二十五、図書室にて

 グリモワールの使い手は私だけではない。私が知る限り、白の書を持つ妹のミレーヌ、叔母、そして叔母の娘である従妹の存在もあるはずだ。

 叔母と従妹とは、幼いころ以来会っていないので本の色までは把握していないけれど、同じグリモワール持ちであること、そして黒持ちでないことは知っている。

 それなのに、なぜエヴラールさんは私を選んでマルスラン殿下に伝えたのか。


「ふむ……。お答えしましょう。まず一つ目の理由は、クロエさま、お一人だけがブリュノワにいなかったからです。それでブリュノワの支配下にはないのだと判断しました」

「なるほど……」


 確かにブリュノワの支配下にない私であれば自由に帝国の招待に応じることができるだろう。それに角も立たせずに済む。


「そして二つ目の理由は、クロエさまの力が他に比べて桁違いに強大だったからです。一つ目の理由は殿下に伝えていますが、二つ目の理由はあえて伝えてはおりません」

「……それはなぜですか?」

「なぜなら、もしクロエさまが働きたくなかったときに、帝国に利用されるのは嫌だろうと思ったからです」

「え……?」


 働きたくないとは思わないけれど、利用されるのは確かに嫌だ。


「それなのに下手に情報を伝えてしまって、帝国にクロエさまのグリモワールの力が利用されることになったら申しわけないでしょう? それにいざそうなっても、使い手の力が強ければ拒絶できますから」

「そうだったのですか。いろいろお気遣いいただいたのですね」

「いえいえ、罪悪感に煩わされたくなかっただけですから」


 なんだか偽悪的なことを言っているけれどこの人はいい人なのだろうな。


「いやぁ、アタシは分かるなぁ。エヴラールさまの気持ち。アタシは働くのは嫌いじゃないけど束縛されるのは嫌ですもんねぇ」

「おお、ハルさま。分かっていただけますか」

「ええ、よぉっく分かりますとも」


 なんだかハルとエヴラールさんがガシッと握手を交わしている。何やら共鳴し合っているようだ。気が合うようで何よりだ。


「エヴラールさん、もう一つ聞いてもいいですか?」

「はい、何でしょう?」

「貴方はグリモワールの色も見えるのですか?」

「色も見えます。ですが、私はグリモワールの色の違いが何を意味するのかが分かりません。知りたいとも思いませんが」

「そうなんですか」


 色も見えるのか。これはアンと同じように見えると考えていいだろう。

 けれど、色の持つ意味は知らないようだ。黒の書に関してはグリモワールの血族の中でも秘匿していることだから、竜族のエヴラールさんが知らなくても当然だ。


「ええ。余所さまの秘めごとに首を突っ込んで、好ましい結果を招いたためしがありませんからね。私は知らないで済むことはなるべく知らないように努めています。これは長生きの秘訣でもあるんですよ」

「……覚えておきます」


 エヴラールさんがニコニコしながら答えた。なるほど、よく覚えておこう。「好奇心は猫をも殺す」っていうものね。

 流石数千才生きている竜は言うことが違う。達観しているというか諦念の境地というか、兎に角いろいろと不思議な人だ。

 そろそろ図書室へ行かないと時間がなくなってしまう。聞きたいことは全て聞いたし、暇を告げることにしよう。


「アン、そろそろいいかしら?」

「うむ、エヴラールにもう用はない」

「アンさま、言い方ぁ……」

「いえいえ、いいんですよ。またお茶でも飲みに来てください。大体はこの部屋に引き籠っておりますので」


 エヴラールさんは最後までずっと笑顔で対応してくれた。竜族の占術士というから、もっと見た目老齢のしかめつらしい男性を想像していた。けれど実際は穏やかな雰囲気の飄々とした美丈夫だった。


「礼を言うぞ、エヴラール。また来る」

「エヴラールさん、ありがとうございました」

「アタシはまたお茶飲みに来させてもらいますねぇ」


 私たちはそれぞれが暇を告げ、エヴラールの居室を出た。次に向かうのは図書室だ。


「あとどのくらい時間があるかしら」

「んー、恐らく二時間くらいかと」

「それだけあれば充分じゃな」


 再び複雑な回廊を抜けて予め聞いていた図書室へと辿り着くことができた。この城内の移動には案内人か地図が必要だと思う。

 図書室の扉を開いて中に入ると、司書らしき女性が入口付近に設置された机で書類作業をしていた。女性は私たちに気付いて図書室の中を案内してくれた。

 私は目的の本を探しあて、テーブルについて読書を始めた。片手に本を抱えたアンが私の読書の様子を見て目を瞠る。


「……お主、読むのが異様に早くないか?」

「流し読みするだけで、私の得た知識は全て黒の書に記載されていくのよ」

「何じゃ、その便利仕様は。ずるいのう」


 ぷぅっと頬を膨らますアンを見て、私はくすくすと笑う。


「本当はね、ほとんどの知識はすでに黒の書に記載されているの。でも『追刻の糸車』を作るのにもう少し知識が足りないから、帝国の古い歴史所から何か得られればと思っているのよね」

「そういうことじゃったのか」


 私は大きく頷いた。


「ブリュノワの本はあらかた読み終わったの。できればダルトワ帝国に滞在している間にこの図書室の本を読み尽したいわ」

「いくらお主が速読できようとも、流石に全部は無理じゃないか?」

「そうかもしれない。だから優先順位を付けて読んでいくつもり」


 アンの言う通り、この図書室の蔵書数を見るとざっと五万冊は下らないだろう。それほどこの国に長居するつもりはないけれど、もし帝都内に図書館があればそこへも行ってみたい。

 できることなら素材の入手場所や方法が知りたい。黒の書に記載されてあるのは『追刻の糸車』の簡単な設計図と必要素材くらいなのだ。もっと詳細な知識を補充できれば嬉しいのだけれど。

 私が図書室の歴史書を読み漁っていると、突然ハルが話しかけてくる。


「そういや、エルネストさまはなんとか伯爵の所へ行くんでしょうかねぇ」

「……ラビヨン伯爵?」

「ああ、それです、それそれ。キャンキャン煩い娘がいるって皇太子殿下が言ってましたけど、あれってエルネストさまのコレですかね?」


 ハルが小指を立てて悪戯っぽく笑っている。コレって何だろう? ハルの行動はときどき意味が分からない。


「コレって?」

「あー、えっとぉ、エルネストさまのイイ人なのかなぁと」


 それは思わなくもなかったけれど……


「そうかもしれないわね。でも私には関係のないことだわ」

「うん、そうなのか? てっきりクロエはエル蔵のことを慕うておるのかと思うとったが」


 いえいえ、ちょっと待って……


「そんなわけないじゃない。なんとも思ってないわ」


 最初は無表情だったのに、話すたびに新しい顔が見られる。そんなエルネストと一緒にいるのが楽しいと思っただけだ。別に異性として意識しているわけじゃない。


「そうか。まあよい。恋心というのは得てして本人たちは気付かないもんじゃろうて」


 両腕を組んで達観した物言いをする幼女に唖然としてしまう。確かにアンは私の百倍以上は生きてるんだろうけれど。

 それにしても、エルネストは「夜に顔を出す」と言っていたけれど、あとでラビヨン伯爵の屋敷へ行くのだろうか。なんとも思ってないと言いながらやはり気になってしまって、ついそんなことを考えてしまった。

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