六十、お誘い再び
レオナール殿下は私の手を取ってダンスを続けながら切なげな表情を浮かべる。
「君は覚えているだろうか。私が君と婚約する前にルブラン公爵邸に訪問したときのことを」
言われてみれば確かに殿下が屋敷に訪問したことがあった。あのときはお母さまが存命だった。まだ幸せだったあのころが懐かしい……。
「……そういうこともございましたね」
「ああ。初めて君の屋敷を訪問したとき、君の母……ルブラン公爵夫人の美しさに目を奪われた。幼いながらも女神が顕現したら、きっとこのような感じなのだろうと感動したものだ。そして夫人のドレスの裾を掴んで恥ずかしそうにしていた、夫人とよく似た妖精のような美しい少女には心を奪われた」
「……」
「あれは君だったのだな、クロエ嬢。あの虐待の話がミレーヌの虚言だったなら、俺はまんまとミレーヌに騙されて初恋の少女の顔に泥を塗りつけた上に乱暴に追い払ったわけだ」
私に初恋? ――思いがけない言葉を聞いて僅かに動揺した。
「殿下。重ねて申し上げますが、もしも今日、私が以前の姿で出席したらどんな対応をされたでしょう? こうしてダンスに誘われることもなかったでしょうし、相も変わらず疎まれて真実を申し上げる機会もなかったことでしょう」
「それは……」
「殿下、切っ掛けはミレーヌだったかもしれません。けれど度々の判断や行動の選択をされたのは殿下です。今のこの状況は殿下自身の選択の結果ですわ」
「そうかもしれないな。……クロエ嬢、立場上公に謝罪をすることは許されない。だからこの機会に私の気持ちを伝えたい。君のことを信じずに君を断罪して、本当に申しわけなかった」
「殿下……」
「許してくれなくとも構わない。許されるとは思っていない。あのような暴力まで看過したのだから……いや、私も加わっていたも同然か。許されないことをしたと思う。私はこの結果を甘んじて受け入れようと思う。だがミレーヌに関しては……」
レオナール殿下が苦々しそうな表情を浮かべて話を続ける。
「これから先、正直信じることができそうにない。愛しいと思う気持ちもよく分からなくなってきた。だが私の思いとは関係なく、グリモワールの正当な継承者であるミレーヌを王太子妃とすることは決定事項だ。覆すことはできない。……そんな苦い思いを抱いてこれから生きていくことも含めて、私が受け入れなくてはならない罰なのだろうな」
レオナール殿下のミレーヌに対する愛がその程度のものなら、ミレーヌとはお似合いかもしれない。恐らく後悔に打ちひしがれているのだろう殿下の心の嵐など、私には理解できないし、したいとも思わない。この国の行く先がどうなろうと、もはや私には関係のないことだ。それよりも……
「……殿下、もうそろそろ」
いつの間にかダンスを二曲も続けて踊っていた。婚約者を差し置いて、王太子と二曲立て続けにダンスをするなど、本来ならばあってはならないことだ。迂闊だった。もっと早く声をかけるべきだった。きっとミレーヌが般若のごとき形相で私を睨んでいることだろう。うんざりするので確認はしないけれど。
私の言葉を聞いたレオナール殿下が、合わせていた手に一段と力を籠めて私の手を握る。放さないと言わんばかりだ。殿下の手の温度が熱い。でも私の頭は恐ろしく冷えている。切なげな殿下の顔を見ても何の感慨も湧かない。
「もっと君と踊りたいのだが……」
愛しい人との待ちに待った婚約披露パーティだろうに、婚約者でもない私に何ということを言うのだろう。先が思いやられるのはミレーヌだけじゃないかもしれない。
「そのようなお言葉をいただくなど、私などには分不相応に過ぎます。どうかミレーヌさまとお幸せに」
「クロエ……」
殿下が唇をギュッと引き結んで私の手を放した。私は一礼をしてその場を離れる。不毛な会話だと思っていたけれど、私の気持ちはすっきりしていた。
レオナール殿下とのことは全て過去に流したつもりだった。好意があったわけではない。ただ、こんなことになる前に一度もきちんと言葉を交わしていなかったことに気付いたのだ。
(殿下と話したことで、私も完全に過去のこととして割り切れたみたい。割り切っていたつもりだったのに……)
恋愛感情があったわけではないと思う。それでも穏やかな関係を作るために、なんとか心を寄せようとしていた相手だ。それなのに、わけのわからない冤罪をかけられて誤解をされたまま国をあとにすることになった。真実も心の内も打ち明けて、その上で終わりを告げることができたことで心の中が晴れたようだ。
ちらりと見ると、ダンスを踊っていた間に、殿下の側近たちがミレーヌを囲んでいた。アランとトリスタンとリオネルの三人だ。顔を赤くして憤慨しているミレーヌを宥めているようだ。
リオネルは無表情で静観しているようだけれど、アランとトリスタンは見るからに不機嫌なミレーヌに向かって懸命に笑いかけている。……ご苦労なことだ。愛しい王子さまが間もなく戻ってくるだろうから、早く機嫌を直してほしいものだ。
皆の元に戻ると、アンやハルに憐れむような眼差しで見られた。マルスラン殿下とエルネストはかなり不機嫌に見える。帝国組にとって、レオナール殿下やミレーヌには、あまりいい印象がないようだ。まあ最初の挨拶がいきなりあれでは当然か。
「クロエ、その、なんじゃ、ご苦労じゃったの」
「厭味ったらしいことを言われたりしませんでしたぁ?」
アンとハルはかなり心配していたようだ。けれどレオナール殿下と話せたことは、結果的にはよかったように思う。
「ミレーヌが虐待されたと言い張っているのが言いがかりだって認めてくれたようだし、ちゃんと話せてよかったと思うわ。すっきりしたもの」
「ちゃんと話した上でこちらから引導を渡せたのならよかったのう。じゃが、あっちはモヤモヤが溜まっただけのようじゃのう」
「かなり表情が暗いですね。ざまぁとしか言いようがありませんねぇ」
「そう?」
ハルの言った通り、ミレーヌの元へ戻っていくレオナール殿下は完全に表情をなくして肩を落としていた。王族なのだからもう少し表情を取り繕えないといけないと思うのだけれど。
それに自分が追い出した女との縁が切れていることに安堵こそすれ、がっかりする要素など一つもないだろうに。
私たちの会話を聞いていたマルスラン殿下が極上の笑みで私に手を差し出す。
「クロエ、よろしかったら私ともダンスをお願いできませんか?」
「……ええ、喜んで」
そう答えた瞬間、足元にぶわっと冷気が漂った気がした。恐る恐る冷気の発生源を見ると、完全に表情を消したエルネストが、先ほどの不機嫌な表情に輪をかけていた。
「……エル、なんなら君がクロエをダンスに誘ってもいいんだよ?」
「私は殿下とクロエの護衛騎士ですので、ダンスを踊る立場ではございません」
「はぁ……。そう言うならそんなに分かりやすく不機嫌にならないでくれ……」
エルネストはよほどレオナール殿下が気に入らないのだろう。私がそんな殿下と二曲も踊ったことが不愉快なのかもしれない。エルネストは案外子どもっぽいところがあると思う。
ダンスの誘いに応じてマルスラン殿下の手を取ろうとしたところで、再び珍客が現れた。パーティのもう一人の主役ミレーヌだ。いつの間に近付いてきていたのだろう。全く気付かなかった。
ミレーヌが身をよじりながら甘えた声でマルスラン殿下に声をかける。しっかりと猫を被り直している。いつもながら見事だ。
「マルスラン殿下、今夜は私たちのためにパーティにお越しくださって、ありがとうございます。それと、先ほどは失礼いたしました。淑女としてあるまじき言動でしたわ」
「……謝罪をされる相手が違うのでは? そうすべき相手は貴女の目の前にいるでしょう?」
ミレーヌはちらりと私を見てツンと顔を逸らしたあと、愛らしい笑顔を浮かべてマルスラン殿下を上目遣いで見つめた。
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