?」
モカは自分のコーヒーを飲みながら思っていた言葉をぶつける。学校で毎日会うのだから、そこではできないようなお話しなら、リリナのことだろうか。
「申し訳ありません。朝早くに…。リリナさんのことはどうでもいいのです。実はお父様から現王である北山様が戦死したとのお話をお聞きしまして…。」
マサコのその発言にモカは手に持ったコーヒーカップを口に近づけたまま固まってしまった。
北山は私達が住んでいる国、ボラノリスの現王である。南の大陸の亜人達と戦争をしていたことは知っていたが、どこか上の空のような話で他人事のように考えていた。
それにリリナはどうでもいいだなんて…私は結局昨日の晩はマサコがマサコのお父さんにリリナことを話したんじゃないのか気になって上手く寝付けなかったというのに…。
「つ、つまり、私達の国は敗戦したってこと…?」
モカは少し腕を震えながらコーヒーカップを机の上に置いた。受け皿に当たってかちゃかちゃと小さな音が鳴る。
「いえ、敗戦はしておりません。ボラノリスの第一王子である玄様が、今では北玄と名乗り、第一線で戦っております。」
マサコはコーヒーカップの取っ手に手を伸ばしアチッとばかりに手を引っ込める。
「じゃあ、今までと何も変わらないってことじゃないの…?」
モカがそう言うとマサコは首を横に振った。
「いいえ、ここからが本題になります。」
マサコはコーヒーカップにはしばらく手を伸ばさないつもりだろうか、膝の上に手を置いた。
「現王となった北玄様は学生達、及び教官達もの出陣を望んでおられます。」
「え…?」
私はその言葉に空いた口が塞がらなかった。私はまともに魔法を使えるようにもなっていないのに戦場に駆り出されることになるのか。
「ですから、私達はこのまま出奔しませんか?」
私の開いた口は未だに塞がらない。マサコの話声だけが部屋に響く。
「私は元より戦地に駆り出されるために学舎に通っていたわけではなく、自分の身は自分で守れるようになるために通っておりました。」
その事については薄々勘づいてはいた。マサコのようなお嬢様が戦地に駆り出されることはないだろう。
私は魔法使いに憧れて…なんて言ったら空気が壊れるなと思い、開いた口はそのまま閉じた。
「しかし、学舎に居ては皆と同様に戦場に駆り出されてしまいます。」
「なるほど…え、でも、マサコのお父さんが話をつけてくれば良いんじゃないの?」
私がそう言うとまたしてもマサコは首を横に振る。
「お父様は今朝、戦地に旅立ちました…。」
真佐子のお父様は昔、名を挙げた英雄のパーティの1人だったという話を聞いたことがある。学舎に通うような未熟者達を駆り出すような非常事態だ。人手が足りていないのだろう、マサコのお父さんが戦地に行くのは当然のような気もする。
「だから、逃げ出すしかないってわけね…。」
私は震えているのか掴んだままのコーヒーカップが受け皿に当たりカタカタと鳴る。
モカが呟くとマサコは席から立ち上がり、モカの前で膝を地面に着けてモカの震える両手を取り、両手で包み込んだ。
「そう、だから出奔しましょう。」
マサコの目には薄っすらと涙が見えた。お父さんのことも心配だろうし、一緒に戦地に行きたかったのかもしれない。マサコも苦渋の判断だったのだろう。もしかすると、マサコのお父さんがマサコの事を出奔するよう諭したのかもしれない。
「私まで…いいの?」
モカは戦地に行くために魔法を学舎で学んでいたはずだ。ここで一緒に逃げ出していいのだろうか。頭の中にモヤが渦巻く。だが、まともに魔法も使えないモカが戦地に赴いても足手まといになるだけなのは考えるまでもなかった。
「私、モカさんが本当は強いって事、知ってますのよ?」
マサコは目に涙を浮かべたまま少し口元を緩ませた。
「昨日のこと?」
「さあ、なんのことでしょう?」
何かマサコは大きな勘違いをしているのではないか…昨日の火の玉のことは私は本当に何もしていない…なんて考えるがマサコの目の真っすぐさに負けた。
「分かった。私なりに精一杯、マサコのボディガードをするよ。」
私は席から立ち上がると、マサコは私の両手を手で包み込んだまま満面の笑みを浮かべる。
「ありがとうございます。」
マサコが私に合わせて立ち上がる時に部屋をぼんやりと眺める。この部屋ともこれでお別れかな。
「さあ、行きましょう。外に馬車を待たせてありますの。」
「え、そうだったんだ…。」
「お父様に昨日の晩、頂いたんです。」
「へぇ…。」
やっぱり、マサコのお父さんがマサコの身を案じ出奔するように仕向けたのだろうか。
身支度を軽く済ませ、外に出ると、背筋がピンと伸びたスーツの老人が立っている。
「私はマサコ様の執事のボルホイと申します。いつも、マサコ様よりモカ様のお話はお聞きしておりました。どうぞ、お乗りください。」
右手を胸に当て、深々と頭を下げる、マサコの執事と言う人物は白髪と白い髭を生やした絵に描いたような人だった。
「どうも…。」
私は軽く頭を下げて、馬車の方を見上げる。荷物も結構乗りそうな立派な馬車で、マサコは既に乗り込んでいた。
「モカさん、こちらですわ!」
マサコは笑顔で私に向かって手を振る。
「あはは…。」
私は少し圧倒されながらもマサコの方に向かう。
寒空の下、老人を外で待たせるなんて…マサコも言ってくれれば…そう思いながらチラッと執事の方を見るが、執事のボルホイは笑顔で何ともないような顔をしていて、この人も大変なんだろうなあと笑顔で返した。
私の部屋には結局マサコが口を付けることがなかったコーヒーカップがポツンと机の上で孤独感を漂わせていた。
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