五十二、貫かれる

 ベルゼビュートの蔓の攻撃は攻撃をしながら反撃の隙を与えないという、防御面においても優れた攻撃だ。このまま躱し続けていても埒が明かない。こちらがベルゼビュートの動きを拘束できれば反撃の隙ができるかもしれない。一度大きく下がってベルゼビュートから距離を取る。


「ドリアード、私の元へ」


 私はドリアードを呼び出した。


「ご用でしょうか、メートレス」

「ベルゼビュートを拘束して」

「承知しました」


 ドリアードはすっと地面の下へと姿を隠す。と同時にベルゼビュートの足元を中心に半径五メートルもの範囲から太い蔓が伸びて、ベルゼビュートの体にグルグルと巻きつき包み込んでいく。


「ムッ、これはっ……!? ぬぅっ!」


 同時にベルゼビュートの病魔の蔓の攻撃が止まる。ドリアードの蔓が、もはやベルゼビュートの本体が見えないほどに絡みついていた。


「私が貴方を捕まえてあげるわ、ベルゼビュート」

「ベルゼビュートさまぁっ!」


 サロメが目を見開いてベルゼビュートの名を叫んだ。そしてドリアードが地面の中から現れた。


「奈落へ帰らないと言うなら仕方がない。このまま止めを刺させてもらうわ」


 そう告げたところで、突然隣にいたドリアードが胸を抑えて膝をつく。


「……フッ、ウッ。クロエさま、お待ちを……!」


 ベルゼビュートは拘束されているというのに、ドリアードが苦しそうに呻きながら訴えてきた。私は慌ててドリアードに駆け寄った。


「ドリアード!?」

「あれを……」


 ドリアードが苦しそうに表情を歪めながら、絡み合った蔓の塊と化したベルゼビュートを指差した。よく見ると、ベルゼビュートを包む蔓の隙間から瘴気のような黒い靄が溢れだしている。


「あの靄は……病魔?」


 徐々に黒い靄に包まれたドリアードの蔓が次々に萎れ腐食して千切れて霧散していく。やがてベルゼビュートを包んでいた蔓は全て溶けるよう消えてしまった。そして中から現れたベルゼビュートがニヤリと笑っている。


「これがお前の幻獣の力か。……他愛もない」


 ベルゼビュートを中心に腐食はどんどん進み、ベルゼビュートの周囲にあったドリアードの蔓に留まらず、周囲の樹木をも腐食させていく。黒い靄に包まれて萎れて枯れて塵のように霧散していく。そうして最後にはベルゼビュートを中心とした半径五十メートルほどが腐食した樹木の塵と化してしまった。

 結界に包まれている私と元々病魔に侵されているサロメには何の異常もない。だがドリアードは恐らく蔓を伝って魔力を奪われてしまったのだろう。膝をついて苦しむドリアードを見てハルを思い出し、即座に帰還を指示する。


「ドリアード、苦しい思いをさせてごめんなさい。すぐに幻界へ戻って」

「クロエさま、しかし……! ……くっ、承知しました」


 一瞬バッと顔を上げて私の顔を見たドリアードも、もはや自分ができることはないと悟ったのだろう。悔しそうな表情を浮かべながら青い光に包まれて幻界へと帰っていった。

 幻獣を死なせるわけにはいかない。病魔に抗える幻獣でなければ、ベルゼビュートに近付くことすらできない。一体どうしたら……。


「ベルゼビュートさまっ! 今です。この女の命をっ!」


 突然のことだった。ドリアードを帰還させたその瞬間の隙を突かれ、サロメに結界ごと後ろから羽交い絞めにされてしまった。もがいてはみたけれど、サロメの力は今や人間の力を大きく超えている。いくら身体強化を施しているとはいえ、私は不意を突かれて力任せに拘束されて身動きが取れなくなってしまった。

 魔法で吹き飛ばそうかと一瞬考えるけれど、この力を無理に引き剥がすほどの魔法を当てるとなればサロメの命を奪ってしまうかもしれない。例え眷属でも元は人間だ。命まで奪いたくはない。

 ベルゼビュートは困惑する私とサロメを見て笑みを深める。


「よくやった、サロメ。そのまま動くなよ」

「ベルゼビュートさま……」


 サロメの顔を振り返ってみると、ベルゼビュートを見つめながら、まるで恋する乙女のような顔で頬を染めている。悪魔を愛するなど愚かな……。悪魔が人を愛することなどないというのに。

 ベルゼビュートは右手を上にあげて掌の上に黒い靄を集め始めた。やがてそれは巨大な黒い槍を形どっていく。ベルゼビュートは容赦なくその槍を振りかざして私のほうへ向かって真っ直ぐに投げた。このままでは二人とも貫かれてしまう。


「サロメ、放して!」

「さあ、ベルゼビュートさまッ!」


 私はサロメの腕を振りほどこうと、懸命にもがいた。サロメは私を放すまいと、必死で私の体を繋ぎ止めようとする。サロメの背中がベルゼビュートの背中を向いたほんの一瞬、病魔の槍が私とサロメを串刺しにした。正確には、サロメだけを……。

 結界に守られた私には傷ひとつない。だがサロメの体には大きな風穴が開いていた。


「あ、ベルゼビュート、さま……、なぜ……」

「ああ、クロエにはやはり通じないか。だがお前のお陰でクロエを拘束できたぞ。よくやったな、サロメ」


 槍で私を貫けなかったことについてはさして驚いた様子もない。ある程度予測が付いていたのだろう。それなのに、この悪魔は自分の手下を貫いてもなお笑うのだ。

 私を拘束していたサロメの力が徐々に弱まっていく。眷属になったとはいえサロメは感情を持って確かに生きていたのに、その命の灯が愛した者の手によって消えていこうとしている。

 サロメの拘束が弱まる前に、ベルゼビュートが私の体を結界ごと病魔の蔓で拘束した。サロメの口端からは血が流れ、今にもくずおれそうなほどになっている。それなのに近づいてくるベルゼビュートを見て嬉しそうに笑う。


「わた、し、ベルゼビュートさま、の、役に立、てた……?」

「ああ、勿論だとも。愛しているよ、サロメ」

「私も、愛してい、ます。ベるぜびゅ、とさま……」


 身動きのとれない私のすぐ傍でサロメが幸せそうな顔で呟き、そのまま地面に倒れて動かなくなってしまった。サロメのベルゼビュートへの気持ちが本当の愛かどうか分からない。けれど目の前の悪魔の吐く愛という言葉がゴミ同然の価値しかないことを私は知っている。

 サロメ――可哀想な女性ひと。最期に信じた者に裏切られて殺されてもなお、悪魔の愛を疑わないなんて。最後までそう思えて幸せだったのかもしれないけれど……。

 目の前の悪魔に対して、私の胸の中に激しい憎悪の感情が湧く。


「流石悪魔ね。愛しているなどと、呼吸をするように嘘を吐けるのだから」

「……悪魔は嘘を吐かない。私は私を愉しませてくれる者は等しく愛しいのだ。勿論お前もだ。愛している、クロエ」

「言ってなさい」


 不遜な笑みを浮かべながら断言するベルゼビュートを、私はキッと睨んだ。ベルゼビュートは私を病魔の蔓で拘束したまま、私に近付いて背中に腕を回した。


「汚らわしい! 触るな!」

「フッ。いくらでも喚くがいい。ようやく私のものだ、クロエ。お前の体も、命も」


 ベルゼビュートが指で私の顎を持ち上げ、顔を近付けた。

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