六十四、ルブラン公爵
「それにしてもクロエ嬢、貴女が無力だというのも間違った情報だったのか……」
レオナール殿下が苦々しげに呟いた。その点は私が意図して隠蔽したことなので、知らないのは仕方がない。リオネルには露見してしまっていたけれど、どうやらレオナール殿下には言わずにいてくれたようだ。ちらりとリオネルを見ると、リオネルが小さく頷いた。何と説明しようかと少し考えたあとに、私はレオナール殿下に答える。
「殿下、先ほど私が会場で述べた言葉を覚えておいでですか?」
「ああ、覚えている。グリモワールの力のみに頼るのは危険だと」
私は大きく頷いた。
「あれは真実です。国が一個人の力に依存しすぎるなど、あってはならないことだというのが私個人の見解です。周囲の協力があればミレーヌの力でも十分に国に貢献できましょう」
「……それはそうかもしれないが、グリモワールの正当な継承者というのはやはり」
「国が決めたのならば、正当な継承者はミレーヌです、殿下。それにグリモワールの血筋をなんとしてでも入れたいという王家に、私は入りたくありません」
この国と縁が切れているからこそ、はっきりと拒否できることだ。私は誰にも縛られない。誰にも利用されない。この国の王族に従う義務はない。
「そうか……。婚約を破棄した私が言うのもなんだが、はっきり言われると結構衝撃があるものだな」
「ご期待に添えず申しわけありません」
「む……。もしかしてリオネルは全て知っていたのではないか? ルブラン公爵家を密かに調べていたと聞いたぞ」
いきなり話を振られたリオネルが少し驚いたように目を瞠ったあと、肩を竦めて答える。
「全てを存じ上げていたわけではございません。全ての真実を究明したかっただけでございます」
リオネルはそう言ったきり口を噤む。やはり独自に調べていたらしい。しかも王太子殿下にばれている。顔に出る人だから隠し事はできないだろうと思っていたけれど。
「そうか。お前にも心労をかけたな。全ては俺の落ち度だ。すまん」
「いえ……」
リオネルが答えてすぐに、ミレーヌが一大決心したと言わんばかりに口を開く。
「あの、殿下。お姉さまの虐待というのは実は嘘でした。ごめんなさい」
「ああ、それか。それはもう把握している。だがミレーヌの口から真実を告げてくれてほっとしたよ。このままだと君のことを永久に信用できなくなりそうだったからね」
「っ……! も、申しわけございません!」
「本来ならば王族に虚言など重罪だが、ミレーヌの言葉を妄信してクロエ嬢にあんな仕打ちをする判断したのは私だからな。自分が未熟だったのだと、いい勉強になったよ。頼むからもう二度と嘘は吐くな」
「はい、肝に銘じます……」
ようやく嗚咽が止まって落ち着いたミレーヌが私に向かって告げる。
「謝って許してもらえるようなことじゃないけど、嘘を吐いたのは悪かったわ。許してとは言わない。どんな罰でも受けるわ。……そしてさっきのは、その、ありがとう」
さっきの――それは会場での対処のことだろう。ミレーヌの「ありがとう」なんて、初めて聞いた気がする。私は思わずフッと笑みが零れた。
「貴女はそれだけ殿下のことをお慕いしていたんでしょう。もう過ぎたことです。それに、結果的にはこうなってよかったと思っているし……」
「えっ?」
私の言葉の意味があまりよく分からなかったのだろう。ミレーヌが首を傾げた。ちょうどそのときだった。コンコンと応接室にノックの音が響く。レオナール殿下が入室の許可を出すと、一人の騎士が入ってきた。
「ルブラン公爵がミレーヌさまを引き取りにいらっしゃっています」
「分かった。通せ」
「はっ」
しばらくして騎士に連れられてお父さまが応接室に入ってきた。私とは目も合わせないまま、殿下の前で跪いて深々と頭を垂れた。
「この度は私の不肖の娘が大変なご迷惑をおかけいたしましたことを、心よりお詫び申し上げます」
「ああ、貴殿は全てを察しているのだな。ミレーヌも深く反省しているようだから、今回のことは不問とすることにした。それよりもあの窮地を貴殿のご息女のクロエ嬢に救われたことに感謝している。素晴らしいご令嬢だ。彼女に対するこれまでの数々の無礼、許してほしい」
殿下の言葉に対してお父さまは無表情のまま答える。
「恐れ入りますが殿下、私の娘はミレーヌ一人のみでございます。そこの娘は勘当しておりますゆえ、私とは何の関係もございません」
お父さまの言葉を聞いて、殿下がひゅっと息を飲んだのが分かった。お父さまの気持ちは分かっていたけれど、こうして改めて聞くことになるとは思わなかった。もう耳にしたくはなかった。
「其方っ、それは……。いや、全ては私が悪いのだ。……だがそもそも、なぜありもしない虐待を使用人ともども証言したのだ? 一体クロエ嬢の何がそんなに……」
「殿下、クロエは我が家に置いておくべき存在ではありません。偽証については謹んでお咎めをお受けいたします。けれど全ては身内のこと。クロエの籍について、どうかこれ以上の追及はご容赦いただけないでしょうか」
「だが……」
「殿下」
これ以上はもう聞きたくはない。私は不敬を承知で殿下の言葉を遮った。
「どうか、それ以上は……。私は今のままで構いません。公爵家に戻りたいとも思いません。ルブラン公爵閣下にはミレーヌさまがいらっしゃればいいのです。今の私に親はおりません」
私のそんな言葉を聞いてもなお、お父さまは何の感情も表さない。憎々しげに睨みでもしてくれれば、まだ憎悪の対象としてでもお父さまの心に存在できているのが分かるのに。
「お姉さま、それは私も妹じゃないってこと!?」
ミレーヌがキッと睨みながら私に詰め寄った。嫌われていると思っていた妹の予想外の言葉に若干戸惑う。
「ミレーヌ、戸籍上はそうなるわね。けれど絶交というわけではないんだし、貴女が望むなら別に私は……」
「駄目だ」
お父さまが私の言葉を強く遮って、ミレーヌの手を掴んだ。
「クロエ、二度と戻らぬようにと申し渡したはずだ。公爵家の敷居を跨ぐことも、ミレーヌや私に近付くことも許さない。今後一切我が家に……グリモワールの血族に関わるな」
「ルブラン、それはあまりに……!」
「おと……公爵閣下。承知しました」
再び言い渡された絶縁宣言に胸が締め付けられる。私は一礼をしてお父さまの意志を受け入れた。そのときのお父さまの顔を見る勇気はなかった。
「おいっ、黙って聞いていればお主! 父親じゃろうが! それじゃあまりにクロエが憐れじゃ! クロエが何をしたというのじゃ! なんとか言え!」
「アン、いいのよ。ありがとう。もういいの……」
「クロエ」
お父さまは私たちのほうを見向きもしない。そして何も答えない。
「それでは殿下、これで失礼します。また後日ご挨拶に伺います」
お父さまはそう言ったあと、ミレーヌを連れて応接室を出ていった。一度もこちらを振り返らなかった。こんな気持ちになるなら二度と会いたくはなかった。お父さまとはいつからこんな関係だっただろう。もう思い出せない。
一度は完全に関係を絶ったつもりだった。ミレーヌとももう二度と会うことはないと思っていた。この会場へ来ても、ミレーヌがどんな妃になろうとも私には関係ないと思っていた。
けれど人の命が失われるのを止めたいという気持ちと同時に、ミレーヌを救いたいという衝動が抑えられなかった。このままだとミレーヌは婚約者どころか罪人になるかもしれない。ルブラン公爵家も没落してしまうかもしれない。そんなふうに想像して、気付いたら動いていた。
お母さまが亡くなって以来、公爵家にはつらい思い出しかないのに、憎まないまでも関心などもう残っていないと思っていたのに、私は家族に対する情を捨てることがとうとうできなかったらしい。どう考えても惨めだけれど、そんな人間らしい感情が自分の中にちゃんと存在していたことに、どこか安堵する気持ちもある。
応接室を立ち去ったお父さまとミレーヌの足音が徐々に小さくなっていく。私は深く記憶に刻み込むように、遠ざかる二人の足音にじっと耳を澄ませていた。
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