閑話 アランの悔恨
クロエ嬢がブリュノワを去って三日が経つ。ふと気付くと、あれから頻繁にクロエ嬢のことを思い出してしまう。別にクロエ嬢に好意を持っているというわけではない……と思う。あの婚約披露パーティの夜、クロエ嬢に言われた言葉が心の中に棘のように刺さっているからだ。
『あのとき、お二人はそれが正義だと思ってらっしゃったのでしょう?』
確かにそう思っていた。ミレーヌ嬢を守ってあげたいと思っていた。庇護すべきか弱いミレーヌ嬢を虐待する悪女に、ミレーヌ嬢が傷ついた分だけは仕返ししないと気が済まなかったのだ。半ば衝動的に、あの婚約破棄の夜会の夜、僕はクロエ嬢に風の刃を放った。
だが時間が経って冷静になればなるほど、非力な女性に対してあのような乱暴をするなど非道でしかないのではと考えるようになった。気付いてしまったあとも考えないようにしていた。ミレーヌ嬢を虐待していた女に罪悪感を持ってしまったことを、どうしても認めたくなかったからだ。
「だけどそういう問題じゃなかったんだよね。例え悪人でも、公人なら感情的に力を奮うべきじゃない、か……」
「アラン。クロエ嬢のことを思い出しているのか」
目の前で紅茶を口に運ぼうとしていたトリスタンが、カップを持つ手を止めて尋ねてきた。今は、レオナール殿下の執務室で休憩を取っていた最中だった。レオナール殿下はミレーヌ嬢の様子を見るために席を外している。
「うん。僕らはあんなに簡単に許されるべきじゃなかったと思うんだ」
「ん、どういうことだ?」
「クロエ嬢に謝罪をしてさ。謝罪は受け入れられて、そのままこれまでと変わらずに過ごしているだろ?」
「ああ」
「結局僕らは何の罰も受けていないんだ。王太子から遠ざけられたわけでもないし、貴族たちに後ろ指をさされているわけでもない」
「まあ、そうだな」
「だが僕らは彼女に暴力を振るって傷付けたんだよ。その事実はなくならない。殿下が婚約を破棄した夜は、自分が正義の鉄槌を下したのが誇らしくすらあったんだ」
「ああ、俺もそう思ってた」
「だけど冷静になってみれば、ただの弱い者虐めにすぎなかった。僕はあの過去を消して、穴があったら入りたいくらいだ……。いっそクロエ嬢の手でボロボロになるまで叩きのめしてくれればよかったのに……」
「それが罰じゃないのか」
「え?」
トリスタンの口から飛び出した意外な言葉に、僕は驚いてしまった。
「ボロボロになるまで叩きのめしてほしかったという気持ちには激しく同意する。……せめて頬を引っ叩いてほしかったと思うが、何の罰もなかったからこそ、このモヤモヤをずっと抱え込む羽目になってしまっただろう」
「うん……」
「すっきりする資格などないということなんじゃないか」
「それはそうかもしれないけど……。だけどさ、それって僕らが罰がなくて儲けたとばかりに、罪悪感を欠片も持たずに生きていく可能性もあったわけで」
「それならそれでいいと、クロエ嬢は思ったんじゃないか」
「どういうこと?」
「俺たちや殿下がこれまでと変わらないなら、この国の未来は暗かっただろう。変われば未来は明るくなるかもしれない。だがそれは彼女にとってはどうでもいいことだ。この国の未来を案じて、俺たちを更生させる義務など、彼女にはないということだ」
「……トリスタンがまともなことを言ってる」
「俺はいつもまともだが?」
トリスタンの言葉が妙に腑に落ちた。レオナール殿下が言っていた。我々もこの国もクロエ嬢に見限られて当然だと。確かにそうかもしれない。クロエ嬢はこの国に対して何の責任も負う必要はない。僕らが追放したその日から、クロエ嬢はこのブリュノワ王国とは無関係になったのだ。
「それにしても綺麗だったよね……」
「ああ、まるで女神のようだったな」
「もしクロエ嬢が以前と同じ姿で現れて同じことを言ったら、僕らは素直に聞き入れただろうか」
「分からん」
「ああ、またモヤる……」
クロエ嬢の言葉の正当性の有無に、外見など関係しない。――はずなんだけど、以前の姿で同じことを言われたとしたら、こうしてすぐに反省できただろうかと疑問に思う。
クロエ嬢の圧倒的な美しさを目にして言葉を失った。その美貌がクロエ嬢の言葉に圧倒的なカリスマ性をもたらしていたのは確かだ。
言葉の正当性そのものに外見は関係ないが、クロエ嬢の美貌は、僕らの目と耳と心を強制的に開かせた。クロエ嬢にしてみれば計算してそうしたわけじゃないのだろうが。
「外見に左右されるとか……。ああ、もう僕って本当にどうしようもないな……」
「……過程はどうあれ、俺たちが変わればそれでいいんじゃないか? 二度と同じ間違いをしないように、自分の行いを客観的に判断できるようにしないとな」
今日のトリスタンは何か悪い物でも食べたんだろうか。トリスタンの着ぐるみを着た別人ってことはないよね?
「君、トリスタンだよね……?」
「お前、俺を馬鹿か何かだと思ってないか?」
「いや……」
バカだとは思っていない、脳筋だと思っていたけど。――と、それは言わないでおこう。先を越されたようで癪に障るけど、トリスタンの言う通りだ。
「貴族にとっては美しさも武器ってことだね」
「まあ、そういうことだな」
「貴族とは何かってとこから、学び直すか……」
「俺は二度と弱者に暴力を振るうことはしない。相手が男でも女でも身分がどうでも、弱者を守る本物の正義の騎士になる」
「なんか子どものころの目標みたいだね……」
「ああ、今さらなのは分かってる。それだけ、子どものころから成長してなかったんだろう」
「言えてる……」
落ち込んではいられない。何もかも分かったような気になって慢心していた自分を捨て去るのだ。子どものころから成長してないなら、今までの二倍も三倍も勉強してレオナール殿下を支えられるようにならなければいけない。
なれないようなら殿下の側から離れた上で、一から出直すしかないだろう。折角クロエ嬢に気付かせてもらったんだ。自分が未熟で、なおかつ衝動的で感情的な性格であることを痛いほどに自覚した。これからもレオナール殿下を支える立場でいるつもりなら、誰に対しても冷静で公平に判断できるようにならなければいけない。
反省すべき点は山積みだけど、僕には信頼できる仲間がいる。レオナール殿下もミレーヌ嬢もいる。相手が殿下やミレーヌ嬢だとしても、ときには諫め、ときには友の言葉を聞き入れて自らを叱咤して、この国と一緒に成長していかなければ。
この国から去ってしまったクロエ嬢に心からの感謝を抱きつつ、ブリュノワ王国の未来に真剣に向き合おうと決意を新たにした。
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