三十二、冤罪

 マルスラン殿下が穏やかな笑みを浮かべて話を続ける。


「ブリュノワ王国では証言だけで証拠になるのか。それだったら示し合わせれば、いくらでも罪人を捏造できちゃうね。凄いね、ブリュノワ」

「我が国を侮辱するのですか!?」


 これには流石にカチンと来たようで、リオネルが柳眉を逆立てて抗議の声をあげた。

 それに対しマルスラン殿下は特に動じることもなく、楽しそうな笑みを消すことはない。


「ああ、ごめん。ちょっと口が過ぎたね。でも考えてもごらんよ。元々クロエ嬢は、レオナール殿下の婚約者でグリモワールの正当な継承者という立場でもあった。全てを持ってるクロエ嬢がミレーヌ嬢を虐待する理由って何?」

「それは、美しいミレーヌ嬢を妬んでとか……」

「フフッ。ミレーヌ嬢に会ったことはないけど、今君の目の前にいるクロエ嬢よりも彼の令嬢が美しいと言えるの?」

「それはっ……」


 リオネルが真顔でじっと私を見つめる。改めてじっと見られると照れるのだけれど。

 私も負けじとリオネルを見つめたら、頬を赤くして目を逸らしてしまった。勝った!……じゃなくて、ミレーヌの熱烈な信者なら即答して然るべきだろうに。


「……外見はともかく、ミレーヌ嬢のグリモワールの力が優れているからとか」


 外見はいいのか。グリモワールについてはあまり言及したくはないのだけれど。能力については幼いころからずっと他人に見せないようにしていたし。


「ブルジェ殿。能力が低いなら余計に、王太子の婚約者と正当な継承者の座を捨てる危険を冒すとは思えないけど?」

「……」

「君はこの機会に、一度曇りなき眼でクロエ嬢の人となりを見極めるべきだ」

「クロエ嬢の、ですか?」

「ああ。大人の男なんだから、何が正しくて何が正しくないか、自分の目と耳と頭で判断するんだ。第三者の言葉ほど当てにならないものはない。君も将来施政者の補佐という立場に従事するなら、他人の言葉を鵜呑みにせず、無責任で自分を正当化する歪んだ内容ではないかを常に疑ってかかったほうがいい。こうして君に告げている私自身の言葉も含めてね」

「私は……」


 リオネルが言葉を詰まらせて俯いたところで、ずっとマルスラン殿下の後ろで物騒な表情を浮かべていたエルネストが口を開く。


「殿下、発言をお許しください」

「ああ、いいよ」

「ブルジェ殿。私はダルトワ帝国騎士団の副団長を務めております、エルネスト・イベールと申します。一つお伺いしたいのですが」

「なんでしょうか」

「ブリュノワ王国の王侯貴族には罪人でもないか弱い娘を寄ってたかって力の強い男が傷つける趣向でもあるのでしょうか?」

「な……、いえ、ございません。しかしクロエ嬢は罪を……」

「罪は不確定です。だがそれはそれとして、例え罪人であれ、然るべき公式の刑でもないのに、衆人環視の中で寄ってたかって女性を傷つけるのは単なる私刑リンチではないですか?」

「それは……」


 リオネルが再び俯いた。唇を噛み締めているようだ。反論できないということは私刑の事実を認めているのだろうか。

 そしてエルネストはというと、一見淡々と話しているように見えるけれど、マルスラン殿下の陰で固く握り締められた拳が震えている。私が傷つけられたことに憤ってくれているのだろうか。もしそうであれば嬉しい。


「なあ、エルネスト。今この場でブルジェ殿だけを問い詰めても仕方がない」

「確かにそうですね」

「お前の気持ちは痛いほど分かるよ。ここはとりあえず我慢してくれないか」

「……承知しました」


 黙ってじっと聞いていたマルスラン殿下の説得に、エルネストが唇を噛み締めつつも、引き下がった。


「そしてブルジェ殿」

「はい」

「貴国へ戻っても、クロエ嬢がこの国にいることを黙っていてくれないだろうか」

「……理由をお伺いしてもよろしいでしょうか」

「理由かぁ。……驚かせたいから、かな」


 ああ、マルスラン殿下が何かよからぬことを企んでいる気がする。


「そ、そうですか。もし報告したらどうなさるおつもりですか?」

「別にどうもしないよ。君の立場も理解できるし。だけど今日私が言ったことに、少しでも思うところがあるならば黙っていてくれると嬉しい」

「承知しました。少し……考えさせてください」

「頼むね」

「はい。……あの、クロエ嬢」

「はい」


 突然リオネルに話しかけられて驚いてしまった。顔には出さないけれど。


「君が虐待したかどうかの真偽が私には分からなくなってきた。だがイベール殿の仰る通り、アランとトリスタンのやったことは人として恥ずべき行為だった。それを見ていた私も同罪だと思う。あのときは頭に血がのぼってどうかしていた。すまなかった」

「私は……」


 ミレーヌを虐待したという冤罪をかけられたのは予想外だったけれど、リオネルに「黒の書が役に立たない」と言わせた部分は私が仕向けたことなので仕方がないと思う。

 直接手を下していないとはいえ、アランとトリスタンの暴力を平然と見ていたリオネルも同罪だろう。けれどそれをちゃんと自覚して謝罪してくれるのであれば……


「私刑については貴方を許します、ブルジェさま。けれど、貴方がたが何の検証もせずに、ミレーヌの証言をそのまま真実だと断定されたことについては許容しかねます」

「そう、ですか……」


 先ほどマルスラン殿下が言ったように、これ以上リオネルだけを責めてもどうしようもない。私はそのまま口を噤んだ。

 成り行きを見守っていたマルスラン殿下が大きく頷いて再び話し始める。


「それでは婚約披露パーティを楽しみにしているよ。ブルジェ殿も旅の疲れが癒えるまで、しばらく我が国に逗留されるといい」

「過分なご配慮、ありがとうございます」


 会合が終了してリオネルが応接室を出ていった。私たち三人だけが応接室のテーブルを囲んでいる状態だ。

 そんな中、突然マルスラン殿下が私に告げる。


「一か月後の婚約披露パーティだけど、クロエ、君に同伴してもらおうかと思っているんだけど、どうかな?」

「……え?」


 マルスラン殿下の言葉の内容があまりに信じられないもので、一瞬耳を疑ってしまった。

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