三十六、帝都散策
部屋へ戻ってソファーに座ってひと息つく私に向かって、ハルがぷぅっと頬を膨らませる。
「アタシも一緒に行きたかったのに、クロエさま一人で行っちゃうんですもん」
「ごめんね、あまり長い時間調べ物をするつもりもなかったから。そんなに拗ねないで」
「むぅ。それで、そのブルジェって男はどんな嫌味を言ってきたんですかぁ?」
「嫌味は言われてないわ。
「そのクソ魔道士とクソ騎士は、アタシがその場にいたら風魔法で切り刻んでボロ雑巾みたいにしてやったのに!」
ハルが眉間に皺を寄せながら両手を組んでバキバキと指を鳴らした。以前私が話した夜会の件を思い出して憤慨してくれているのだろう。ハルがいたら、王太子側近の魔道士アランと騎士トリスタンはすでに生きていなかったかもしれない。
そんなハルを宥めるようにアンが口を開く。
「ハル、まあ落ち着け。儂も想像すると腸が煮えくり返るが、クロエは計画してそう仕向けたんじゃろうから、ある程度は覚悟のうえじゃったんじゃろう。なあ、クロエ?」
「ええ、そうね。私刑は予定外だったけれど、婚約破棄の口実にするために、私になんらかの罪をでっちあげることは予想していたわ。だからある意味想定内」
「しかし本当に汚い奴らじゃな。いっそそのブルジェという男に冤罪を晴らしてもらったほうがいいんじゃないか? 今さら婚約の破棄は覆らんじゃろうし」
私は嘆息して首を左右に振った。冤罪を晴らすなどとんでもない。
「駄目よ。婚約破棄は覆らなくてもブリュノワ王国に戻るように強制されるかもしれないもの。力づくで拒否できなくはないけど、それが原因で王国に潜入しにくくなるのも困るしね。今は忘れられた存在くらいでいいのよね」
「ふむ、そう言われてみればそうか」
「ええ。ブルジェさまには遠回しに調査は必要ないって伝えたのよ。だって調査するなってはっきり言うと、不審がられるでしょう?」
「そうかもしれんのう」
「それなのに、目が『任せてくれ』って言ってるように見えたのよね。あの人が帰国したあとに余計なことをしないか不安……」
「なるほどなぁ」
「いっそこっち側に懐柔すればいいんじゃないですかぁ? で、ブリュノワで秘密裏に調査させたり裏工作させたりぃ」
発言するハルに向かって、再び首を左右に振った。
「駄目よ。下手に動かれて、お母さまを殺した主犯に警戒でもされたらやりづらくなるもの。それに彼に何かあっても守り切れないから、なるべく身軽でいたいのよ」
「まあ、仲間は弱点にもなり得るからのう。クロエのような性格じゃと特に」
「ええ、それもある。それにしてもブリュノワに行くのは気が進まないわ……」
「皇太子殿にはっきり断ればよかったじゃろうに」
「すっごくワクワクしてるみたいだし懇願されちゃったし、もう引き受けちゃったから今さら断れないわ……」
「お主も存外押しに弱いのう。流されるタイプかのう」
「チョロインってやつですねぇ」
「ちょろいん……」
ちょろいんって何だろう。もうハルの言うことにいちいち疑問を持っても仕方がない。きっと流されやすい人のことを言うのだろう。
それはそうとアンの解呪をそろそろ始めないと。
「アン、今から解呪を始めるからベッドに横になって」
「承知した」
私はアンをベッドに寝かせて腕輪の呪術式破壊に取りかかった。難易度がかなり上がってきている。けれど一日二個の術式を破壊することはできそうだから、一週間もあれば五割解呪はいけるのではないかと予想している。
三時間ほどで二個の術式を破壊したところで今日の解呪を終えることにした。解呪をやるのは今度から一日の最後にしよう。ぐったりと疲れてしまって出かける気力が削がれてしまう。
「丁度お昼ね。よかったら三人で街の図書館へ行かない?」
「儂は今日はやめておく。解呪で少々疲れてしもうた。エル蔵が来るなら護衛も必要なかろう」
「エルネストさまが護衛につくならアタシも不要ですね。アタシはエヴラールさまの所へお茶をご馳走になりにいこうかなぁ」
「え、二人とも来ないの?」
「うむ。エル蔵と二人で楽しんでくるがよい」
「また今度でぇ」
二人ともつれない。まあでも半分は図書館に籠るつもりだからつきあわせるのは悪いか。というか、エルネストに護衛を頼むのは本当に申しわけない。
「それじゃあ、エルネストさまに声をかけてきますねぇ」
「ありがとう、よろしくね」
ハルがエルネストを呼びにいってくれた。
エルネストが来るまでの間、街を歩いても目立たないよう、白いブラウスにライトグレーのベストとフレアスカートに着替えて、えんじ色のショールを肩に掛けて編み上げブーツを履く。
そしてエルネストが迎えにくるのを待ってから、馬車で皇宮を出た。
「その、ごめんなさい。つきあわせてしまって」
「いや、構わない。これも仕事だからね。それよりもまず昼食を取らないか?」
「そうね、お腹が空いたかも」
街の真ん中の大通りで馬車を降りて、エルネストと並んで歩き始めた。
帝都フォルバックの大通りは多くの人で賑わい活気に溢れている。大通りに面した店は大きめの店が多くガラス張りのショーウィンドウが目立っている。服や小物、布地や家具など、飾られているものも多種多様だ。物珍しくてついきょろきょろと眺めてしまう。
そんな私を笑みを浮かべながらじっと見守っていたエルネストが笑う。
「ハハ。珍しい?」
「ええ、ブリュノワの王都ではあまり街を歩くことはなかったけれど、ここまで大きなお店はなかった気がするわ」
「そうか。……俺が行きつけの食堂へ行こうか。図書館はそのあとで案内しよう」
「ありがとう。行きつけとかあるの?」
「ああ、騎士見習のときからよく行ってた食堂だよ」
少年のエルネストが騎士の格好をして街を歩くのを想像して思わず笑みを溢してしまった。それにしてもエルネストがどんな所へ案内してくれるのか楽しみだ。
エルネストのあとをついて大通りを少し歩いたあと左の路地の角を曲がる。するといろんな食べ物の店が並んでいる通りに出た。大きめのレストランから比較的小さな食堂まで様々だ。昼時というのもあって、大通りと変わらないくらい人が多い。
「ここに食べ物屋さんが集まっているのね」
「ああ、全部というわけじゃないが、この通りには多いな。ほら、あそこだ」
エルネストが指を差した先には、こじんまりとしたカフェのような小さなレストランがあった。オープンテラスもあるようだ。
「ここはローストビーフが美味いんだ。クロワッサンもね」
「そうなんだ……。ああ、駄目。聞いただけでお腹が空いてきちゃう」
エルネストの話を聞いて本格的にお腹が空いてきた。お腹が鳴る前に何か胃袋に入れないと、エルネストに恥ずかしい音を聞かせる羽目になってしまう。
店の前まで歩いたところでエルネストがぴたりとその足を止めた。一体どうしたのだろう。エルネストの視線はガラスのドア越しに店の中へ注がれている。
「あー、クロエ。今日は混んでるみたいだから別の店へ行こうか」
「え、ええ。構わないけれど」
本当は構う。早く、一刻も早く何か食べたい。お腹が鳴りそうなのだ。
どこでもいいから早くお店に入ってと心の中で叫んでいたら、突然バンッとお店の扉が開かれた。エルネストはしまったという表情を浮かべている。
私は扉のほうへと視線を向けた。すると……
「兄さま! ここに来ればお会いできるんじゃないかと思ってたんです! ……ところでそちらの女性をご紹介していただけるかしら?」
「アネット……」
薄茶色の柔らかそうな髪をハーフアップにしている小柄で可愛らしい少女は、髪と同色の大きな目をキッと吊り上げて、店の扉の前で両手を腰に当てて仁王立ちしている。薄緑のワンピースにクリーム色のジャケットを羽織っている姿を見て、シンプルながらも上質な装いであることから貴族令嬢であることが窺える。
アネットと呼ばれた少女は私の姿を上から下まで舐めるように眺めた。その少女を前にして、エルネストは困ったように眉根を寄せて嘆息する。私はというとあまりにも衝撃的な出会いに、思わず目を瞠った。
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