五十八、お祝いの挨拶
婚約披露をするレオナール殿下とミレーヌの元へ、主賓でもあるマルスラン殿下と一緒にゆっくりと歩みを進める。踏み出す足が重い。今のところ主役の二人は私のことに気付いていないようだ。
二人を見守るように奥に静かに佇む男性が視界に入る。その男性はミレーヌを見守っていた視線を私に向けた。
(お父さま……)
ミレーヌの婚約披露パーティなのだからお父さまがいてもおかしくはない。けれどやはり顔を合わせるのはつらかった。きっと私のことが分からないのだろう。お父さまの表情に変化は見られない。
お父さまは私を見つめたまますうっと目を細めた。もしかして私がクロエだと気付いたのだろうか。ただ相変わらず表情に変化は見られない。ほんの数秒だけ私を見つめていた視線をミレーヌへと戻した。
お父さまの気持ちが分からない。あれだけミレーヌを可愛がっていたのだ。レオナール殿下との婚約をさぞ喜んでいるだろうと思っていたけれど、二人に向けている眼差しには何の喜びも見られない。
(私のことに気付いているかしら……。今さらこんなこと気にしても仕方ないわよね)
お父さまのほうに気を取られて気付かなかったけれど、私たちの行く先に佇むレオナール殿下の目は大きく見開かれて、その視線は私に釘付けになっていた。口が半開きになっている。何をそんなに驚いているのだろう。
「ルブ……夫人……」
レオナール殿下が小さく何か呟いたのが分かった。よく聞き取れなかったけれど、自分の婚約者以外の女性を長く見つめるのはあまりよろしくないと思う。
とはいえ、レオナール殿下の隣に立ってその腕に手を添えるミレーヌも、マルスラン殿下とエルネストを交互に見て頬を染めてぼうっとしている。……どっちもどっちか。
マルスラン殿下はレオナール殿下の前に進んだあと、うっとりするような余所行きの笑顔を浮かべて祝辞を述べる。
「レオナール殿下、ルブラン公爵令嬢。ダルトワ帝国皇太子のマルスラン・ダルトワと申します。お初にお目にかかります。この度はご婚約おめでとうございます。お二人の将来に幸あらんことを心から願います」
「あ、ありがとう、ございます。遠路はるばる今夜のパーティに出席してくださって、大変嬉しく思います。どうかごゆっくりおくつろぎください」
「そうさせていただきます」
レオナール殿下の様子がおかしい。マルスラン殿下には落ち着いて答えていたけれど、僅かに動揺しているのが伝わってくる。もしかして私がクロエだと気付いたのだろうか。
「それで、マルスラン殿下。恐れ入りますが、よろしければお連れのご令嬢をご紹介くださいませんか?」
レオナール殿下の願いを聞いて、マルスラン殿下がこれ以上ないというくらいの極上の笑みを浮かべた。これは絶対に喜んでいる。素の笑みだ。
「彼女は私の親しい友人でクロエ嬢といいます」
「クロエ……まさか、いや、そんな……」
「彼女はこのパーティに出席するのを遠慮したいと固辞していたのですが、私が説得して無理矢理ついてきてもらったのですよ。私にとってとても大切な人ですから、ぜひレオナール殿下にもご紹介したいと思いまして」
「大切な、人?」
目を大きく見開いたまま、レオナール殿下が固まっている。二の句が継げずに口をはくはくと動かしている。
一方私の名前を聞いたミレーヌは徐々に顔を真っ赤に染めていく。恥ずかしいからではなく、なにやら憤慨しているように見える。ちらりと二人の後ろを見ると、お父さまの視線が再び私に注がれている。けれどさして驚いた様子はない。やはりすでに気付いていたようだ。
「なぜお姉さまが帝国の皇太子殿下の隣にいらっしゃるのかしら? もはや貴族でもない平民のお姉さま」
ミレーヌが頭を後ろに反らして私のことを睥睨する。私よりも背が低いのでそうしないと見下すような視線を向けられないのだろう。
「ルブラン嬢、クロエ嬢は私が帝国に招待したのですよ」
「マルスラン殿下……」
主賓の一人である隣国の皇太子殿下をいきなり名前呼びしている。――ミレーヌは相変わらずミレーヌのようだ。王妃教育はちゃんと真面目に受けているのだろうか。この国の行く末が心配になってくる。
私に対して敵愾心を隠しもしないミレーヌの隣で、未だ呆然と私を見つめているレオナール殿下が呟く。
「そうか、あれはクロエだったのか……」
「あれ」? いったいなんのことだろう。
「失礼ですが殿下、クロエ嬢は私にとって大切な人です。呼び捨てはやめていただきたい」
「いや、しかし、彼女は私の……」
「
「その外見は、なぜ隠して……」
「そうよ! いやらしいったらないわ! やっと私が上に立てると思ったのに、素晴らしい男性を二人も侍らせて」
「はべ……」
こんな公式の場で何という下品なことを言うのだろう、この妹は。私的な会話なら兎も角。王妃教育で慎み深くあれと教育されていないのだろうか。お母さまが生きているときにあんなに注意されていたというのに。
ミレーヌの言葉を聞いたマルスラン殿下とエルネストの周囲の温度が二~三度下がった気がする。エルネストに至ってはまた冷気を漏らしているのではないだろうか。城を氷漬けにするのはやめてほしい。
同じくアンとハルも笑顔を保ったまま冷ややかに怒っているのが伝わってくる。アンは笑顔を保ったまま眉間に皺を寄せかけている。器用だ。
「ルブラン嬢、貴女の言葉を私の大切な人を侮辱する言葉と受け取ってもよろしいですか? 私は大切なものを守るためならどんな手段をも惜しみませんよ」
「ミレーヌ、よさないかっ!」
レオナール殿下が慌ててミレーヌの口からさらに吐き出されようとしている暴言を制止した。いい判断だと思う。誰かが止めないと、ミレーヌは昔から逆上すると手が付けられないのだ。
「レオさま、でもっ」
「お前は戦争を起こす気か!」
「っ……! そんなつもりはないわ! ……フン、お姉さまがいくら見た目だけ美しく着飾っても、所詮は張りぼてよ。無能であることに変わりはないわ。グリモワールの正当な継承者は私なの。だからこの国の正妃になるのも私以外にはあり得ないのよ」
「ええ、左様でございますね。おめでとうございます、王太子殿下、ミレーヌさま」
私の祝いの言葉を聞いたミレーヌがさらに顔を赤くして頭から湯気を出さんばかりに憤慨しているのが分かる。別に挑発したつもりじゃないのに。ドレスのパニエの中でこっそり地団太を踏んでいるんじゃないかと想像してしまう。
「彼女が怯えているのでご挨拶はここまでとさせていただきます。今日は楽しませていただきますね」
「ああ、婚約者が失礼をしました。どうぞごゆっくりお過ごしください」
私たちは一礼をして挨拶を済ませてその場を離れた。もう疲れてきたから、一人だけで宿に帰ってもいいだろうか。私はまだまだ続くパーティを思って、大きな溜息を吐いた。
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