二十六、ディナー

 図書室でダルトワ帝国の古い歴史の本を調べてみたけれど、魔道具の素材に関する情報を得ることはできなかった。とはいえ、この国に関する有意義な情報は得られたので成果はあがった。

 これから始まるマルスラン殿下とのディナーにおいて、この国の知識を持っているのといないのとでは心構えが変わってくる。

 クロエが客間へ帰りついてすぐにノックの音が聞こえた。少し早めに戻ってきてよかった。

 部屋を訪れたのは二人の侍女だった。どうやらドレスや靴を持参しているようだ。嫌な予感がする。


「クロエさま、お召しかえのお手伝いに上がりました。こちらのドレスをご着用ください」

「ドレス……」


 侍女が広げて見せたのは、艶のある群青色の布地の随所に銀糸で花の刺繍が施されたドレスだった。群青色に銀の刺繍の色合いが、まるで満天の星空のようでとても美しい。


「さあ、どうぞ鏡の前に」

「え、あの、あ……」


 そうしてあれよあれよという間に群青色のドレスを着せられた。胸元が大きく開いているマーメイドラインの大人っぽいデザインだ。胸元の大胆なカットが程よくまろみを帯びた白い膨らみを強調して見せている。


(これは少し見せすぎじゃないかしら……。なんだか気になるわ)


 特別小さいわけではないと思うけれど大きいわけでもないから、特に自慢するような品ではない。

 胸元も気になるが、マーメイドラインがなだらかな腰のラインにぴたりとフィットして、なんとも落ち着かない。兎に角体のラインが強調されたデザインなのだ。

 腰まで伸びた真っ直ぐな銀髪は器用に編み込まれてハーフアップにされ、アクセサリーにルビーのイヤリングとネックレスをつけられた。


「まるで雪のような肌ですわ……。本当にお美しい。この国のご令嬢にクロエ様ほどお美しい方はいらっしゃいませんわ」

「そんなことは……」


 幼いころから長い年月に渡って地味に装ってきたため、面と向かって容姿を褒められたことがない。


「お粉は要らないですわね。ほんの少しだけ頬紅をのせて、薄く口紅を塗るだけにいたしましょう」


 コルセットを装着されなかったことに安心した。私はお腹が空いているのだ。これからたっぷり食事をいただく前にコルセットなどとんでもない。

 それにしてもドレスなど久しぶりだ。しかも流行のものなど着用したことがない。仕立てたわけではないのに、サイズは合うのだろうか。


「少し針を入れないといけないと思っていましたけれど、まるでクロエさまのために誂えたようにピッタリですわ。そして群青色のドレスに銀のおぐしがとてもお似合いで……」


 ドレスを着せてくれた侍女がうっとりとしたように私を眺めてほうっと溜息を吐いた。確かに鏡の中には見慣れぬ美少女が映っているようだ。

 全体的に群青色を基調とした落ち着いた色合いではあるものの、私の緋色の瞳とルビーのアクセサリの赤い色がアクセントとなって華やかに見せている。

 アンとハルが身を乗り出して私を見ながら、目をきらきらさせて声をあげる。


「クロエ、美しいぞ! 着飾ればどこぞの姫君のようではないか」

「アタシはクロエさまがお美しいことは知ってましたけどぉ。こうして見るとまるで夜の女神のようですねぇ」


 褒めすぎではないだろうか。見慣れないから新鮮なだけだと思う。

 全ての準備が整ったところで、侍女に案内されて食堂へと向かう。話に聞いたところによると皇帝陛下は同席されないらしい。

 食堂に入った私を見て、マルスラン殿下とエルネストが、口を半分開けたまま驚いたように目を丸くしている。このドレスが私には似合わなかったのだろうか。いつもと違う格好はそれでなくても恥ずかしいのだから、あまり見ないでほしいのだけれど。


「これはなんと美しい……。なあ、エル」

「……」

「エル?」


 呆然と私を見て黙り込んでいたエルネストに、マルスラン殿下が突っ込んだ。


「あっ、ええ……美しい、です」


 我に返ったかのように言葉を紡いだエルネストに、マルスラン殿下が苦笑しながら肩を竦めた。

 まさかエルネストの口から美しいなどという言葉が出るとは。賛辞を受けるというのはこんなにも照れくさいものなのか。あまり言われたことがないのでくすぐったい。

 食堂に到着してテーブルについた。アンとハルも並んで座る。テーブルを囲んでいるのはマルスラン皇太子殿下、エルネスト、私、アン、ハルの五人だ。そして何人かの侍女と侍従と護衛騎士が見守る中で、恙なくディナーが進む。


「夜会でないのが残念だ。クロエ嬢に、ぜひダンスをご一緒してほしかった。美しい方だとは思っていたが、これほどまでとは……」

「お誉めに預かり光栄ですわ、マルスラン殿下。けれど、本来ならば私はこのように同席させていただける身分ではございません。ダンスなどもってのほかですわ」


 ディナーの間、他愛ない会話が交わされるのみで、グリモワールに関する話は出てこない。マルスラン殿下は食事のあとに話し合う時間を取ると言っていたけれど、そのときに本題に入るのだろうか。

 ディナーが終わり、応接室へと案内された。先ほどの五人でテーブルを囲み、いよいよ話が始まるようだ。


「クロエ嬢にこの国へ来てもらったのは、実は君の後見を申し出るためなんだ」

「後見……ですか」

「うん。君の身に起こったことはいろいろ調べさせてもらった。エルネストに聞いたわけじゃない。私の独自の情報網からだ。君の自由を束縛するつもりもないし、何かを強制するつもりもない。ただ、友好関係を築きたい」

「友好関係……ダルトワ帝国と私で、ですか?」

「ちょっと違うね。私個人とだ」


 マルスラン殿下と友好関係? 公式な協力関係というのではなくあくまで個人的にお友達になろうということなのだろうか。


「私の意志を尊重していただけるのでしたら、友人関係を結ぶのは吝かではありません。けれど、今後も誰かに寄りかかるようなことはしたくありません。友人というのは対等な関係だと思っておりますので」

「うん、そうだね」

「それでよろしければ友人としてのおつきあいをよろしくお願いいたします」

「うん、よろしく。クロエ嬢」


 私が握手にと差し出した右手を取ってマルスラン殿下が指先に口づけた。避けられなかったわけではないけれど、貴族の挨拶だと受け入れた。それなのに……。

 一体何だろう。その瞬間、エルネストの眼差しが氷のように冷たくなった。私の右手を取る殿下の手元をじっと見ているようだ。

 このような冷たい眼差しは初めて出会ったとき以来かもしれない。心なしか冷気も漏れているようだ。


「……エル、魔力漏れてるよ」

「エルネスト……さま?」


 マルスラン殿下と私が声をかけると、エルネストは、はっと我に返ったように顔を逸らす。


「す、すみません。少し酔ったようです」

「……そうか。大丈夫か?」


 マルスラン殿下が気遣わしげにエルネストの顔を覗き込むように見た。それに対しエルネストは無表情のまま淡々と答える。


「はい、大丈夫です。……申しわけありませんが、私は今からラビヨン伯爵家に帰りたいと思います。お先に失礼します、殿下、クロエ殿」

「ああ、ご苦労だったね、エル」

「失礼します」


 エルネストはそう言って私に一瞥もくれずに応接室を出ていった。

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