五十、追跡

 枷を外させるためにエルネストとクロエを挑発してみたけど、やっぱり無理だった。クソッ、クソッ、あの女っ! ベルゼビュートさまが執着しているだけでも腹が立つのに、エルネストにまで思われているなんてムカつくわ!

 殺してやりたい。ぐちゃぐちゃにしてやりたい。エルネストの目の前で傷つけて殺して、エルネストの流す涙をこの舌で味わってみたい。

 だけどクロエは仲間に相談してくると言った。ということは、クロエの仲間がすぐ側まで来ているということか。この枷が外れても襲いかかれば返り討ちにあう可能性が高い。ならばクロエの情報をベルゼビュートさまに持ち帰ることを優先したほうがいいわね。

 いっそ片手と片足を断ち切っていこうか。どうせ死にはしない。そしたらベルゼビュートさまの所へ帰れる。クロエの情報を持って帰れば、きっと私のことを褒めてくれる。そして熱いキスをくれるわ。


「うん、少し氷の枷が細くなってる?」


 さっきの私の挑発が効いたんだろうか。私がクロエを傷付けると聞いて、エルネストが逆上していた。本当に馬鹿な男。きっとあのときに氷の枷の力が弱まったんだ。これなら何とか割ることができるかも。今がチャンスだ。


「フンッ、フンッ!」


 異様に硬い……。どうやらこの枷はただの氷じゃないみたいだ。私の力は今では人間の力を大きく超えているというのになかなか割れない。

 ベッドの脚に手の枷をひたすらぶつけていると、ようやく小さなひびが入った。ここをぶつけ続ければ……。さらにぶつけ続けて、ようやく手の枷が砕けた。手さえ自由になればこっちのものだ。

 私は袖の中にある苦無を取り出して、柄を足の枷にぶつけた。数回衝撃を与えたところで、ひびが入ってきた。さらに衝撃を与え続けてようやく足の枷を砕くことができた。


「殺してやりたいけど、今は報告を優先するか」


 クロエを殺してやりたい気持ちは山々だったけど、成功しなければ意味がない。形勢が不利な状態でクロエたちに立ち向かうよりは、ベルゼビュートさまにお任せしたほうが確実だ。

 悔しさに唇を噛み締めながら、娼館の窓から飛び出した。そしてベルゼビュートさまの待つ森へと駆け出す。クロエの居場所も顔も突き止めた。ベルゼビュートさまはきっと喜んでくれる。麗しいあの方に抱き締めてもらうために、私は森へと一直線に走った。


  §


「行ったみたいね……」

「クロエ、本当に一人で追うつもりか?」


 エルネストが私の両肩に手を乗せて、真剣な表情で私の顔を覗き込んでくる。


「ええ。もしベルゼビュートの攻撃がエルネストやフェリクスに掠りでもしたら、二度と人間に戻れなくなってしまう。それだけは絶対に避けたいの」

「だが危険すぎる! 相手は悪魔だ! いくら君が強くても、相手の力量の予測が付かないのに一人で行かせるなんて……。それに、もしクロエの身に何かあったら、俺は……」


 エルネストは私を心配してくれているのだろう。苦しそうに表情を歪めて肩に置いた手に力を籠めている。肩に置かれた手から、エルネストの熱い思いが伝わってくるようだ。けれど……


「エルネスト、お願い。アンとフェリクスと一緒に街の人たちを守ってあげて」

「嫌だ。君を一人で行かせたくない……」


 エルネストが立ち去ろうとする私の腕を掴んで放してくれない。どうしようかと困っていたところで、アンがエルネストを宥めるように声をかける。


「エル蔵、クロエなら大丈夫じゃ。奴をどうにかできるのは現状クロエだけじゃ。ベルゼビュートを倒さねば、この町で多くの人間が命を失って涙を流すことになるじゃろう。お主の気持ちも分かるが、クロエを行かせるのじゃ」

「アンジェリク殿」


 アンジェリクの言葉を聞いてもエルネストは私の腕を掴む力を緩めない。私はすっとエルネストに顔を近付けて、頬に軽く口づけを落とした。


「っ……!」


 エルネストが口づけした頬に手をやり、驚いたように目を見開いた。頬がみるみる赤く染まっていく。不意打ちの口づけは効果てきめんだったようだ。私はその隙にエルネストの手から逃れてサロメを追うべく窓から飛び降りた。

 後ろを振り返ることはしなかった。きっとエルネストは泣きそうな顔で私の背中を見送ったのだろうと予想ができたから。

 それにしても恥ずかしい。やっぱりやらなければよかった。最初に作戦を提案して、エルネストに反対されたあとにアンが密かに耳打ちしてきた。


『エル蔵が無理矢理引き止めようとしたら、不意打ちで口づけでもすれば隙ができるじゃろう。そうしたら簡単に振り切れると思うぞ』


 けれどアンに言われた通りにやってみたら、エルネストだけでなく私まで頬が熱くなって動揺してしまった。急いでいたとはいえかなりはしたないことをしてしまった。エルネストに不快な思いをさせてしまったかもしれない。全て終わったらエルネストに謝ろう……。

 今はサロメを追わなければ。身体強化の魔法を自分にかけてサロメを追いかける。予想通り、サロメは枷を破壊してベルゼビュートの元へ向かった。枷の強度を気付かれない程度に弱めて、あえてサロメに破壊させたのだ。


(あのまま感情に任せてサロメが襲いかかってきたら、計画の変更を余儀なくされるところだったわ。上手く騙されてくれてよかった……)


 ベルゼビュートが魔力を抑えている間は、アンですら居場所が掴めない。けれどサロメならベルゼビュートの正確な居場所が分かる。仮に途中で追跡に気付かれたところで、サロメはベルゼビュートの元へ戻るのをやめはしないだろう。そうすることが私を殺す最善の手段だと分かっているから。

 私が単独でベルゼビュートの元へ向かうと言ったとき、エルネストとフェリクスに強く反対された。もし眷属になっても治癒できるのなら、きっと一緒に戦うことを選択しただろう。皆がとても強いことは分かっている。


(私のことを心配してくれているのが伝わってきて、本当に嬉しかった……。けれど)


 人間であるエルネストたちが少しでもベルゼビュートからの攻撃を受ければ、取り返しのつかない事態になる。だから今回は私一人で戦うことを決意したのだ。

 そもそもベルゼビュートの狙いが私だとしたら、今から私がベルゼビュートの所へ行けば街にはもう手を出さないはずだ。ベルゼビュートは私を屠るために何の関係もない街の人たちを大勢巻き込んだ。それに私の大切な仲間であるハルを傷付けた。


(ベルゼビュート……卑劣な奴。絶対に許せない!)


 ハルを思い出して胸に熱い感情が込み上げてくる。ベルゼビュートを必ず倒して帰る。私はそう強く心に決めた。

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