五十九、ダンスのお誘い

 挨拶が終わったあと、料理が置かれているテーブルの側へと向かった。皆、マルスラン殿下を護衛すべき立場なのに、なぜか私を囲むように立つ。絶対防御の構えだ。

 そんな中、アンが目の前のオードブルから料理を皿に取って、上品に口に運びながら遠慮がちに告げる。


「それにしてもお主の妹、ミレーヌじゃったか。なんと頭の悪そうな……すまん」

「いいのよ。私も同感だもの」

「残念な王太子妃誕生ですねぇ。イヒヒ」

「なんだか嬉しそうね、ハル」


 はぁ……。未来の王太子妃に決まって、ミレーヌも少しは冷静な判断ができるようになったかと思っていたけれど、以前と何も変わっていない。あの様子だと、自分が環境に合わせるんじゃなくて、周囲の人たちを自分に合わせようとしているのだろう。我が妹ながら本当に迷惑な性格をしている。

 レオナール殿下も側近たちもさぞ苦労をしていることだろう。きっと「可愛く笑えば大体のことは乗り切れる」とでも主張しているに違いない。


「いやあ、危なかったよ。もう少しで「今度この国潰しに来るね」って宣言しちゃうとこだったよ。話には聞いていたから知ってたけど、君の妹、筋金入りで……だね」

「まったくだな。あれ以上捲し立てるようだったら、その場で首をへし折ろうかと思っていた。まあ……にいくら説教しても無駄だろうしな。力で捻じ伏せたほうが早い」


 マルスラン殿下もエルネストもごにょごにょ言っているけど聞こえてるから。別にはっきり言ってもいいのに。私だって昔から知っているから。ミレーヌが感情的で短慮で……だって。

 私たちが談笑しているところへレオナール殿下が近付いてきた。何を言われるのだろうかと不安になる。ゴミ同然のように罵られて追い出されたのだ。マルスラン殿下がいなければまた断罪するなどと言い出しかねない。私は咄嗟に身構えた。


「マルスラン殿下。クロエ嬢をダンスにお誘いしてもよろしいでしょうか」

「……クロエ嬢がよければ私に止める権利はありません」

「……」


 どうやらダンスのお誘いだったようだ。レオナール殿下に私とのダンスの許可を求められたマルスラン殿下が、氷の微笑を浮かべて答えた。一緒にいるエルネストは無言で氷点下の空気を醸し出している。本当に氷点下になるからやめてほしい。

 マルスラン殿下の冷ややかな対応に、レオナール殿下は私に手を差し伸べていいのかどうか迷っているようだ。マルスラン殿下の「本当は嫌だ」という意図を読み取ったのかもしれない。

 周囲を見るといつの間にかダンスが始まっていた。ファーストダンスはミレーヌと踊ったのだろう。恐らく今般若のような顔でこちらを睨んでいるに違いないミレーヌのことは見ないようにする。

 そして殿下が私をダンスに誘う様子を遠巻きに見ている男性二人に気付いた。騎士のトリスタンと魔道士のアランだ。二人を見て思わず眉根を寄せそうになるのをぐっと堪える。

 トリスタンとアランは特に睨みつけているわけでもなく、何とも判断のつかない複雑な表情をしていた。驚きの表情に近いかもしれない。


「私でよろしければ喜んで」

「……ありがとう」


 レオナール殿下の表情は何やら複雑だった。私のことを憎んでいるにしても、ばつが悪いにしても、私の存在など無視すればいいのに。「喜んで」という言葉に反して全然喜んでなどいなかったけれど、王族からのお誘いを断るのは最低限の礼儀に反してしまう。マルスラン殿下の顔を潰すわけにもいかないと考えて、レオナール殿下の手を取ることにした。

 ホールの真ん中にエスコートされて片手を取られて腰に手を回される。つかず離れずの適切な距離だ。ステップを一歩踏み出して思う。私がダンスをするのは一体何年ぶりだろう。

 そもそもあのときの夜会も久しぶりだったし、たまに出席しても地味令嬢をダンスに誘う物好きな男性はいなかった。そんなことを思い出していたところで、レオナール殿下が恐る恐るといったように口を開く。


「クロエ……嬢、君は私の婚約者だったにもかかわらず、なぜミレーヌを虐待などしたのだ。そんなことをしなければ……」


 そんなことをしなければ、何だと言うのだろう。真実を知ろうともしなかったくせに。


「お言葉ですが、殿下、私がミレーヌさまを虐待したことなどただの一度もございません」

「……ではなぜあの場で申し開きをしなかったのだ」

「私は以前申し上げたはずです。証拠はあるのですかと。ミレーヌさまと公爵家の証言を証拠と断定される皆さまのお話を聞いて、何を申し上げても無駄だと察しましたので」

「だが、真実ミレーヌを虐待などしていなければ婚約破棄とて言い渡さなかったかもしれないではないか」


 ステップを踏みながら、そう言い募る殿下を見て私は大きく溜息を吐いた。


「殿下。最初に婚約破棄を断言されましたのに、申し開きを受け入れてあとで破棄を覆すことなど不可能でしょう。そのようなことをされては王族としての信頼を失いかねません。それに……」

「それに……?」


 レオナール殿下は私の表情を真剣な眼差しで見つめている。この人は私からどんな言葉を引き出したいのだろう。どんな会話が交わされようと、過ぎ去ったことをどんなに語ろうとも不毛でしかないのに。


「殿下は、私のような地味な婚約者でずっと屈辱的で恥ずかしかったと、そう仰いました。真実がどうあれ、ミレーヌさまと添い遂げるとお心に決められていたのでしょう?」

「それは……!」

「殿下、たとえ政略結婚のもとに結ばれた婚約とはいえ、私たちは決して良好な関係とは言えませんでした。殿下がミレーヌさまと親密になる前は、私なりに歩み寄る努力はしていたつもりです。けれどお二人の仲睦まじい様子を見て、いつかこんな日が来ることは分かっていました」

「歩み寄っていた、と君は言うが、それならばその姿は何なのだ? それほどに美しい姿をしていながら、なぜ私にすら真実の姿を見せなかったのだ?」


 外見で現状が変わったというなら、あの夜会における殿下の主張の正統性はどこにあるというのだろう。


「おかしなことを仰いますね、殿下。まるで私の外見如何によって婚約が破棄されなかったかの仰りよう。ミレーヌさまへの虐待とグリモワールの正統な継承者でなかったのが、婚約破棄の理由ですよね?」

「ああ、そうだ。だが虐待の事実がなかったのなら、他に選択肢はあった」

「私が学園であえて埋没するよう振る舞っていたのは母を殺した首謀者を捜し出すためです。全ては追い求めていた真実を突き止めるため。あのとき王族も貴族も、私に協力してくださる方は誰一人いらっしゃいませんでした。王侯貴族に私の味方がいるとは思えませんでしたから、誰にも真実の姿を見せることはございませんでした。殿下、貴方さまも含めてです」

「そうは言うが、君が打ち明けてくれればきっと……」


 私は苦笑しながら首を左右に振った。きっと? 真実の姿なら私の言い分を聞いてくれたと? 地味な私には見向きもしなかったのに? ――そんな理由で流される相手を心から信頼などできるわけがない。そんな私の顔をレオナール殿下が切なげな表情で見つめている。


「あのころの殿下のどこに、私が信頼できる要素がございましたか?」

「……」

「そうは言っても、私が誰も信じていないのですから、誰に信じてもらえなくてもある意味仕方がないと諦めていました。ええ、私はとっくに諦めていたのですよ、殿下。学園で貴方さまとミレーヌさまの仲睦まじい姿を見てからというもの、この国の王侯貴族の全てを」

「……見限られたのはこちらということか」

「そのような恐れ多いことを申し上げているつもりはございません。無能な私がグリモワールの正統な継承者であるはずはないと……そしてミレーヌさまを正当な継承者として判断されたのでしょう? でしたら、私の外見がどうあれ、これ以上過去の話を蒸し返すのは無駄なことかと」

「……そんなこと分かっている」


 レオナール殿下は、少し拗ねたような諦めたような表情で溜息を吐いた。

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