四十七、正統な継承者とは
神父さまが意識を失う前、焦げ茶色の髪で銀色の瞳の妙齢の女性が祈りに訪れたという。神父さまが声をかけると、その女性が近付いてきて突然口づけをしてこようとしたそうだ。咄嗟に避けた途端首筋に噛みつかれて、そのあと意識がなくなってしまったということだった。
「銀の瞳……」
黒の書によるとベルゼビュートの瞳の色は銀色だという。灰色の瞳ならばたまに見かけるが、銀色となると人間としてはかなり珍しい。神父さまに噛みついた女性が直轄の眷属である可能性はかなり高い。
女が神父さまを眷属にして、神父さまが教会に来る信者を眷属にしていったのだろう。確かに自力で病魔を広めるよりも、集団のリーダーを眷属にしてしまったほうが効率的だ。神父さまが申しわけなさそうに項垂れる。
「そのあとのことはあまり覚えておりません。あまりお力になれなくて申しわけありません」
「いいえ、とても参考になりました。それと、事が片付くまで、先ほど回復した信者の人たちと一緒にこの教会に待機していてくれませんか? そして中から鍵をかけて封鎖してください。全てが終わったらお知らせします」
「分かりました。貴女もどうかお気をつけて。神のご加護があらんことを」
神父さまはそう言って私のために祈ってくれた。あれだけの信者が眷属と化していたのだ。もしかするとかなりの人間が眷属となっているかもしれない。
これからどう対処していこうかと思索しながら教会を出たところで、リオネルが真剣な顔で尋ねてくる。
「クロエ嬢、私は未だに教会で見た出来事が信じられません。ミレーヌ嬢は自分こそが正統なグリモワールの継承者だと言っていました。だが今はそれが信じられない……。本当は貴女が正統な継承者ではないのですか?」
リオネルの質問に何と答えようか。結論からいえば、黒の書の持ち主が正統な継承者だ。けれど本来の意味とブリュノワ王家が言っている意味はかなり食い違っているのだ。
黒の書持ちが産んだ子どもには、必ずグリモワールの力が継承される。まずは黒の書を持つ子どもが生まれ、次からは黒以外のグリモワールを宿す子供が生まれる。
けれど、黒以外のグリモワールの使い手からは決して黒の書持ちは生まれない。そしてグリモワールの力も必ず継承されるわけではなく、継承されたとしても次代へと受け継がれるたびに力が徐々に弱まっていくのだ。
黒の書持ちが黒の書持ちを生み出していく直系の系譜。――『正統な継承者』とは、本来はそういった意味合いの言葉なのだ。
けれどこれはグリモワールの血族の中でも黒の書持ちにしか伝えられない一子相伝の極秘事項だ。なぜなら黒の書の力を恐れる血族内の者、もしくは力が集中することを恐れる外部の者から黒の書持ちが狙われ、その命が絶たれ、グリモワールの血筋が途絶える可能性があるからだ。
だから王家の言う『グリモワールの正当な継承者』という言葉はかなり曲解されて伝わっている。王家に伝わっているのは、ルブランの名を継ぐ者、グリモワールの力を最も強く行使できる者、という程度の認識だろう。必ず能力を受け継がせる血を持つ者という意味合いではない。
だから当然リオネルにも本当の意味を告げるわけにはいかない。それに今さら自由を奪われるわけにもいかない。
「私は、王家の言う『正当な継承者』ではありません。王家の定めた者が王家の言う『正統な継承者』です。現在はミレーヌが正統な継承者と考えていただいていいと思いますわ」
「だが、私はあのような強力なグリモワールの力を見たことがない。最も強力な使い手ということであれば、貴女のほうが」
「ブルジェさま、先ほど言いましたよね。どうか教会で見たことはお忘れくださいと。それに私には国を出てやらなくてはいけないことがあるのです。少しでも私の意志を酌んでくださるならば、今回のことは貴方の胸に閉まっておいてください」
私が改めてそう言うと、リオネルはぐっと言葉を詰まらせて黙り込んでしまった。何やらいろいろと葛藤しているようだ。リオネルの立場を考えれば悩んでも仕方がないだろう。なんせ王太子の側近だ。本来ならば主に有益な情報を秘しておくなど許されるわけがないのだから。
「分かりました。でもいつか貴女が私を信じていただけたら、全てを教えていただけませんか?」
「……そうですね。いつか」
リオネルは大きく頷いた。納得してもらえたと安堵していると、遠くからこちらへ歩いてくる魔道士フェリクスの姿が見えた。フェリクスは手を振ってこちらへ走ってきた。
「ご無事でよかった。あの、こちらは……」
フェリクスがリオネルを見て私に尋ねてきた。私は簡単に紹介をする。
「フェリクス。こちらはブリュノワ王国の使者でリオネル・ブルジェさまよ」
「ああ、貴方が使者のブルジェ殿ですか。私は帝国魔道士団団長のフェリクス・リュフィエと申します。よろしくお願いします」
「ええ、よろしくお願いします」
「それでブルジェ殿はこの町へ何しに?」
「それは……」
リオネルは一瞬言い淀んで、私をちらっと見たあとに言葉を続ける。
「クロエ嬢が危険な町へ向かったと聞いたので追ってきたのです。クロエ嬢は我が国の大切な令嬢ですから」
「えっ、私はクロエが国外追放されたと聞いていましたけど」
「私もそのつもりでしたけれど」
「ぐっ、それは……」
私はまだブリュノワ国民なのだろうか。ルブランの家を出ろと言われた時点でブリュノワ国民をやめたつもりだったのだけれど。
「王太子殿下は私を国外追放したつもりでしょうし、ブルジェさまも私のことをブリュノワの民とは思わないでください」
「はい……」
私がニッコリとそう告げると、リオネルががっくりと肩を落として頷いた。――これでよしと。そんな私たちのやり取りを見て、フェリクスは顔を背けて肩を震わせている。どうやらこっそり笑っているようだ。笑ってるの、ばれてるから。
「それで、フェリクス。学校のほうはどうだったの?」
「学校のほうは問題ありませんでした。教師も生徒も眷属となっているものは見受けられませんでした。クロエは教会に行っていたのですか?」
「ええ、神父と信者が眷属化していたわ。治療をしたのでもう大丈夫。今からアンとエルネストの所へ向かいましょう。……ブルジェさま」
「はい」
「私の力をご覧になったから分かると思いますが、私は一人でも大丈夫です。今この町はとても危険な状態なのです。悪魔が病魔を広めて街中の人間を悪魔の眷属にしようとしています。危険ですから、ブルジェさまはすぐに城へ戻ってください」
「……分かりました。私は足手纏いですね。クロエ嬢、守ってくれてありがとうございました」
「ブルジェさま……」
しゅんと肩を落とすリオネルに申しわけないという気持ちが湧いてしまう。
「ブルジェさま、貴方は私が無力だと思って心配して、危険を承知で助けに来てくださったのですよね? 私は貴方のお気持ちと勇気がとても嬉しかったです」
「クロエ嬢……」
「ブルジェさま、ありがとうございます」
私がそう言ってニコリと笑うと、リオネルが嬉しそうな泣きそうな表情で頬を染めた。そして私の手を両手で握ってじっと見つめてくる。
「そう言っていただけると、救われます。ありがとう。私は城へ戻らせていただきますが、どうかくれぐれも気を付けてくださいね」
「はい」
私が頷いて微笑むとリオネルの顔が真っ赤になった。そしてそのまま教会の前でリオネルと別れた。
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