四十八、病院の浄化

 フェリクスがニッコリと笑いながら私に話しかける。


「いやあ、クロエは人誑しですね」

「え?」

「無自覚ですか。本当に可愛い人ですね」


 そう言ってフェリクスが笑みを深める。笑った顔は初めて見たけれど、胸の奥まで温かくなるような優しい笑顔だ。私なんかよりフェリクスのほうが何倍も可愛らしいと思う。


「それにしても二人はどこへ行ったのかしら」

「私が把握しています。アンジェリク殿はブラン町立病院にいます」

「どうして分かるの?」

「これ」


 フェリクスが懐から取り出したのはこの町に入るときに渡された通行証だった。通行証を指に挟んでひらひらとクロエに示す。


「これに私だけが分かる魔力を纏わせて配りました。だから全員の居場所が分かるようになっているのです」

「抜け目ないのね……」


 流石魔道士団の団長だけあってフェリクスはなかなかにできる男らしい。これならば仲間の現在位置が分かるというわけか。ほわっとした雰囲気で誤魔化されていたけれど、案外用心深い性格なのかもしれない。そんなフェリクスに連れられてアンのいるブラン町立病院へと急いだ。

 病院に到着したあと正面の入口を開けようとしたけれど、内側から魔力で封印されていて開かない。中で眷属を拘束するためにアンがやったのかもしれない。

 諦めて屋上から侵入しようか、などと考え始めたところで、正面の入口の封印が解かれて、入口の扉からアンと六~七才くらいの幼い少年が現れた。アンがクロエを見て待ちかねたとばかりに声をかけてくる。


「遅かったな、クロエ」

「待たせてごめんね。やっぱり中は……」

「ああ、眷属だらけじゃった。この子はニコラじゃ。入院している母親に会いに来たところじゃったが、母親も眷属化しておってのう。この病院におった人間の全員に儂の威圧を当てて、意識を失わせておる。怪我をさせてはおらん……はずじゃ」


 アンの隣にいたニコラという少年がぺこりと頭を下げた。怖かっただろうに、泣きもせずに気丈に真っ直ぐ立ってこちらを見ている。


「そう。大変だったわね、ニコラ」

「ううん、アンが守ってくれたから、大丈夫」

「そう。よく頑張ったわね。偉いわ」

「……ねえ、お姉ちゃん、お母さん、元に戻るよね?」

「ええ、大丈夫よ。お姉ちゃんに任せて」


 そう言って頭を撫でたら、ニコラが頬を染めて泣きそうな顔で笑った。早く母親を元に戻してあげたい。


「それでクロエ、儂も知らなかったんじゃが……」


 イゾウという直轄の眷属だった男から聞いた情報を、アンが詳細に教えてくれた。ベルゼビュートが直々に病魔で侵した直轄の眷属は、治癒で人間に戻すことが不可能だということ、イゾウの瞳が亜国人にもかかわらず銀色だったこと、ベルゼビュートが罪を犯した人間を好んで直轄の眷属としていることなどだ。


「ということは、ブランの町全体を治癒しても直轄の眷属は回復しないし、直轄の眷属が存在する限りは、いくら回復しても再び眷属が増えるかもしれないということね」


 全く厄介極まりない状況だ。先に直轄の眷属を捜し出さないと町全体の根本的な回復は不可能ということか。


「そういうことになるのう。町全体の治癒は奴らを全て捜し出してからじゃ。じゃが、クロエ。悪いが、この病院の中にいる人間の治癒を先にやってくれんか?」

「ニコラのお母さんのため?」

「うむ。外から新たな眷属が入ってこれんように、病院の入口をまた魔力で閉鎖しておく。ニコラも安全のためにここに残していく」

「分かったわ」


 アンの提案を実行するために、私たちはニコラの母親の病室へと向かった。病室に入った途端、ニコラが意識を失っている母親に駆け寄って心配そうに寄り添った。

 教会でやったように、私は病院全体に行き渡る規模の治癒魔法を施した。フェリクスは白い光に包まれた私を見て驚いたように目を瞠る。病院中の治癒が終わったあと、アンが腕を組んだままフェリクスを見てニヤリと笑った。フェリクスは感心したように呟く。


「なんて大規模な……。建物全体を包み込むほどの治癒魔法を施すとは」

「クロエの魔力なら軽いものじゃ。のう、クロエ」

「なんでアンがそんなに得意げになってるの。フフッ」


 まるで自分のことのように自慢げに話すアンが可愛くて、思わず笑ってしまった。


「それにしても凄い。これが黒の書の力……。これだけの魔力を使ってもまだ余力があるのですね。クロエは美しいだけじゃなくて強い……。なるほど、エルネストが言っていたことも納得です」

「そうじゃろう、そうじゃろう」

「アンったら」


 私たちが話していると、ニコラの側にいた母親が僅かに動いた。治癒魔法によってアンの威圧からも回復できたようだ。


「うーん……」

「母さんっ!」


 母親がゆっくり瞼を開ける。そして側に入るニコラを見て目をぱちくりとさせる。


「……ニコラ?」

「ああっ、母さんっ。よかった、母さん!」

「あらあら、どうしたの、ニコラ」


 ニコラが泣きじゃくりながら母親に縋りついた。母親は戸惑いながらもそんなニコラを抱き締めて頭を撫でている。アンがそんな二人を見て嬉しそうに微笑んだ。

 二人が落ち着いたところで、アンがニコラの母親にこれまでに病院で起こったことを説明した。アンの話を聞いた母親が蒼褪め、唇を震わせている。


「私がニコラを襲おうとしたなんて……」

「仕方がなかったのじゃ。お主の意識は深い場所に沈んでおったのじゃからな」

「だけどっ……!」


 沈痛な面持ちで母親が反論した。仮に操られていたとしても、我が子を襲おうとした自分が許せないのだろう。そんな母親をアンが優しく宥める。


「気にするでない。それよりも頼みがある。事が済むまで病院の中でニコラを守ってやってくれ。全てが片付いたらまた報せに来るからの」

「……はい、分かりました。あの、アンジェリクさん」

「なんじゃ?」

「ニコラのこと、本当にありがとうございました」

「儂もニコラに助けてもらったのじゃ。本当にお主の息子はいい子じゃったぞ」


 深々と頭を下げる母親に、アンは照れくさそうに笑って答えた。するとニコラがアンの側に近付いてきてギュッと抱きついた。アンは驚いたように目を丸くしている。


「アン、ありがとう。アンのお陰でお母さん、元通りになった。本当にありがとう」


 ニコラはアンの顔をじっと見て嬉しそうにニコッと笑った。


「お主がここに連れてきてくれたから、病院の異常にすぐに気付けたのじゃ。ニコラ、お手柄じゃったぞ」

「へへ……」


 頬を涙で濡らしたニコラが破顔した。アンもそんなニコラを見て嬉しそうに笑った。そんな二人を見て胸の中が温かくなる。

 ニコラと母親を病室に残して、アンとフェリクスと一緒に院長室へと向かい、眷属状態から回復していた院長先生に事情を説明した。そして報せが来るまでは誰も病院から出ないようにと、院長先生に指示を出してもらった。

 全ての段取りを終わらせたあと病院を出て、次にエルネストの待つ場所へと向かうことにした。


「それで、エルネストはどこにいるのかしら? 酒場へ行ってみると言っていたけれど」


 私がそう尋ねるとフェリクスが若干目を逸らしながら答える。


「あー、えーと、今は娼館ですね」

「娼館……」


 エルネストが娼館にいる。酒場へ行くって言っていたのに、娼館……。エルネストが娼館にいると聞いて、なんとなく胸がモヤモヤとした。

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