二十四、占術士

 マルスラン殿下がニコリと笑いながら話す。


「時間までは自由に過ごして構わないけど、部屋を出るときは、護衛の者に行く先だけでも告げておいてくれるとありがたい。それでは私はエル……エルネストと話があるからこれで失礼するね」

「クロエ殿、アンジェリク殿、ハル殿。……どうか無理はなさらないように」


 マルスラン殿下に続いてエルネストが気遣わしげな表情で告げた。


「ありがとうございます、マルスラン殿下、エルネストさま」


 私はマルスラン殿下とエルネストに礼を述べ、立ち去る二人を見送った。どうやら客間の外には護衛の騎士が立ってくれるようだ。

 マルスラン殿下たちが立ち去ったあと、私はハルとアンに夕食までの時間をどう過ごすか尋ねてみた。


「儂はちょいと奴に会うてこようかと思う」

「ああ、占術士のエヴラールさん?」

「うむ。先ほどマルスラン殿には奴の居場所を聞いて面会の許可を貰った。エル蔵が予め儂とエヴラールのことを伝えておいてくれたようじゃ。すぐに許可をくれたぞ」


 いつの間に……。アンはなかなか抜け目がない。それにやはり同族の様子が気になるようだ。


「マルスラン殿下に竜だって明かしたの?」

「うむ、女王であることは伏せておるが、竜であることを明かさねばエヴラールとの面会は叶わぬであろう?」

「……確かに。でも、大丈夫なの?」


 強大な力を持つ者は国に利用されるのではという懸念を、どうしても抱いてしまう。特権階級がアンに目を付けないかが心配だ。


「ふむ。クロエ、お主の考えておることは大体察しがつくが、儂に関しては要らぬ心配じゃな。例え四割程度の力しかなくとも、いざとなればお主らを連れてこの国から強引に離脱することくらいわけもないぞ」


 凄い自信だ……。だけど完全体だったにもかかわらず、ガッチガチの呪いの腕輪を装着されてしまった前科がある。例えアンでも隙を突かれる可能性はあるから……


「……お酒の誘惑だけは気を付けてね」

「ウ……それを言われると何も言い返せぬ」


 アンが言葉を詰まらせてしゅんと肩を落とす。そして恥ずかしそうに顔を赤らめ、自分の頭に手を置いた。これだけ反省していれば二度はやらないだろう……多分。

 そんなアンを見て、ハルが慰めるように口を開く。


「まあまあ。荷物の整理が終わったらアタシがアンさまについていきますよ。クロエさまはどうします? お部屋で休まれますか?」

「いえ、私も少し調べ物をしたいから一緒に行くわ」

「調べ物とな?」


 アンが興味深そうに目をきらきらさせながら、身を乗り出して尋ねてきた。


「ええ、図書室でこの国の古い歴史をちょっとね」

「ほお、本か……。エヴラールとの面会が済んだら儂も一緒に行ってよいか?」

「ええ、構わないわよ。フフッ、私たち、なんだかんだでずっと一緒ね」

「仲良しトリオですねぇ。ニヒヒ」


 ハルが嬉しそうに破顔する。信頼できる従者で、友人で、姉妹のようなハルとアンとの関係が、今は私の心の拠り所になりつつある。

 私たちはマルスラン殿下に教えてもらったというエヴラールさんの居室へと向かうことにした。

 後宮の複雑な大理石の回廊を抜けて、ようやくエヴラールさんの居室の扉の前へと到着した。アンが大きな溜息を吐いて不満げにぼやく。


「エヴラールの位置は魔力で分かるのじゃが、そこに到るまでが迷路のようじゃのう。儂一人じゃと迷子になりそうじゃ」

「大丈夫ですよぉ、一人じゃ来させませんから」


 困ったように俯いているアンに、ハルがケタケタと笑いながら告げた。まるで迷宮のごとき皇宮の回廊の複雑さには、防衛の目的もあるのかもしれない。

 アンがエヴラールさんの居室の扉をノックすると、すぐに「どうぞ」と内側から返事が返ってきた。


「入るぞ」


 返事を聞いて即座にアンが扉を開いた。すると中には優しげな面差しの見た目年齢三十才前後くらいの美丈夫が立っていた。実年齢は恐らく数千才だろうけれど。

 背中ほどまでに伸びた真っ直ぐの白い髪が、窓の明かりを受けてきらきらと輝いてとても綺麗だ。常に微笑んでいるように目が細められており、そのせいか温厚な印象を受ける。

 この部屋は壁全体が書棚で埋まっている。まるで図書室のようだ。どんな本があるのかぜひ吟味してみたいところだ。私は本が好きなので、大量の本に囲まれたこの部屋の主が羨ましい。

 私たちはエヴラールさんと思しき男性に迎えられ、促されるままソファに座った。


「ようこそいらっしゃいました、アンジェリク陛下。そしてクロエさまとハルさま。私は占術士エヴラールと申します」


 エヴラールさんが穏やかに挨拶を済ませたあと、アンが訝しそうに尋ねる。


「儂が来たというのに驚かぬのだな」

「ええ、侍女から先触れを貰っておりましたので」


 エヴラールさんは、私たちのためにワゴンの上で紅茶の準備をしながら答えた。


「そうか。早速じゃが、お主はクロエの側に儂がおることが分かっておったのか?」

「最初は分かりませんでした。ですが最近になって僅かですがアンジェリク陛下の魔力を感じ取れるようになりました。なぜそんな現象が起こったのかは分かりませんが」


 腕輪の解呪が進んだことでアンの魔力の開放されはじめて、ようやく魔力を感知できるようになったということだろう。


「あー、それな。いろいろあったのじゃ……」

「いろいろ、ですか」


 アンは人間に捕まって呪いの腕輪を嵌められた経緯を簡潔にエヴラールさんに説明した。酒の罠に嵌った部分を話すときは少し恥ずかしそうだった。


「そうだったのですか。それはそれは」

「まあとりあえずそれはどうでもいいんじゃ。ところで、この国の皇帝や皇太子殿は儂の存在を知っておるのか?」

「いえ、アンジェリク陛下のことはお伝えしておりません。グリモワールの使い手を探すよう命じられただけですので」


 帝国側は私の側にアンがいることを知らなかったということか。


「ふむ、承知した。儂が竜であることは皇太子殿に伝えてあるが、女王であることは伏せておる。お主はここでは儂のことを呼ぶときに敬称を付けぬようにな」

「では、アンジェリクさまと呼ばせていただきます」

「うむ、そうしてくれ。ところでお主はなぜにダルトワ帝国で占術士などをしておるのじゃ?」

「実は私、カーンで宮廷魔道士をしていた際に、働くのが嫌になりまして」


 エヴラールさんは私たちに紅茶を出しながら説明してくれた。とても幸せそうな微笑みを浮かべている。働きたくなかったから――実にシンプルな答えだ。


 アンは出されたカップを手に取り、紅茶をゆっくりと口にしてコクリと嚥下して静かにカップを置く。王族として恥ずかしくない上品な所作だ。


 そして紅茶の余韻に浸ってひと息吐いたところでようやくエヴラールさんの言葉を理解したのか、目を見開いて聞き返す。


「…………はぁ?」

「私は元来体を動かすことを好みません。できることならこうして日陰に引き籠って、本でも読みながらのんびり暮らしたかったのです。占術士ならそれが叶うかと一念発起し、この国を訪れて志願することにしました」

「竜であることを明かしてか?」

「はい」


 おっとりと打ち明け話をするエヴラールさんを見ていると、今までにあったことのない、ちょっと変わった人だと感じた。一人だけ違う時間の流れを生きているようだ。


「……強大な力を持つ竜を内勤に配属するとは、この国の指導者もなかなか変わっておるのう」

「ええ、お陰様でこうして平和に過ごさせていただいております」

「そうか。お主がここにおる理由は理解した。じゃが別に帝国くんだりまで来なくとも我が国で己の望むまま暮らせばよかろうに」


 アンが両腕を組んで首を傾げながらそう問いかけたところ、エヴラールさんは肩を竦めながらゆっくりと首を左右に振った。


「ふぅ……。それがそうもいかなかったのです。祖国カーンの同胞たちは脳筋……失礼、少々血の気が多く、私が職を辞すのを許してはくれませんでした。彼らの力づくの説得工作に少々疲れてしまいまして……」

「そ、そうか。お主が今幸せならばそれでよいのじゃ。もしこの国で何か理不尽なことをさせられそうになったらすぐに報せるのじゃぞ?」

「承知しました」

「ところでクロエ、お主からエヴラールに何か聞きたいことがあるのではないか?」


 突然声をかけられて、飲んでいた紅茶を慌てて飲み下す。聞きたいことは勿論あるけれど、急に話を振られて少し驚いてしまった。


「そうですね。エヴラールさん、いくつか質問があるのですが」

「はい、なんでしょう?」

「貴方はなぜ、他のグリモワールの使い手でなく、あえて私の存在を皇太子殿下に教えたのですか?」


 私は彼の話の中で不思議に思っていたことを尋ねてみた。

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