五十七、ブリュノワ王国へ

 いよいよ婚約披露パーティの日が訪れた。当日だというのに私たちは未だに帝国にいる。というのも、馬車での移動が大変なので竜化したアンの背中に乗せてもらうことにしたのだ。アンに乗せてもらえばブリュノワに到着するまでに、一時間もかからないだろう。

 ブリュノワの王宮に滞在することを躊躇う私のために、マルスラン殿下が前もって王都でいちばん高級な宿を借りきってくれていた。なんだか申しわけない。私がそう言うと殿下は悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「だって当日に君の姿をいきなり見せたほうが、彼らに衝撃を与えられるだろう?」

「衝撃……」


 マルスラン殿下は一体何を期待しているのやら。そして殿下の言葉に何度も頷くアンとハルを見て、私は思わず溜息を吐いた。どうやらこの三人はまるで共犯者のように、妙な結束力で繋がっているようだ。

 エルネストだけが私の気持ちを分かってくれているのか、心配そうな表情を浮かべたまま、顎に指を当てて何やら深く考え込んでいる。


「着飾ったクロエを見たら、我を忘れた不埒な輩が近付いてくるに違いない。人目に触れないように害虫を始末するにはどうすればいいか……」


 ……何やら違う心配をしているようだ。私は再び溜息を吐かざるを得なかった。

 私たちは文字通りひとっ飛びでブリュノワ王国に到着した。ひと目につかない場所で降りて借りきっている宿へ向かう。

 今回は移動の都合もあって、マルスラン殿下の護衛は対外的にはエルネストだけだ。けれど実際は、パーティに出席する五人全員が護衛たり得る強さなので、少数でも全く問題はない。王国側は、帝国の皇太子殿下ともあろう人物があまりに身軽で驚くだろうけれど。「近くまで来たのでちょっと遊びに立ち寄りました」くらいの身軽さだ。

 私にとってはそれがとてもありがたい。正直ブリュノワにはあまり長居はしたくないし、パーティが終わったらすぐに立ち去りたい。王宮に滞在などもってのほかだ。


「ほう、なかなかにいい宿じゃのう」

「想像していたよりも高級な宿ですねぇ」


 ハルとアンが宿に入った途端に感想を漏らす。確かに平民ではなかなか泊まることのできないほどの宿泊料を請求されそうだ。宿の中に備えられている家具や内装のしつらえが上品で、その質の高さが窺える。


「いよいよ今夜だね。君の仕上がりを楽しみにしているよ。じゃあ、またあとでね」


 嬉しそうな笑みを浮かべるマルスラン殿下と客室の前で別れて、自分たちの部屋へ入る。私とハルとアンが同じ部屋、マルスラン殿下も安全のためにエルネストと同じ部屋に滞在することになっている。

 そして別の部屋には先行して到着していた帝国の侍女たちが滞在していて、私の準備を手伝うことになっている。


「クロエさまはとてもお美しいですわ。マルスラン殿下の婚約者でないのがほんっとうに残念でなりませんわ!」

「まるで現世に舞い降りた女神のようですわ……。私、倒錯した世界に堕ちてしまいそう……」

「あ、ありがとう」


 陽が沈む前にドレスや化粧の準備に取り掛かってくれた侍女たちが、口々に私を褒めてくれた。あまりにも手放しで褒められるので、なんだか恐縮してしまう。

 鏡を見ると、透明感のある青い生地で仕立てられたドレスが私の緋色の瞳と銀の髪によく合っている。腰の辺りのドレープで私の小さな腰が少しだけボリュームアップされている。そして例のごとく胸元はかなり開いていて、白い胸が強調されている。……何とも心許ない。

 そしてイヤリングとネックレスは銀とエメラルドの上品な細工のものだ。エメラルドはマルスラン殿下の瞳の色と同じだけれど、ドレスの色に合わせただけで特に他意があるわけではないだろう。

 準備を終わらせてマルスラン殿下とエルネストに合流した。私の姿を見た二人の反応があまりにちぐはぐで戸惑ってしまう。


「クロエ……。ああ、なんて美しいんだ。今夜の主役は間違いなく君だよ。会場に到着したら君のことを自慢して回ることにしよう」

「確かにクロエはとても綺麗だ……。だがアクセサリはエメラルドよりもサファイアのほうがいいんじゃないか?」


 手放しで褒めたたえるマルスラン殿下に対して、眉を顰めるエルネストを見て、段々不安になってくる。もしかして似合わないのだろうか。


「おいおい、エルネスト。やっかむなよ。ドレスが青なのにサファイアは微妙だろう。というか、ドレスが君の瞳の色なんだからアクセサリくらいはエメラルドでもいいだろう? 欲張りだな」

「……俺は別にそんなつもりで言ったわけじゃない。すまない、クロエ。今夜の君は凄く綺麗だと思う。ただ、その、あんまり笑顔にはならないほうがいい。害虫が」

「ああ、クロエ。美しい君を精々見せつけてやろう。エルネストの言うことは気にしなくていいから」

「あの、主役はミレーヌとレオナール殿下なので……」

「いや、クロエ、君だよ。ああ、楽しみだ!」


 アンとハルは控えめなドレスを着用して、私の側付きの侍女として参加することになっている。けれど二人とも控えめなドレスにもかかわらずとても美しい。色気なんて私に比べるとかなりのものだ。幼女のアンですら私よりも色気があるのではないかと思う。

 拗ねるエルネストと、みるからにワクワクしている殿下とアンとハルと一緒に、王宮の夜会会場へと馬車で向かった。


(いよいよだわ……。はぁ、憂鬱……)


 会場の前で馬車から降りて、マルスラン殿下の腕に手を添える。それにしても今日の二人は一段と格好いい。慎ましやかな紺色の王族の礼服がマルスラン殿下の色気を引き立たせていて、表情に浮かべる笑みもいつもより五割り増しくらいに蠱惑的だ。

 対してエルネストはきりりと表情を引き締めたまま笑顔を浮かべることもなく、静かにマルスラン殿下のあとについている。けれど黒っぽい騎士服がエルネストの色気を強調してみせている。笑みがなくとも氷のような眼差しを向けられた令嬢は心を射抜かれてしまうだろう。

 私の呼吸で緊張を感じ取ったのか、会場に入る直前でマルスラン殿下が耳元に口を寄せて囁く。


「大丈夫だから、怖がらないで。君は何も悪くないのだから、堂々としていていいんだよ」

「はい……」


 マルスラン殿下にエスコートされて会場に入ってすぐに、ざわめいていた会場が静まり返った。貴族たちの視線が私たちに一斉に注がれている。

 そんな中、真正面に一段と豪華に着飾ったレオナール殿下とミレーヌがいた。ミレーヌはこれでもかというほど宝石を散りばめた薄紫のドレスを身に着けている。流石主役といった感じのゴージャスな二人は、キラキラとしてとても目立っている。

 そのレオナール殿下とミレーヌの視線も会場入りした私たちに注がれていた。そしてミレーヌは一瞬頬を染めたのち、私に向かって射抜くような鋭い視線を向けた。

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