四十二、病院へ(アンジェリク視点)
クロエたちと別れて街を歩く。儂の服はクロエが作ってくれた特別製だから割と目立つ。幼女の儂が一人で歩いているのもあってひと目を集めてしまうようだ。早くどこかへ入るべきだとは思うが、どうせ調べるならこの町でいちばん大きい病院がいいだろう。よし、あの露店のオヤジに聞いてみるか。
「おい、お主」
「ん、なんだい、お嬢ちゃん? 随分変わった格好をしているな。異国の子かい?」
「まあ、そんなところじゃ。ところでこの町にある一番大きな病院に行きたいんじゃが、どこか分かるか?」
「ああ、それならあそこにあるブラン町立病院だね。総合病院だから怪我でも風邪でもあそこへ行くといいよ」
「そうか。礼を言う」
「ああ、だが一人でうろうろするのはやめたほうがいいぞ。危ないからな。早く親の所へ戻りな」
「うむ、そうさせてもらう」
なかなか親切なオヤジだった。儂は真っ直ぐに教えてもらった病院へ向かう。大通りを渡ったところでドンッと何かにぶつかられた。儂はびくともしなかったが、ぶつかってきた者は相当痛かっただろう。
儂の横で尻餅をついて痛そうな顔をしていたのは七才くらいの男の幼子だった。よほど痛かったのか涙目になっている。
「いったぁ……」
「大丈夫か?」
幼子は儂が差し出した手を握って立ち上がった。
「ありがとう、大丈夫。ごめんね、ぶつかっちゃって。君は大丈夫?」
「儂は大丈夫じゃ。お主、随分急いでおったようじゃが」
「うん、今日母さんが退院するんだ。それで迎えにきたの」
幼子はぱあっと明るく笑って答えた。
「そうか、それでは一緒に入るか」
「うん! 僕はニコラっていうんだ。君は?」
「儂はアンジェ……アンじゃ」
「アンかぁ。よろしく、アン。僕が病院を案内してあげる」
ニコラは儂の手を握ったまま病院の中へ引っ張っていく。病院の待合室らしきところを見渡してみるが、特におかしなところは見当たらない。
「アンは怪我したの? 風邪?」
「いや、儂はそうじゃな、頭が痛うての」
「そうなんだ。あそこで受け付けを済ませるんだよ。僕が教えてあげるよ」
「少し気分がよくなってきたからお主についていってやる」
「そうなの? じゃあ一緒に行こう。母さんに友だちができたって紹介する!」
儂の手を引いて歩くニコラは随分面倒見がいい子のようだ。儂のことを妹のように思っているのか、兄のように振る舞うさまがなかなか
「ここが母さんの病室だよ」
「ほお」
ニコラに促されて病室に入ると、そこは個室になっていた。ニコラを見た限りではあまり裕福そうには見えないが、隔離しなければならないほどの重い病だったのか。
母親は穏やかに微笑み、ベッドに横になったままニコラを迎え入れた。どこに眷属が潜んでいるか分からないので、周囲をつぶさに観察する。
「迎えに来てくれてありがとう、ニコラ」
「母さん、やっと帰れるね!」
「ええ、こっちへ来て。よく顔を見せてちょうだい」
母親がニコラの頬に手を伸ばして呼び寄せようとする。退院するくらいに回復すると、これほどまでに血色がよくなるものなのか。母親の顔色がとてもいい。いや、よすぎる。
湧いてくる嫌な予感に体が反応して、すぐさまニコラに歩み寄ってその体を払いのけた。
「痛っ。何するんだよ、アン!?」
「……」
優しく払いのけたつもりだったのだが、ニコラが後ろに転倒して尻餅をついてしまった。
ベッドに横たわる女――ニコラの母親をギッと睨みつけた。すると母親が困ったように眉尻を下げて儂を窘めてくる。
「まあまあ、大丈夫、ニコラ? アンちゃん、だったかしら? そんな乱暴なことしちゃ駄目よ」
「そうだよ、一体急にどうしちゃったの?」
ニコラが不思議そうに儂を見る。だが儂は母親から視線を外さないまま口を開く。
「元の母親の意識を閉じ込めてしまっておるの。ニコラ、この女に近付くな」
「……何言ってるの? アン」
ニコラがどうしていいのか分からないような泣きそうな顔で儂と母親を交互に見る。
「ニコラ、いいからこちらへいらっしゃい」
「えっ、でも……」
「駄目じゃ、動くな」
焦れた母親がベッドから足を下ろして立ち上がる。
「お主を拘束する」
「私を拘束? 何のこと?」
「何言ってるの? アン、やめてよ!」
「まだ白を切る気か。ニコラ、よく見ておけ」
儂は母親にゆっくりと近付いて髪を片方に寄せて首筋を見せた。すると母親の目が怪しく光り、儂の首筋にガバッと噛みついてきた。
やはりこの母親は思った通り眷属だったか。母親の意識は沈んで病魔によって新たに形成された意識に置き換わっているようだ。
「アガッ!」
「母さんっ! どうしてっ!?」
「フン。さぞ硬かろうな。儂の皮膚は人間の歯など通さぬ」
「フーッ、フーッ……」
母親は歯を剥きだしたまま息を荒げている。儂に噛みつけなかったのよほど悔しかったのだろう。だがこれでニコラも分かったはずだ。
「アン、これ、どういうことなの?」
「説明はあとじゃっ!」
母親は儂を素通りしてニコラに襲いかかろうとした。ちょうどそのときに病室に看護師が入ってきた。
「きゃあっ、貴女たち、何してるの!?」
「くっ、看護師か。外に出ていろ!」
ニコラに襲いかかろうとする母親に向かって大きく口を開けて咆哮して威圧をぶつける。声は出さない。人間など無音の咆哮で十分だ。儂の威圧を受けた母親は大きく後ろに吹っ飛び、壁に背をぶつけた。そのまま意識を失い、くたりと力を失って倒れた。
「ニコラくん、大丈夫?」
看護師が泣きじゃくるニコラに慰めるべく歩み寄る。
くそっ! こいつもか! ――儂は看護師の腕を掴み壁に投げつけた。
「アウッ」
「ポーラさん! アン、どうして!?」
「よく聞け、ニコラ。お主の母親もこの看護師も、皆悪魔の眷属と化しておる。この病院は危ない。儂と一緒に来るのじゃ」
患者も看護師も眷属化していた。ということは、病院の人間全員が眷属となっている可能性がある。恐らくはクロエなら病魔の浄化ができるだろうが、今は無理だ。まずはニコラを安全な場所へと隔離することにする。儂はニコラの手を握って引っ張る。
「グスッ……。アン、お母さん治るかな……」
「ああ、治るとも。心配するな」
「……アンはどうしてそんなに強いの?」
「あとで教えてやる」
このままニコラを連れて動き回るのは危険だ。どこか閉鎖された場所に隔離しておいたほうがいいかもしれない。建物の外も眷属がいないとは限らない。病院内で隔絶された場所……。
そうだ、あそこならいいかもしれない。ニコラの手を引いて階段を上る。
「アン、どこ行くの?」
「屋上じゃ」
階段を登り切った場所の扉を開けて屋上に出た。辺りを見渡した限りでは人の気配はない。
「よし、ここなら安全じゃな」
「アン、どこかに行っちゃうの?」
ニコラが不安そうに儂の顔を覗き込む。そんな縋るような目で見られると弱いんだが……
「儂は悪魔の眷属の親玉を探し出さねばならぬ。ここで大人しく待っておるのじゃ」
「アン、あれ……」
「む……」
ニコラを宥めていたら背後に大きな魔力を感じた。ニコラも異常に気付いたようで目を大きく見開いている。振り返ると紺色の亜服を着崩した四十才くらいの男が屋上の柵を跳び越えて内側へ入ってきた。ここは五階建てだ。いくら何でも地面から来たというわけではあるまい。下のフロアから外壁伝いに来たのか。
男は腰に細くて長い亜刀を吊り下げている。黒髪を高い位置で結わえている。どうやら亜国人のようだ。瞳が黒でなく銀色なのが解せないが。
「ふぁああ。下の院長室で昼寝してたら、面白そうな気配がこっちへ来たから追ってみたんだが、どうやら当たりだったみてえだなぁ」
飄々と佇む亜国人らしき男がニヤリと笑った。眷属の割りには自我がはっきりと残っているようだ。
「お主、何者じゃ」
「俺か? 俺の名はイゾウだ。お前こそ何もんだ。そんななりしてるが、人間じゃねえだろ」
「儂はアンジェリクじゃ。まあ確かに人間ではないのう」
このイゾウという男が眷属なのは分かる。だが先ほどの看護師やニコラの母親とは違う。戦い慣れをしている。それにこの気配。魔力。――直轄の眷属か。
「イゾウ。お主がこの病院の眷属を作ったのか?」
「ほほう、分かるのか。そうだ、俺が増やした。この病院はぜーんぶ俺のもんだ」
「ふん、ベルゼビュートの犬め」
儂の言葉にイゾウがピクリと片眉を上げた。そして飄々とした態度から一変して纏う気配に怒気を孕む。どうやら『犬』という言葉が気に入らなかったらしい。
「おい、お前……アンジェリクとやら。俺と戦え」
「そうせざるを得ないようじゃな。ニコラ、少しの間、離れておれ」
ニコラにこの場から離れるように指示して、あからさまに殺気を向けてくるイゾウと真正面から対峙した。
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