四十三、屋上で(アンジェリク視点)

 イゾウは腰の亜刀をスラリと抜いて構えた。じりじりと肌で感じるのは殺気だけじゃない。――体の芯まで染みついた血の匂い。お互いに間合いを保ちながらすぐさま動けるようにほんの少し腰を落とす。


「お主、一体今まで何人殺めてきた」

「そうだなぁ、人であったときに百人以上は斬ってるなぁ。あのお方はそんな俺のことを気に入ってくれたらしい。物好きなこった」

「フン。殺人鬼か。道理でお主の体の芯まで血の匂いが染みついとるわけじゃ」

「あー、そこは否定しねぇが殺人鬼ってのはちょっと違うな」


 イゾウが構えていた亜刀の峰で己の右肩をトントンと叩きながら口の端を吊り上げる。


「こいつぁ翠雨すいうってんだ。己の娘を差し出してまで領主のお抱えになった名工の作だ。だが娘は鬼畜領主に弄ばれ死んだ。娘を差し出したことを悔いながら、領主と己の首を討つためだけに怨みと憎しみをたんまりと籠めて打たれた刀なんだ。刀鍛冶はできた刀に死んでいった娘の名前を付けた。どうだ、美しいだろう……」


 イゾウが亜刀の刃をうっとりと眺めながら告げた。イゾウの持つ亜刀の青みがかった刃紋はしっとりと濡れているかのように艶めかしく、妖しい光を放っている。


「妖刀か……」

「ハン! 確かにこいつは血が好きだが、妖刀にしてやったのはこの俺だ。刀鍛冶は領主の首を取ったあと、この俺に殺してくれと頼んできやがった。俺はひと目見てこいつを気に入ってねぇ。殺してくれれば刀をくれるって言うから、刀鍛冶の首を取ってこいつを譲り受けたのよ。それからは数え切れんくらい斬ったよ。力比べで俺に挑んでくる奴、闇討ちをしてくる奴……。だが別にこいつに支配されてたわけじゃねぇ。俺は暗殺業の傍らこいつの切れ味を確かめるのが趣味でねぇ……」

「もういい、反吐が出る。お主、儂と戦いたいならあの幼子には手を出すな」

「あぁ? 俺はこう見えても戦いの最中に卑怯な真似をしたことはねぇぞ」

「その言葉、嘘ではなかろうな?」

「ああ。まずはお前の柔らかそうな首をかっ斬って、その坊主はあとでゆっくりと刻んでやるさ」

「……できるものならやってみるがよい」

「ヘッ」


 イゾウは嬉々とした笑みを浮かべながら刀を構えて真っ直ぐに突進してきた。武器を持たない儂の間合いを測りかねての先制攻撃といったところか。多少強引に突っ込んだところで素手相手ならばリスクは低いと踏んでの突進だろう。

 それにしても予想はしておったが人間の速さじゃない。直轄の眷属はこんなにも能力が上がるのか。儂は寸でのところで頭上に振り下ろされたイゾウの刀を横に躱す。


「なかなかの速度じゃのう」

「ああ、お陰さまでなァッ!」


 イゾウは言葉を返しながら、刀を振り降ろした位置から儂の胴に向かって斜めに斬り上げた。即座に横に躱したが、すぐに次の一振りが来る。間髪を入れない素早い斬撃につくづく感心してしまう。

 普通の人間では恐らく目に留まらないくらいの速度で、何度も何度も儂に向かって斬りつけてくる。その太刀筋を見極め躱しながらも、じりじりと後ずさっていく。


「おい、得物を出しなよ。お嬢ちゃん。躱してるつもりだろうが切れてるぜ? ククッ」

「む……?」


 片手の甲で頬を拭って見てみると、手の甲に血が付いていた。かすり傷だが何カ所にも受けているようだ。こんなものはすぐに治るが、イゾウの刀が儂の皮膚に通るとは思わなかった。

 儂の皮膚には竜の姿のときと同程度の防御強化が施されている。四割しか力が戻っていないから強化もそれなりだが、太刀筋に関しては完璧に躱していたはずだ。なぜ傷を受けているのか、解せない。


「信じられねぇって顔をしてるな。この翠雨にはあの方から貰った病魔が纏わりついてるからな。そいつが刀の周りのものも斬っちまうのよ」

「……なるほどな。そういうわけか」


 より大きく躱さなければ傷を受ける。人間ならば傷を受けたときにそのまま血液中に病魔が入り込み眷属となるのだろう。この男は刀を振って眷属を増やしたわけか。

 儂は自分の亜服の懐から鉄扇を右手で取り出して、閉じた扇子の天を真っ直ぐにイゾウに向けた。


「滅多に使わぬのだが、いろいろ教えてくれたお主に免じて見せてやろう」

「ほお、それがお前の得物――なるほど鉄扇か。……フン、いいねぇ」


 イゾウが嬉しそうに儂の鉄扇を見る。何がそんなに楽しいのか。


「それじゃ遠慮なくいかせてもらうぜッ」


 再びイゾウが斬りかかってくる。俄然やる気を出したのか、先ほどよりもさらに速度が上がった。体の周りを刀の切っ先が舞い踊る。まるで光が舞っているかのように閃閃と煌めく。

 儂はその切っ先を鉄扇を使って巧みに逸らし捌いていく。絡繰りが分かればなんということはない。巻き込まれないように大きく捌くだけだ。イゾウの太刀筋も大体読めてきた。


「クソッ、なんで当たらねぇんだよッ」

「それはな、儂がお主より強いからじゃ」

「ハッ、言ってろ」


 思うように傷を与えられないことに焦れたイゾウの次の一撃が大振りになった。その一瞬の隙をついて、腰を低く落として左足を大きく踏み込むと同時に、左手の拳をイゾウの前に突き出した。踏み込んだ衝撃で足元の石畳が砕ける。


「フンッッ!!」

「カハッ……!」


 心臓の位置を打ち抜いたことで、イゾウの体は後方に大きく吹き飛ばされ、屋上の柵に強かに背中をぶつけてずるずると倒れ込んだ。

 む、少し強すぎたか。儂の拳をまともに食らったのだ。しばらくは立てないだろう。命まで奪うつもりはない。儂は足早にイゾウの側に近寄った。


「おい、イゾウ、大丈夫か」

「殺し合いの相手に大丈夫かとは、甘いねぇ……」


 イゾウの口の端からは血が流れていた。先ほどの衝撃で吐血したのだろう。命を奪うほどではないと思っていたが。

 それにしても、以前の儂なら人間の一人や二人の命を奪おうが何とも思わなかったのに、命の灯が消えそうなイゾウを見て無性に気分が悪くなってくる。


「しばらく待てば治癒魔法を使える者が来る。お主の眷属化も解けるじゃろう」

「ハッ、余計なことするんじゃねえよ……」

「む……?」

「俺の血は浄化できねえ。ベルゼビュートさまから直々に病魔を貰った眷属は二度と人間には戻れねぇのよ……」

「……なんじゃと?」

「……ああ、楽しかったなぁ。最後につええ奴と戦えた。もう何も思い残すことはねえ」

「おいっ、イゾウ!」

「俺はな、たとえ人間に戻ったところで殺しをやめることはできねえ。他人の命を奪って自分の生を実感しなきゃいられねえのよ。せめて最後は正々堂々と戦って死にたかった」

「イゾウ……」


 項垂れる儂に、イゾウが苦痛に眉を顰めながらも穏かに笑って告げる。


「そんなしみったれた顔すんじゃねえよ。これでもすっきりしてるんだ。これまで数え切れねえほど殺した。今さら俺だけ救われてえなんて思わねえよ。そのうちゴミみたいに死んでいくんだろうと思ってたからな」

「……」

「だがあの方に会って、死ねねえ体になっちまった。まともに戦える奴がいなくなって、空虚な気持ちのまま永遠に動く躯として生きていかなきゃいけねえかと思ってた。だがあんたに会って最後に思う存分戦えた。ありがとうよ」

「ああ、お主は強かったぞ」

「フッ、よく言うよ。……なあ、お前は一体何者なんだ?」


 イゾウはもう長くはない。儂は真実を告げることにした。


「儂は竜王じゃ」

「ハハッ、そりゃあ敵うわけねえなぁ。だが、そうか、俺は最後に竜王とやれたのか」


 イゾウが満足げに笑いながら呟いた。


「いい冥土の土産になるよ。カハッ……。なあ、最後の頼みを聞いてくれねえか?」

「なんじゃ」

「この、翠雨を貰ってくれ。そしてこいつで俺に止めを刺してほしい……」


 イゾウが穏かな笑みを浮かべながら、自分の亜刀を儂の手に握らせた。

 これまでのイゾウの過去は分からない。だが最後は正々堂々と仕合って負けた。儂と戦って本懐を遂げられたのだ。ならば本気でぶつかってきた男の最後の願いを聞かないわけにはいかない。

 儂はイゾウから託された刀を手にして、胸の上に突き立てて心の臓に向かって突き下ろしていく。


「ああ、これで死ねる。ありがとう、竜王アンジェリク……」

「イゾウ、お主の最期、しかと見届けたぞ」


 イゾウは満足げに口角を上げて、突き抜けるような青空を見上げながら逝った。

 片手をイゾウの顔に添えて瞼をそっと閉じる。そしてニコラのほうへ振り返ると、両手を組んでじっとこちらを見ていた。一部始終を見守っていたのだろう。


「ニコラ、怖い思いをさせてしもうたな。すまぬ」

「ううん、僕なら大丈夫。アンは大丈夫?」

「何がじゃ?」

「なんだか泣きそうな顔してる」

「そうか?」


 死など今まで数え切れないほど見てきた。今さらだ。だがクロエと会ってから、儂の心の中がいろいろ変わってきたのかもしれない。


「残りの眷属を拘束しにいってくる。お主はここで待っておるのじゃ。屋上の扉は儂が内側からは開かないようにしておくからな」

「分かった。気を付けてね」

「いい子じゃな、お主は……」


 気丈に言葉を返すニコラの頭をぽんぽんと撫でて、残りの眷属を拘束すべく屋上から階下へと向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る