第六章 ロートスの歯車

八十、門外不出の

 追刻の糸車の残りの素材の一つであるロートスの歯車――世界のどこかに存在すると言われているロートスの樹木を材料にしなければならない。

 ブリュノワ王国にいたときはその存在を確認することはできなかったけれど、ダルトワ帝国の図書館で閲覧した古い文献に、興味を惹かれる記述があった。


『ロートスの木は古き魔法の国の聖域にのみ植生するが、その果実は忘却の果実。なんびとも口にしてはならない』


 およそお伽噺と言っても過言ではない物語めいた文献ではあったけれど、他に手掛かりはない。では古き魔法の国とは一体どこにあるのだろうか。


「うーん……」

「随分悩んでおるのう。どうしたのじゃ?」


 飲んでいた紅茶が冷めてしまうくらいに思考していたらしい私に、向かいで紅茶を飲んでいたアンが首を傾げながら尋ねてきた。


「あ、いえ、古き魔法の国ってどこのことだろうと考えていたの」

「ああ、お主が言っていたロートスの木が生えているという場所か」

「ええ。お伽噺のような文献だったから信憑性は怪しいのだけれど、唯一の手掛かりなのよね」

「ふむ……。お主のグリモワールに記載はないのか?」

「残念ながらロートスの木のことは記録がないのよ」

「古き魔法の国か……。そういえばお主のそのグリモワールも魔法国の文字で書かれておるのじゃろう?」

「ええ、そうね。ソルセリアという国の文字だと記憶しているわ。今はもう存在しない古い魔法の……」


 古き魔法の国――そうだ。どうして気付かなかったのだろう。もしかして大きな見逃しをしていたのかもしれない。

 急に黙り込んでしまった私を見てアンが首を傾げる。


「どうしたのじゃ?」

「ソルセリアが件の国だとしたらどうしてロートスの記述がないのかしら……。ロートスの木……ロートスの果実……忘却の……」


 かつての黒のグリモワール使いが忘却の実を食べてしまったら? 食べたあとの記憶を一切留めていなかったとしたら?


「記述がないのは果実に原因があるのかも……」

「む……。忘却の果実というやつか。じゃがいずれにしろその国は今はもうないのじゃろう? 儂もソルセリアなる国は聞いたことがないぞ」

「そうだけど、ソルセリアが存在していた場所は分かっているから、そこへ行って手掛かりを探すしかないわね」


 そもそも古き魔法の国がソルセリアだという確信もないのだけれど。

 私の言葉を聞いたアンが肩を竦めてふぅと大きな溜息を吐いた。


「まったく……。雲を掴むような話じゃな。ソルセリアの聖域か……。あいつなら何か知っておるかもしれんのう」

「あいつ?」

「エヴラールじゃ。あの男はカーンにおったころから古代史の研究をしておったからのう。そっち方面の知識量においては儂ですら及ばぬ」


 エヴラールさん――竜の国カーンの出身で今は帝国で占星術師をしている人だ。『働きたくなかったから』という言葉が頭の中に印象深く残っている。


「そうなの。エヴラールさんってすごいのね」

「まあ、ほとんどのことには無関心じゃったが興味のあることに対してはどこまでも執念深く探求するやつじゃからのう。あやつならもしかすると……。じゃがあくまで可能性の話じゃ。帝国くんだりまで行って空振りじゃ時間の無駄になろう」

「そうねぇ……」


 だとしても少しでもロートスの情報を得る足掛かりになるなら……とアンに告げようとしたところで、じっと何かを考えていたアンが口を開いた。


「儂があやつの所へ行こう」

「え、アンが?」

「うむ。その間にお主は現地へ赴くといい。それとこれを受け取ってくれ」


 アンから手渡されたのは雫の形をしたキラキラと光る綺麗な瑠璃色の結晶だった。細い銀の鎖がついている。まるで宝石のようなそれが掌でコロンと転がる。


「これは?」

「これは儂の鱗から作った伝話の首飾りじゃ」

「伝話?」

「うむ。これを耳に着けておけばいくら離れておろうが互いに会話ができるのじゃ。儂ら竜の王族のみに作り方が伝わる門外不出の品なのじゃが、クロエたちに渡しておこう」

「そんな重要なものを貰っちゃっていいの?」

「うむ、構わん。お主らのことは心から信頼しておるし、今後のことも考えると持っておいたほうがよいじゃろう。ほれ、これはエルネストとハルの分じゃ」


 そう言ってさらに二つの首飾りを渡された。門外不出という割には随分と大盤振る舞いだ。


「耳飾りでもいいのじゃが首飾りなら服の中に隠せるじゃろう。なんせ門外不出じゃからの」

「そうね」


 私はアンに貰った首飾りを身に着けて服の中に隠した。


「アンさま一人じゃ不安なんで、アタシがアンさまについていきますねぇ」


 いつの間にか庭から戻ってきていたハルが、テーブルに置いてあった首飾りの一つを手にしてニコリと笑った。


「別に儂一人でも構わんが……」

「クロエさまにはエルネストさまがついてますから大丈夫としてぇ。アタシとしてはむしろアンさまの方が心配ですから」

「なぜじゃ」

「一人で行って、またフラフラっと誘惑に負けてアンさまを狙ってたやつらに捕まりでもしたらどぉするんです~?」

「ぐぬぬ……」


 ハルに突っ込まれて何も言い返せないとばかりにアンが言葉を詰まらせる。


「そのほうがいいかもしれないわね。それに帝国に竜であるアン一人で乗り込んだら何かと憶測を生むかもしれないわ。私の侍女として認知されてるハルが私の代理としてついていったほうがいいかもしれない」

「おまかせぇ。そういえばあの男ももうすぐ狩りから帰ってくると思いますよ~」

「そう。じゃあ、帰ってきたら遠征の打ち合わせを始めましょうか」

「……解せぬ」


 ハルと私で淡々と話を進めている横で、アンがボソリと呟いた。

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