二十七、懇親会
エルネストはなぜあんなに不機嫌だったのだろう。殿下と私が友人関係になったのが、そんなに気に入らなかったのだろうか。
エルネストの態度を解せずに首を傾げたのを見て、マルスラン殿下がニコリと微笑みかけてくる。
「きっとエルネストは疲れてるんだろう。クロエはもう知っているかもしれないけど、彼は元々この国の人間じゃないんだ」
「それは、そうじゃないかと思っていました」
「うん。この国に逃げてきたエルネストを保護したのがラビヨン伯爵だ。利発で礼儀正しい少年だった彼を、伯爵が気に入って引き取ったんだ」
「そう、だったのですか……」
やはりエルネストは元々ブリュノワ王国の人間だったのだ。ブリュノワ王国にしかいないグリモワールの使い手に殺されそうになったのだから、そうではないかと思っていた。
十三才のときに殺されかけてダルトワ帝国へ逃げてきて、ラビヨン伯爵がエルネスト救った。ということは、エルネストにとって、伯爵は親代わりなのか。
「ではマルスラン殿下が仰っていたラビヨンの娘というのは……」
「ああ、伯爵の一人娘でアネットという娘だ。エルネストより五才下の十八才じゃなかったかな。エルネストが引き取られたときから兄妹同然に育ったらしい」
「兄妹……」
兄妹であれ、幼馴染であれ、十年もの間共に暮らしてきたのだ。アネットさんとの絆は相当に深いだろう。昨日今日知り合ったような私なんかに比べれば。
「気になる?」
そう尋ねるマルスラン殿下のエメラルドグリーンの瞳に妖しい光が揺らめく。エルネストの顔立ちも美しいけれど、マルスラン殿下の顔立ちは燃えるような赤い髪とは対照的に柔和な印象を受ける。いつも優し気に細められる眼差しが温厚に感じさせるのだろう。声も言葉遣いも柔らかい。
エルネストが氷の剣士ならマルスラン殿下は春風の貴公子といったイメージだ。
「いえ、私には関係のないことですので……。それにエルネストさまは私をマルスラン殿下にあまり近づけたくないのではないかと思います」
「なぜそう思うの?」
「それは……」
先ほどはエルネストが不機嫌そうに去っていった理由が分からなかった。けれど思い返せば、マルスラン殿下と私が友好の挨拶を交わした辺りから機嫌が悪くなってしまったように思う。もしかしたらマルスラン殿下との友好を深めるのを危惧しているのかもしれない。
それか、元貴族令嬢ごときが皇太子殿下を捕まえて対等な友人と口にしたことを、図々しいと思っているのかも……。ああ、段々へこんできた。
なんと答えようか。多分マルスラン殿下はエルネストと黒き魔女の因縁を知っているだろう。邪悪な魔女を帝国に招き入れないよう、エルネストが進言したと言っていたし。
「私の顔がエルネストさまの憎む魔女にそっくりだからではないでしょうか。それに別人だと分かっても、私が悪人でないという保証はどこにもありませんから」
私のことを友人程度には見てくれるようになったと思っていたけれど、思い上がりだったのかもしれない。きっと私のことが気に入らないのだろう。
「そんなことはないと思うけど……私はそんなにお人好しではないからね」
「……?」
「ううん、こっちの話。正直に言おう。クロエがブリュノワを離れたことを知って君と友好関係を築こうと思ったのは、強力なグリモワール使いと敵対したくないというのと、繋がりを作っておきたいという下心からだ」
「はい」
本当に正直な人だ。いきなり本音を打ち明けるとは。今マルスラン殿下が言ったことがそのまま本心だと思っていいだろう。
「だけど君に会ってみて驚いたよ。クロエは他の貴族令嬢とは違う。美しいだけでなく確固たる意志を持っていて、周囲に流されたりしない人だと感じた。君には何かやりたいことがあるのだろう。一切ぶれない君を見て私は心が大きく動かされたんだ」
「え……?」
マルスラン殿下が私の右手を両手で握り、エメラルドグリーンの瞳でじっと見つめてくる。
「いつか君の視界に入りたいと思う。長期戦の構えでいくから覚悟しておいて」
「はぁ……え?」
視界に入るとはなんのことだろう。すでに視界には入っているけれど。
友好を深めたいということだろうか。真の友人になるために時間をかけるということだろうか。そんなふうに言ってもらえると自分が認められたようで嬉しい。
わけがわからず頭の中に疑問符をたくさん飛ばしているのを見て、マルスラン殿下は破顔する。
「フフッ。こういった方面に疎いところも堪らなく魅力的だな。君と会えて本当によかったよ。あ、そうそう、大事なことを忘れていた」
「大事なこと?」
マルスラン殿下が大きく頷いて答える。
「実は君の祖国ブリュノワ王国からの使者が我が国に来訪してるんだ」
「使者、ですか?」
「ああ。登城と謁見は明日の予定だ。内容は大体予想がつくけどね」
「……といいますと?」
「まあ、明日になったら分かるよ。それよりも問題は使者殿のことだ」
ブリュノワ王国の使者に何か問題があるのだろうか。まさか……
「まさか……」
「うん、多分君のよく知る人物だと思う。報告によると、王太子の側近でもあるリオネル・ブルジェ殿が来ているということだ。
「ブルジェさまですか……」
ミレーヌの熱烈な信者であるリオネル。直接傷つけられたりはしていないけれど、ミレーヌの命を脅かしたとか身に覚えのない罪を並べ立てられたっけ。それに黒の書が何の役にも立たないゴミだとも言ってたっけか。まあそれは私がそう思わせたんだけれど。
「陛下との謁見のあとで、ブルジェ殿との会見の時間を取っている。個人的にいろいろ事情を聞こうと思ってね」
「事情……ですか」
「うん。そしてそこに君にも同席してもらいたいんだ」
「えっ!?」
それは如何なものだろう。もし直接対面するなら眼鏡をかけるべき? このままだと、リオネルは私のことを見ても誰だか分からないと思うけれど。あ、それならそのほうが都合がいいのか。
「同席の理由は何ですか?」
「君は
夜会で婚約破棄をされたときの事情をリオネルから直接聞くということだろうか。
「その……マルスラン殿下と私が友人であるということをブルジェさまに明かすのですか?」
「うん、そのつもりだよ」
「その、私がクロエ・ルブランであることも?」
「ああ、そうか。君はブリュノワ王国では変装していたんだったね」
「変装……」
変装っていうとなんだかアレだけれど、まあ確かに変装か。素顔を隠していたのだから。
「勿論、クロエだと明かした上で同席してもらおうと思っている。そうしないとブルジェ殿が真実を教えてくれないかもしれないだろう?」
マルスラン殿下がニコリと微笑みを浮かべながら答えた。穏やかにしゃべっているけれど、言っていることは結構黒い気がする。嘘を吐けないように証人をまじえた事情聴取をするから協力をよろしく、ということだろう。
本来ブリュノワのために力を尽くすはずだったグリモワールの使い手である私がマルスラン殿下の友人になったと知ったら、リオネルはどう思うだろうか。
「構いませんが、彼がブリュノワ王国に帰ってから、ダルトワ帝国のことをどう伝えるかが心配です」
無能だと思われているので、私自身を脅威とは判断されないだろう。けれど、たとえ無能であれ、グリモワールの使い手と繋がろうとした帝国の姿勢を、ブリュノワ王国がどう捉えるのかが心配だ。国交に亀裂が入ったりはしないだろうか。
「そこは上手いこと、こう、ね。……まあ、本当は美しいクロエを見たブルジェ殿の驚く顔が単純に見たいだけなんだよね。ハハッ」
ハハッて……。もしかして余興のつもりなのだろうか。見た目だけこぎれいになっても無能だと思われたままなのだから、大して驚かれないと思うけれど。そもそもリオネルはミレーヌ命だし。
それにしてもわざわざ使者をよこすほどのブリュノワ王国の用件って何だろう。しかもレオナール殿下の側近を使者にするなんて。
まあ、いつもミレーヌにくっついて回っていたのを考えると、リオネルは相当暇なのだろうけれど。
「マルスラン殿下は物好きですね。仕方がありません。同席させていただきます」
「そうか、ありがとう。明日の会合が楽しみだなぁ」
マルスラン殿下が嬉しそうに私の手を握っていた両手に力を込めた。忘れていたけれど、そういえばずっと右手を握られたままだった。
「ああ、それとエルネストとはちゃんと仲直りしておいてね」
「仲直りって……」
別に仲違いしたつもりなどないのだけれど。エルネストが私のことをどう思おうと、私はエルネストのことが嫌いではないのだから。
けれど、悪のりしてぐいぐい迫るのはもうやめよう。エルネストの気分を害さないように、今後は適切な距離を保つように気を付けなくては。そうしてつきあっていけば、いつか友人くらいには見てもらえるようになるかもしれない。
そういえば、エルネストはラビヨン伯爵令嬢とは会えたのだろうか。きっと久しぶりの再会を楽しんでいるだろうな。私はそんなことを考えながら、マルスラン殿下との懇談を続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます