四十六、穢された教会
リオネルを後ろに庇っている私のほうへ、神父さまと信者が一歩一歩近付いてくる。リオネルは、先ほど私が信者の二人を吹き飛ばしたのを目にして驚いたように目を瞠っている。能力のことは隠しておきたかったけれど、今はそんな場合じゃない。
「グリモワールよ、我が身に纏え」
黒の書が描く軌跡の帯が私の体に巻きついて、漆黒のドレスへと変化していく。連続で黒の書を行使したいときには纏わせたほうが効率がいい。リオネルがさらに目を見開いて呟く。
「黒の書は役に立たないゴミだと、ミレーヌ嬢が言っていたはず……」
「あの子の前で見せたことはないから……。ブルジェさま、できればこれから見ることは貴方の胸に閉まっておいてください」
「それはどういう……」
気付けば入口から他の信者たちが入ってきた。気付けば二十人ほどの信者が礼拝堂の中に入ってきている。そして私たちの姿を見て真っ直ぐにゆっくり歩いてきた。眷属なのかそうでないのか、区別が付かない。襲ってくるのを確認してから反撃するしかない。
「結界の中から動かないでくださいね」
「結界って……えっ!?」
リオネルが自身を覆う結界に内側から触れて驚いている。その場を動けないように内側からも結界を越えられないようにしておいたのだ。今リオネルを覆っているのは森で使ったときと同じ、卵の殻状の強力な結界だ。敵意のあるものの侵入を阻む。指一本リオネルに触れさせるわけにはいかない。
敵の行動を阻まなくてはいけない。けれど相手は人間だから傷つけたくはない。信者たち、恐らく神父さまもだけれど、彼らは元に戻ることができる。
本来の意識は深い場所に沈んで、今はその意思を病魔に支配され、ベルゼビュートに都合のいいように操られているだけだ。何の責任もない。
ベルゼビュート――本当に卑怯な奴。人間にとって同族を攻撃しにくいのが分かっていて、あえて人間を眷属に選んでいるのだ。
「ドリアード。私の元へ来て」
幻獣ドリアードを呼び出した。白い清楚な衣を纏い、緑色の蔦状の長い髪が相変わらず神秘的で美しい。
「
ドリアードはそう言って綺麗なカーテシーをしてみせた。美しい女性の姿をしたドリアードを見てリオネルがあんぐりと口を開けている。もしかして幻獣を見たのは初めてなのだろうか。
「信じられない……。急に美女が……」
「幻獣です。ブルジェさま。召喚して幻界から来てもらったのです」
「召喚、魔法……」
愕然と呟くリオネルを余所に、ドリアードに指示を出す。
「ドリアード、この礼拝堂にいる者を全て拘束して」
「承知しました、メートレス」
ドリアードが片手を高く挙げると教会の床を割って地面から太い蔓のような植物が生えてきた。まるで意思のある動物のように蠢いて、信者たちの手足を拘束していく。
「アアッ」
「ウググ……!」
次々に信者たちが拘束される中、神父さまだけが何とか蔓を逃れて、私のほうへ駆け寄ってきた。触れられる前に左手をかざし、水でできた大きな蛇を神父さまに向かって放つ。水の大蛇は大きな体をくねらせ、神父さまの体に巻きついていく。
「ウウッ、放せェッ! この罰当たり者め……!」
「どっちが罰当たりかしらね」
水の大蛇が神父さまの体に巻きついて動きを封じている間に、ドリアードの伸ばした蔓が床を割って神父さまの足元から伸びてきた。そして、身動きの取れない神父さまの体に蔓が巻きついて体の自由を奪っていく。
「今から治癒を行うわ。ドリアード、もう少しだけ拘束を続けて。絞めすぎて怪我をさせないようにね。新たにここに入ってきた信者も一応拘束して」
「承知しました」
リオネルは目の前で起こっていることを、まるで信じられないとでもいうように愕然と見つめている。リオネルにあとで何と説明しようかと考えて、小さく溜息を吐いた。
拘束した信者たちの体に入り込んだ病魔を、これから綺麗さっぱり消滅させなくてはいけない。病魔が病気のようなものならば、治癒魔法で回復できるはずだ。
すっと目を閉じ両手を広げて治癒魔法を行使する。私の体が真っ白に光り始め、その光が私を中心に次第に膨らんでいく。リオネルがあまりの眩しさに片腕で目を覆った。
礼拝堂の床一面に林立した蔓の巻きついた信者たち全てに行き渡らせるように、礼拝堂中を治癒の白い光で満たしていく。そして礼拝堂が真っ白な光に包まれて数秒ほど経ったあと、次第に光が弱くなり始めて最後には完全に消えた。
「俺はなぜここに……」
「いやっ! 何これっ!?」
正気を取り戻した信者たちが次々に言葉を発している。かなり混乱しているようだ。ざわめき始めた礼拝堂の中で、神父さまが、まるで何が起こったのか理解できないといったように自分の姿を見つめて呆然と呟く。
「私は、一体どうしたのだ……。これは……」
「神父さま、元に戻られたのですね。よかった……」
はっと顔を上げて、神父さまが私の顔を見た。そんな神父さまにニコリと微笑んだあと、信者全てを見て回り、全員が正気に戻ったことを確認した。そしてドリアードに告げる。
「ドリアード、もう解除していいわ。ありがとう。またお願いね」
「お安いご用です。それでは失礼します」
ドリアードがニコリと笑って青い光に包まれたあと、幻界へと帰っていった。
最初は神父さまが直轄の眷属なのだろうと思っていたけれど、身体能力はそれほどではなかった。直轄の眷属でなかったのならば、神父さまを眷属にしたのは一体誰なのか。
「神父さま、お体は大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫です。あの、私は、どうしたのでしょう……」
神父さまはまだよく状況が分かっていないようで、戸惑うように周りを見回した。
「神父さまは病魔に侵されていたんです。そして悪魔に意識を操られていたのです」
「なんですと……。ああ、なんということでしょう……。私は神に仕える者として失格だ」
「神父さま。貴方が悪いのではないのです。気にしてはいけません」
「しかし……。あの、もしかして、貴女が私たちを助けてくださったのですか?」
「はい、少々手荒な真似をさせてもらいましたけれど」
「そうですか。どうもありがとうございます」
神父さまが深々と頭を下げた。
「いえ。教会の床をボロボロにしてしまってごめんなさい」
「いいえ、とんでもありません。貴女がいらっしゃらなかったら、皆どうなっていたか……」
神父さまの口ぶりだと、何が起こっていたのか、なんとなくは覚えているのかもしれない。
「それで、お疲れのところを申しわけないのですが、事情をお伺いしてもよろしいですか?」
「ええ、勿論です」
「ではまず、病魔に侵されていた間のことは覚えていますか?」
「……そうですね、ほとんど意識がなかったのですが、断片的に見た夢のようなものなら覚えています。恐ろしいことに、その夢の中で私は信者の方に……」
話しながら、神父さまが可哀想なくらいに蒼褪めている。今さらながらに断片的に見た夢の内容を思い出しているのだろう。それ以上説明を続けさせるのが気の毒で、神父さまの言葉を制止する。
「もう結構ですわ。……神父さま。先ほども言いましたけれど、貴方が悪いのではありません。諸悪の根源は悪魔なのですから、あまり気に病んではいけませんわ」
「はい……」
神父さまは私の言葉を聞いて肩を落とした。あまり慰めにはならなかったようだ。聖職者である神父さまは人一倍、罪の意識に苛まれているのだろう。申しわけないけれど、神父さまにはもう少し尋ねたいことがある。
「それでは、最後に意識を失う前のことは覚えていますか?」
「はい、それは覚えています。時間の感覚が分からなくなっているので、どのくらい前なのかはよく分からないのですが……」
神父様が記憶を辿りながら、覚えていることを語ってくれた。
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