三十九、探索(ハル視点)
クロエさまを帝都に送り出したあと、ベッドに横になったアンさまを残して、エヴラールさまの部屋にお茶を飲みにきた。
「エヴラールさまの入れる紅茶って滅茶苦茶美味しいですよねぇ。美味しく入れるコツってのを教えてもらえると嬉しいなぁ」
「お湯の温度と茶葉を蒸らす時間を、その日の気温や湿度で微妙に調整することですね」
「ほおほお」
「ハルさまはどんな紅茶がお好きなのですか?」
「アタシはアールグレイが好きですねぇ。紅茶じゃないけどジャスミンティーもいい香りがするので好きです」
「いいですね」
穏かに微笑みながら紅茶のお代わりをカップに注ごうとしていたエヴラールさまの手が突然止まって笑みが消えた。エヴラールさまの表情に険しい色が浮かぶ。
「これは、マズいですね……」
「え?」
エヴラールさまが目を細めて唸る。まるで遠くを見ているように一点を見つめている。索敵をしているのだろう。険しい表情のまま言葉を続ける。
「……ここから南二十キロ先にブランという町があるのですが、そのさらに南に強大な魔力を感じます。いつから現れていたのでしょうか。私としたことが気付きませんでした」
悔しそうに顔を歪めるエヴラールさんの言葉を聞いて、アタシも帝都から南の索敵を試みる。そして尋常じゃないほどに大きな魔力の塊を見つけて驚いた。
「……ふむ、本当だ。こいつぁ、驚きですねぇ。アタシも気付きませんでしたが、並みの魔物じゃない。恐らく魔力を抑えていたんでしょうねぇ」
エヴラールさんはアタシの言葉に頷いた。魔力を抑えるなどという器用なことができるのは、魔物の中でもかなり知力の高い強力なものだけだ。
「クロエさまは留守だけど、先に正体を探ってきます。エヴラールさまはアンさまとクロエさまに連絡をお願いします」
アタシがそう言うと、エヴラールさまが不安げな顔で引き止める。
「おやめなさい。貴女が一人でまともにぶつかって勝てる相手ではないでしょう。クロエさまとエルネストさまがお帰りになるのを待つのです」
「大丈夫ですよぉ。アタシはそこまで無謀じゃありませんから、接触するつもりはありません。このままだとクロエさまに危険が及ぶ可能性があるんで、先に探ってきます」
クロエさまに危険が降りかかるかもしれない魔力の正体を、どうしても前もって探っておきたい。危険がないならよし。ありそうなら一刻も早く詳細を調べてクロエさまに報告しなくては。
引き止めるエヴラールさまを振り切って皇宮を出たあと、人化を解いて空を飛んだ。そして魔力を探知した問題の場所へと急ぐ。どうやら今は魔力を抑えているようだが僅かに感じる。ブランの町を越えてさらに南へ。
「この森の辺りか……」
標的に探知されないよう魔力を抑えて飛びながら索敵を続けていると、眼下の森の中に僅かな魔力を感じた。探知した強大な魔力の持ち主は恐らくこいつだろう。アタリを付けて森に降り立った。
「この辺のはずなんだけどなぁ」
森の中を歩き回りながら辺りを見渡していると、突然背後に邪悪な気配を感じて咄嗟に跳びのいた。
「ッ……!」
「ああ、見つかったか。気付かれる前に息の根を止めようと思ったのだがな」
「お前は……」
目の前に立っていたのは恐ろしいほどに美しい男だった。だがこいつが人間じゃないことはすぐに分かる。こいつはもしかして……。
厄介な相手だ。魔物なんて可愛いもんじゃない。確かにアタシじゃ歯が立たない。力任せに向かってくる単調な攻撃は決してしてこない。――こいつは悪魔だ。
だがどうして悪魔がここにいるんだ。悪魔がこの地に現れることなど悪魔召喚でもしない限りはあり得ない。幻界とこの世界が繋がっていないのと同じく、こいつら悪魔が棲まう『奈落』とこの世界が繋がっているはずがない。
となると、こいつも誰かに召喚されたのか。もしそうなら馬鹿な人間がいたものだ。代償を考えれば悪魔召喚などまともな神経の持ち主がやることじゃあない。
しかしどうしようか。接触するつもりはなかった。何とかやり過ごしてこの場を逃れなければ。アタシが煩悶していると、目の前の美しい悪魔が蠱惑的な笑みを浮かべながら口を開く。
「こんな所に幻界の住人がいるとはな。なるほど、お前は例の女に呼ばれた幻獣か。これは手応えがありそうだ」
「例の、女?」
この悪魔、クロエさまのことを知っている……?
「フフッ、まあいい。どうせ逃げられはしない。お前が見聞きしたものを主に報せることは二度と叶わない。なぜならお前は今からここで死ぬのだから」
「じゃあ死ぬ前に、なんで奈落にいるはずのあんたがここにいるのか知りたいねぇ。あんたの名前も教えておくれよ」
悪魔はにんまりと口角を上げて両手を広げ、仰々しく名乗りを上げる。
「我が名は病炎の悪魔ベルゼビュート。我が与える恐怖を胸に刻み黄泉の果てへと逝くがいい」
気障ったらしい台詞と傲岸不遜な態度が鼻に付く。悪魔って奴は皆こうなのか?
それにしてもベルゼビュート――厄介な悪魔だ。敵に対して自分で直接手を下すことはなく、数多くの眷属を作り出して眷属に襲わせる。こいつが現れたってことは眷属を作るつもりか。もしくはもう作ったあとなのか。
ベルゼビュートはアタシのほうへゆっくりと一歩一歩近付いてきた。なんとか目眩ましができないだろうか。
「誰が逝くかっ!」
ベルゼビュートの間合いに入れられる前に、一か八かアタシを中心に周囲の樹木を巻き込んでデカい竜巻を起こした。アタシの周りに千切れた樹木の枝や葉が無数に舞い上がってアタシの姿を隠してくれている。このままなんとかここを逃れられれば。
奴は竜巻に巻き込まれたはずだ。ダメージを与えることはできないだろうが、あくまで目眩ましだ。ここまで接近されると不意の攻撃でしか血路を開けない。
段々と竜巻の威力と半径を大きくしていく。今や半径十メートルほどまでに大きくなった。この竜巻をここに残したまま、奴のいるほうの反対側から抜けよう。
アタシは気取られないように竜巻の分厚い壁を抜けた。すると……
「フッ。浅はかな。逃がさないと言っただろう?」
いつの間にかベルゼビュートに回り込まれていた。一瞬ぎょっと固まったアタシの手足を、ベルゼビュートは黒い靄のようなもので拘束した。きっしょく悪い鳥肌が立つような黒いモヤモヤだ。
「クッ……!」
「気持ちが悪いか? それは私の血に潜む病魔が実体化したものだ」
アタシが拘束されると同時に周囲の竜巻が消え去ってしまった。このモヤモヤが触れている部分から魔力と力が奪われているのを感じる。
だがこいつの前で苦しそうな顔をするのは癪に障る。弱っているところなんか見せて堪るか。アタシはベルゼビュートに向けてニヤリと笑う。
「ああ、吐き気がするほど気色悪いねぇ。あんたと同じくらいにね」
「フフ。まだ元気があり余っているようだな。ではその魔力を少し分けてもらおうか」
ベルゼビュートはそう言って片手を掲げる。すると病魔の蔓がアタシの手足に食い込んで、なおかつベルゼビュートの口からさらなる黒い靄が出てきてアタシの口から入り込もうとする。
普通の人間がこんなものを体内に入れられたら、心も体も悪魔に支配されることになるだろう。ベルゼビュートは己の血液の病魔で人間を侵して眷属を増やすのだ
「幻獣は眷属にできないのが残念だ。だが内と外から力を食われて、もはや話す気力も湧かないだろう。そのまま身を任せれば楽に死ねるぞ。ククッ」
「あがッ……」
アタシの口を抉じ開けて入りこんだ病魔の靄が、徐々に体の中に充満していく。ヤバい、意識が持っていかれる。クロエさまに報せないといけないのに……。
「フゥッ、クッ……!」
「さて、次は私がお前の血液に直接送り込んでやろう。最後のプレゼントだ」
そう言ってベルゼビュートは作り物のような美しい顔をアタシの顔に近付けてきた。こいつ、まさか口づけする気か!
アタシはキッとベルゼビュートを睨みつけた。隙を見つけるんだ。僅かな隙を。
アタシの唇にベルゼビュートの赤い唇が触れようとした瞬間、ベルゼビュートの視線がアタシの唇に落とされた。
――今だ!
「キィィィィィ――――――ン!!」
「グゥゥッッ!!」
大きく口を開けて、最後の魔力を使って最大限の超音波を放った。ベルゼビュートが背中を丸めて耳を抑え、呻きながらふらりとよろめく。巻き添えにして申しわけないが、今の超音波で半径一キロ内の動物の三半規管は軒並みやられてしまっただろう。
逃げられるのは今しかない。アタシはなけなしの力を振り絞って地面を蹴りつけ、翼を上下に動かした。森の上まで飛び上がったあと、ベルゼビュートのいた場所を一瞥して力なく笑う。
「へっ、ざまぁ、みろ……」
ここで失速すればすぐに追いつかれる。次に追いつかれれば命はない。アタシは傷だらけの体を叱咤しながら帝都を目指して全速力で翼を動かした。
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