四十四、酒場からの(エルネスト視点)

 俺は街の中でも比較的情報が集まりそうな大きな酒場に入ってみた。まだ昼間で客は少ないが何人かはテーブルについている。酒場の奥にあるカウンターの内側に五十才くらいのマスターらしき男がいる。この男に不審な人物を見ていないか、尋ねてみることにした。


「なあ、最近この辺で怪しい奴を見なかったか?」

「怪しい奴って、男か、女か?」

「それはどっちか分からないんだが、そうだな。不審な行動をしている奴とか、見慣れない奴とか?」

「ああ、見たぜ」

「どんな奴だ!」

「今俺の目の前にいる」


 まあ、この店のマスターにとっては俺は明らかに不審者だろうな。確かにな。――いや、そうことではなくて……


「俺以外で、だ」

「そうだなぁ……」


 マスターがグラスを拭きながら記憶を辿っているのか一点を見つめて黙り込んだ。あまりたいした情報は得られそうにない。そう思って暇を告げようと口を開きかけたところで、マスターが告げる。


「そういやあ、三日前の夜に見慣れない女が来て娼館を紹介してくれと言ってきたな」

「娼館?」

「ああ。わけありで売られてくる女が娼館に入ることはよくあるが、わざわざ勤めたがる女はめずらしいもんでな」

「なるほどな。どんな外見だ?」

「そりゃあ、コレモンのコレモンで、いい女だったよ。髪は焦げ茶で目は吸い込まれそうな銀色だったかな。その娼館を教えてやるから、行ってみたらどうだい?」


 ――コレモンのコレモン。……別に気になるわけじゃない。確かに一瞬想像しなくもなかったが、クロエよりいい女などそうそういるわけが――いや、何を考えてるんだ、俺は馬鹿か。

 だが娼館か。もし女が直轄の眷属なら、仲間を増やすには都合のいい場所かもしれない。俺はマスターに娼館の場所を聞いて、行ってみることにした。

 残念ながらマスターは店を紹介しただけで、女の名前は聞かなかったらしい。だが特徴は聞いたから店へ行けば分かるだろう。

 件の娼館は町外れにあった。色街のような区画に並ぶ娼館の中でも一番大きな店だ。女はマスターに一番大きな店がいいと注文を付けていたらしい。


(クロエは、今はいないよな?)


 今から娼館に入るというところでなんとなくクロエの目がないかを周囲を確かめてしまった。別行動中だからクロエがいるわけがないのだが、万が一にでも見られたら嫌だという気持ちがふと湧いたのだ。

 別に後ろめたいことをしているわけでもないのに、じわじわと湧いてくる罪悪感がうっとおしい。

 ここにいるはずがないクロエの目がないことをとりあえず確認してから入口をくぐった。すると受付のカウンターの内側に眼鏡をかけた中年の男が立っている。

 一見優男のようだが、顔には古傷がいくつか残っている。その胡散臭い男が、揉み手をしながらニコニコと話しかけてくる。


「いらっしゃいませ。さあさあ、どうぞこちらへ。この店は初めてでいらっしゃるようですが、ご指名はございますか?」

「そうだな。……この店に焦げ茶色の髪をした銀の目のいい女がいると聞いてきたんだが、指名できるか?」


 俺の言葉に、受付の男がピクリと片眉を上げる。だがすぐに表情を取り繕い、愛想笑いを深める。


「ええ、勿論です。いやあ、お客さんはお目が高い。その子は最近うちに入った新人でサロメっていうんですよ。ご案内します。どうぞこちらへ」

「サロメか……」


 男に案内されるまま娼館の廊下を歩く。すれ違う女たちは妖艶な笑みを向けてくるものの、どこか虚ろで目に光がない。すでに眷属となっているのかもしれない。もしそうだとしたら、この男も例外ではないだろう。接近されないようにしなくては。


「このお部屋です。どうぞごゆっくりなさっていってくださいね」


 男は笑ってそう言い残し、この場を立ち去った。案内された部屋の扉を開ける。すると中にいたのは確かにコレモンでコレモンの――もとい、妖艶な女がいた。女は中にあるベッドに腰かけたまま、艶めかしく品を作る。


「いらっしゃい。初めましてかしら? 来てくださって嬉しいわぁ」


 女は肩と胸を随分と露わにしたドレスを身に着けている。肌を見せすぎだろう。思わず眉を顰めてしまう。クロエを見慣れてしまっている俺は、目の前のサロメに対して全く心が動かない。

 俺の好みは、上品で可愛らしくて優しくて仲間思いで聡明で凛としていてほんのり色っぽくて――兎に角、目の前の女は好みじゃない。だがこのサロメという女に陥落する男が多いのは事実だろう。……俺の好みではないが。


「ああ、いい女が娼館にいるっていう噂を聞いてきたんだ」

「あら。それで、期待通りだったかしら?」

「まあ、そうなのかもな」

「なぁにぃ? その微妙な返事」

「お前は、なぜここで働こうと思ったんだ?」

「……そんなのどうでもいいじゃない? 女の過去は聞かないものよ。私はサロメっていうの、お兄さん。……そんなことより、ねえ、こっちへ来て私を温めて」


 サロメが肩を出していたドレスの肩口をさらに下げる。温めてと言いながら服を脱ごうとするとはな。脱ぎたくても脱げなくしてやるか。


「風邪をひきたくなければ、脱がないほうがいいと思うがな」


 俺は魔力を使って、この部屋の温度を急激に下げた。サロメの吐く息が白くなる。これで、服を脱ぐ気など起きないだろう。柱や壁に霜が貼りついて白い斑模様が広がっていく。だが女は笑みを崩さず俺の顔をじっと見ている。


「平気よ。私は病気なんてしないの。病気にするほうが好きなの。フフッ」


 眷属確定か。しかも直轄の眷属だ。明らかに自我を保ったままだ。


「お前の主は悪趣味極まりないな。自分の手を汚さず、お前たち眷属に標的を狙わせるんだからな」


 俺の言葉を聞いたサロメがぴたりと動きを止め、一瞬表情から笑みが消えた。どうやら地雷を踏んだらしい。


「あの方が悪趣味ですって? そんなわけないでしょ。あの方は私の唯一なの。美しくて艶めかしくて高潔で……ああ、全てが完璧な存在なのよ!」


 恍惚とした表情で語り出したサロメを鼻で笑う。


「フン。高潔な男が手下を増やして自らは高みの見物か。大したご主人さまだ」

「なんと言われようとあの方は別格……。でも私は貴方のことも好きよ。強い男って大好き。その強い男を足で踏んで屈服させたときには、ゾクゾクっとするほどの幸福感が得られるの……」

「そうか。踏めるかどうか試してみるか?」

「フフ、それじゃあ早速一緒に遊びましょうか」


 サロメが立ち上がって一歩一歩俺のほうへ近付いてきた。

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