四十九、娼館にて

 娼館――確かに眷属を増やすにはうってつけの場所だ。適度に閉鎖されていて異常事態が起こっても外からは気付かれない。けれど絶え間なく客が訪れる。

 そうか、娼館か。エルネストは客の振りをして入ったのだろうか。眷属を探すためには、少しでも怪しければ調査する必要がある。別にエルネストが娼館の調査に向かっても何も不思議ではない。

 フェリクスについて街の外れのほうへ歩いていくと、王都では見たことがないような退廃的な風景の広がる通りに出た。道のあちこちが薄汚れているのと対照的に、建ち並んでいる店の看板や壁は、赤、紫、黄色などが入り混じり、目がチカチカするほどに色鮮やかだ。


「これが色街……」


 私は目新しい風景に思わずほうっと大きな溜息を吐いた。


「クロエとアンジェリク殿にはあまりお見せしたくないのですが……」


 フェリクスがそんな私を見て、肩を竦めて眉根を寄せた。アンがフェリクスの言葉を受けて、ニヤリと笑いながら口を開く。


「儂は何とも思わんが、クロエには刺激が強かろうのう。クロエ、ここは夜になるともっと色鮮やかになるぞ?」

「ふわぁ……」

「アンジェリク殿!」


 唆すように揶揄うアンジェリクをフェリクスが諫めている。私は只管見慣れぬ景色の新鮮さに目を奪われていた。

 目新しい風景に、ついキョロキョロとあちこちを眺めてしまう。私たちのことがよほど珍しいのか、通りを歩く人々に注目されているようだ。そういえば、通りを歩いているのはほとんどが男性で、たまに派手なドレスを着た妙齢の女性が歩いているくらいだ。


「ここですね。入口の扉がこの店だけ閉まっていますね。内側から凍りつかせているようです。エルネストが封鎖しているのでしょう。どうやら眷属がいたようですね」

「そうじゃな。それにしてもエル蔵は儂らが来たのに気付いてないようじゃの」

「仕方がない。二階から入りましょう」

「そうね」


 私たちは浮遊魔法で二階の開いている窓から娼館の建物の中へと侵入した。中に入ると所々に氷の枷で手足を封じられた男女の姿がある。エルネストの作りだした枷だろう。


「この二階にただならぬ気配を感じる。奥の部屋じゃ。この気配はエル蔵ではないのう。恐らく直轄の眷属じゃ」

「なるほど……。ですが、まずはエルネストを探しましょう」

「うむ」


 ――ガッターン


 エルネストを探すために一階へ降りようとしたところで、階段の下から大きな音が聞こえた。音の場所へと駆けつけてみると、エルネストが眼鏡をかけた長身で細身の男を取り押さえていた。

 氷魔法で動きを封じ込められている男も、どうやら眷属らしい。男は殺気を孕んだ目でエルネストを睨みつけている。


「やっと来たか。遅かった……な」


 エルネストが振り返りざま私の姿を見て大きく目を見開いた。どうしたのだろう。何か顔についているのだろうかと、自分の頬を触ってみる。


「クロエ、これは、眷属がいると聞いてだな」


 なぜかエルネストが慌てたように話しかけてきた。一体どうしたというのだろう。


「眷属がいるんでしょ? さっきアンが教えてくれたから分かってるわ。どうして慌ててるの?」

「いや、別に慌ててなんか……」


 妙に肩を落とすエルネストに、フェリクスが笑いを堪えながら声をかける。


「何の反応もないのも悲しいものですね、エル」

「うるさい……」


 エルネストが何やらふて腐れたように答えた。

 私たちはエルネストに案内されて二階へと向かった。だがその前に、とエルネストが足を止めて説明を始める。


「クロエ、この店に直轄の眷属が潜んでいた。サロメという女だ。サロメと話してみて感じたんだが、悪魔の狙いはやはりクロエ、君なんじゃないかと思う」

「私……」

「エル蔵。それでお主、サロメという女を拘束できたのか?」

「ああ」

「そうか。残念じゃがその女を人間に戻すことはできぬ。ベルゼビュート直轄の眷属は回復ができぬのじゃ」

「……そうか。ならば城に引っ立てて裁判を受けさせるしかないな。恐らくは連続殺人の犯人だ。手配書の人相と一致する。裁判次第だが有罪になれば十中八九極刑が下されるだろう」


 やはりベルゼビュートは罪を重ねている人間を選択して眷属としているようだ。自我を保ち続ける直轄の眷属には、良心が邪魔になるからなのだろうか。悪魔の考えはよく分からない。けれど……


「悪魔は私を狙っている可能性が高いらしいの。このままサロメを捕まえてしまっても、ベルゼビュートは再び眷属を作って送り込んでくるでしょう。私に考えがあるわ」


 思いついた作戦を皆に話したところで、エルネストが眉間に皺を寄せて力強く反対する。


「駄目だ、クロエ。それは許容できない。危険すぎる」

「でもこれなら確実に……」

「駄目だ! もう少し君は自分を大切にすべきだ。頼むからやめてくれ……」

「エルネスト……」


 懇願するような眼差しで訴えてくるエルネストに、私は言葉を失ってしまった。するとアンがエルネストを宥めるように口を開く。


「エル蔵、お主の気持ちも分かるが、クロエの提案は現状ではかなり有効じゃと思う。クロエは強い。大丈夫じゃ」

「アンジェリク殿……」


 エルネストの心配は消えないようで、悲しげに眉尻を下げた。さらにフェリクスもエルネストに同意して訴えてくる。


「確かにクロエの作戦はいいと思いますが、私も賛成しかねます」

「……エルネスト、フェリクス。今は私を信じて。私なら大丈夫だから」


 渋る二人を何とか説得して私の作戦を実行に移すことになった。私たちはサロメの待つ二階の奥の部屋へと向かった。

 未だ機嫌の悪いエルネストと一緒に、サロメを拘束して閉じ込めてある部屋の扉を開けて中へ入った。フェリクスとアンの二人は部屋の外で待つことになっている。

 部屋の中では、手足をエルネストの氷の枷で拘束されたサロメが床の上に座っていた。部屋に置かれたベッドに背中を凭せ掛けている。焦げ茶の髪で豊満な体つきの美女だ。瞳は銀色――ベルゼビュート直轄の眷属に間違いなさそうだ。サロメは私とエルネストの姿を見て嘲るような蠱惑的な笑みを浮かべた。


「ああ、このお嬢ちゃんがエルネストの好きな子?」

「違う! 彼女は……仲間だ」


 確かに仲間だけど、そんなに強く否定しなくても……。エルネストの表情に余裕がない。二人の間で何らかの会話が交わされていたのだろうか。


「ふうん。まあいいわ。なかなか可愛いじゃない。そう、エルネストが好きな女がベルゼビュートさまの……」


 品定めをするかのように私の姿を上から下まで舐めるように見つめるサロメに、私は一歩近づいて膝をついた。


「サロメ、さん。貴女に治癒魔法を施してみるわ」

「はあぁ? 誰も治してほしいなんて言ってないし。それに私の体の中に入り込んだ崇高なベルゼビュートさまの一部が、あんたなんかの魔法で消えるわけがないでしょう」

「やってみないとわからないわ」


 触れられないように距離を置いて、両手を広げながら病院でやったように娼館全体を包む治癒魔法を行使した。私の体から溢れる白い光がサロメの体をも包み込んでいく。サロメは白い光に包まれながらも話しかけるのをやめない。


「そんなことよりさ、あんたがクロエなんでしょう? この血の中にあるベルゼビュートさまの病魔が教えてくれるの。あんたがそう・・だって」

「ええ、私はクロエよ。だったら何?」


 私は治癒魔法を行使しながら答えた。


「ベルゼビュートさまにあんたを殺せって言われてるのよ。ねえ、この枷を外しなさいよ! 私の可愛いエルネストの前で、あんたを裸にひん剥いて切り刻んで殺してあげるからっ!」

「貴様っ!」


 エルネストが逆上して声を上げた。怒りの感情を制御できないのか、体から冷気が漏れ出している。挑発に易々と乗るなんてエルネストらしくない。油断させるためだろうか。

 治癒魔法を行使し続けても、喋り続けるサロメに何の変化もない。サロメには予想通り効果がなかったけれど、娼館全体の治癒は完了したはずだ。私は治癒魔法の行使を止めて大きな溜息を吐いた。


「やっぱり貴女の回復は無理なのかしら……」

「無駄だって言ったじゃない。キャハハッ、ざまぁみろ! この高貴な血をあんたごときに作りかえられて堪るもんか! 外せっ、これを外せっ!」


 半狂乱でサロメが暴れ始めた。私は立ち上がってサロメに応える。


「少しだけ待ってて。貴女をどうするか仲間と話し合ってくるわ。行きましょう、エルネスト」

「ああ……」


 私とエルネストはサロメを置いて部屋を出た。

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