南十字発、北極星行

@fushigimizu

本文

南十字サウザンクロス停車場。機関車に燃料が補給される様子を、男は感慨もなく見つめていた。


周りに人影はない。当然のことだ。ここは天上の入り口、来る者はいても去る者はいない。使徒の鍵は来る者のためにしか使われない。そんな漠然とした考えが甲高いベルの音に掻き消される。発車の合図だ。男は列車に乗り込み、運転席に向かって挨拶を投げる。返事はない。そもそも、運転手がこの中にいるかどうかも、男は知らなかった。この列車は自動ひとりでに動いているのかもしれない。尤も、男はそんなことを今更確かめる気にはならなかった。列車は理屈に合わず、大きく揺れを生じて走り出す。


男は車内を歩く。男は車掌であるから業務として当然だが、誰も乗ってはいないことは男にはわかっていた。故にこれは、業務に託けた暇つぶしというべきだろう。窓の外を星々が流れる。初めて見たならば感動もするが、男はそんな感性をどこかに置いてきてしまっていた。


嘗ては、この列車は常に客を乗せていた。それも生者を、だ。乗客の望む限り何処までも走っていた。それが南十字サウザンクロス止まりとなり、死者を天上へ運ぶだけの棺桶に成り下がって久しい。過去の繁栄に、もはや実感はない。何故こうなったかと、嘗て考えたことがある。結論は一つだった。つまり、結局はこれが夢に過ぎないからだ。もはや人は宇宙を走る鉄道の夢など、昼間には見ない。昼間に見ない夢は、眠った程度では実在にならない。ここは、死んで初めて来られる世界となったのだ。……そんな高尚なものでもないはずなのだが。歩きながらそんなことを思い出していた男は、足元に紙切れを認めて拾い上げる。死者に与えられる、鼠色の切符だった。


列車は走る。天の川を越え、太陽系を抜け、さらに走る。男と、居ないかもしれない運転手の他には誰も乗せないままに。走った末に、やがて北極星ポラリスが近付いた。


北極星ポラリス停車場。列車が止まるのに合わせ、男は列車から降りる。先頭の機関車が切り離され、反対側へと移動する。再び南十字サウザンクロスへと向かうのだ。男は客車の側面に取り付けられた、《北極星》の表示を《南十字》に取り替える。


一通り取替が終わって周囲を見回した男は、プラットホームに人影を認める。確かめるまでもなく、皆死者であろう。それでも、居ないのに比べれば良いものかもしれないと、男は考え始めていた。いつかはこれが当然になり、生者を運んでいた時代は思い出からも消えていくのだろう。そんなことを考えながら、男はいつもの如く機関車の給油を眺めに行った。

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