二十一、頼み事
訪問者はエルネストだった。扉を開けると、何やら思いつめたような表情を浮かべて扉の外に佇んでいる。
「いらっしゃい、エルネスト」
「クロエ、実は君に頼みたいことがあるんだ」
エルネストが扉の外側に立ったまま、ゆっくりと口を開いた。
「頼みたいこと……?」
「ああ」
こんな所ではゆっくり話もできない。私はエルネストを家の中へと招き入れた。
促されるままエルネストが家の中へ入ると、いつもの居間が一気に狭く感じる。エルネストの身長が高いからだろうか。百六十五センチの私よりも頭一つ分は高い。
私はエルネストを招き入れて、アンとハルを紹介することにする。竜王であることを隠すために、予め私の幻獣ということにすると、アンには伝えておいた。
「この子がアンジェリクよ」
私はアンの背中に手を添えて紹介した。
「私の名前はエルネストだ。よろしく、アンジェリク殿。それと、この間は失礼をしてすまなかった」
エルネストが少し身を屈めるように差し出した右手を、アンが取って握手をした。
身長の高いエルネストと、六~七才相当の体つきのアンが並ぶと驚くほどの身長差だ。
「なあに、気にするな。儂はいつまでも小さいことは気にせん
アンが握手をした手でエルネストの腕をポンポンと叩いた。
アンが上から目線に見えるのは気のせいではないと思う。どう見ても従者の態度ではないけれど、幻獣の性格も様々だし別におかしくはないか。
「エル、ゾウ……?」
一方エルネストはアンに「エル蔵」と呼ばれて戸惑っているようだ。いつの間にかエル地蔵がエル蔵になっている。本当に受け入れてしまっていいのだろうか。
「それから、この子がハル」
ハルの肩に手を添えて紹介した。
「ハルでぇす。よろしくお願いしまぁっす」
笑いながら顔の横でピースサインをするハルがいつにもまして軽い。
どうやらハルは顔では笑ってるけど、内心は苛ついてるのではないだろうか。まあ第一印象が悪かったから仕方がないのかもしれない。
「あ、ああ。ハル殿、よろしく。君にも失礼をした」
「まったくですよぉ。ブチギレそうでしたからね、あのときはぁ」
「あ、ああ、悪かった……」
どうやらハルの怒りは収まっていたようだ。よかった。
それにしても話とは一体何だろう。エルネストにはソファーに座ってもらい、私たちは向かい側に座った。
「それで、ご用件は?」
私が尋ねたあと、エルネストは一呼吸おいてから話を始める。
「クロエ、どうか俺と一緒にダルトワ帝国へ来てもらえないだろうか」
「帝国……」
「ああ」
エルネストが大きく頷いた。あまりいい話には思えない。不安な気持ちが湧いてくる。
「君は今の生活が幸せだと言った。俺はそれを聞いてこのまま帝国へ戻ろうかと思っていた。だから無理はしなくていいんだ。君が嫌なら聞かなかったことにしてくれて構わない」
エルネストの言葉に嘘はないと思う。私が嫌だと言えばこのまま引き下がってくれるだろう。でも最後までちゃんと話を聞いておきたい。
「……まずは詳しい話を聞かせてもらえる?」
「ああ。俺はエルネスト・イベール。ダルトワ帝国騎士団の副団長をしている。今回はマルスラン皇太子殿下より、グリモワールの使い手を我が国へ招待するようにとの命令を受けてきた」
エルネストはダルトワの騎士だったのか。しかも副団長とは。あれだけの実力があるのだから国の重要な役割を担っているのではないかと思っていたけれど。
それにグリモワールの使い手を……ということは、私がそうだと最初から分かっていたということ?
「招待……ですか。それはお会いしてから協力を要請される可能性があるのでしょうか?」
エルネストは恐らく帝国の貴族だろう。呼び捨てや敬語なしで喋るのはやめたほうがいいかもしれない。
「クロエ、頼むからこれまでと同じように話してくれ」
「……分かったわ」
「……招待の理由を聞いたわけではないが、俺は殿下が君の協力を求める可能性が高いと思っている」
「そう……」
ブリュノワの私欲まみれの王侯貴族に利用されたくなくて目立たぬように過ごしてきた。それにあの中には母を殺した者が潜んでいる可能性が高い。
私は魔道具を作るためにブリュノワを離れる必要があった。けれどここへきて、別の国に利用されるかもしれないとなると、招待に応じるのは正直気が進まない。
「勿論選択は君の自由だ。今ここで断ってもいいし、我が国へ来て皇太子殿下にお会いしてから決めてもいい。君に強制することは決してしないし、させない」
エルネストが静かにそう話す。その言葉に偽りはなさそうだ。もしかしてエルネスト自身が私を招待することに気が進まなかった……?
「それなら、なぜ最初からそう言わなかったの?」
「ここへ来る前は、君が俺を殺そうとした黒き魔女かもしれないと思っていた……。もしそうなら邪悪な者を帝国へ招き入れるのは反対だった」
「なるほど……」
やはりエルネストは気が進まなかったのか。いくら皇太子殿下の命令でも自分を殺そうとした魔女と行動を共にすることなどできないだろう。
「殿下にそう進言したら、迎えに行ってお前の目で確かめてこいと言い渡された」
「そうだったの……」
エルネストは頷いて話を続ける。
「ああ。そしてこの森へ来てここへ訪れた。最初は顔がそっくりだから黒き魔女かもしれないと思ったが、君と話すうちに違うと分かった」
それで最初に会ったときに悪しき魔女かどうか見極めると言ったのか。あのときの言葉に嘘はなかったのだ。
「それで私を誘おうと?」
「ああ。だが君の望まないことはしたくない。君が嫌なら断ってもいい」
魔女の疑いが晴れないから気が進まないのではなくて、今は本当に私の望まないことをしたくないだけ……? でももし断ればエルネストの立場はどうなるのだろう。
「もし私が断ったら、皇太子殿下になんて説明するの?」
「……同意を得られなかったと言うだけだ」
「本当にそれで済むの? 命令違反にはならないの?」
「大丈夫だ。それは君が気にすることじゃない」
大丈夫って……。そもそも協力を得てこいという命令じゃなくて、招待するようにという命令だ。たいした理由もなく招待を断ることは、帝国の心証を無駄に悪くしてしまうのではないだろうか。
皇太子殿下に会ってみて、もしも協力を要請されたらそのときに判断すればいい。力づくで強要されるようであれば、力づくで撥ね退ければいいのだから。
「エルネスト。帝国に力を貸すかどうかは別として、招待には応じるわ」
「クロエ、いいのか……? 俺に気を遣っているなら無理はしないでくれ」
エルネストこそ私に気を遣っている。やはり本当は優しい人なのだろう。
「貴方の顔を立てるという意図が全くないわけではないけれど、皇太子殿下直々のご招待とあれば何の理由もなくお断りするのは失礼になるもの。それに本気で嫌ならはっきりと断るわ」
「……そうか。クロエ……すまない。それと、ありがとう」
エルネストが申しわけなさそうに礼を告げて右手を差し出す。私はエルネストの手を取り固く握手を交わした。
「それと、最後にもう一つだけ聞きたいことがあるのだけれど」
「何だ?」
「ブリュノワにいるはずのグリモワール持ちの私が国を離れてこの森にいることを、なぜ帝国にいる皇太子殿下がお分かりになられたのかしら?」
どうしても腑に落ちなかった。もし帝国の間諜があの夜会に紛れていて私が追放されたという情報が皇太子殿下の耳に入ったとしても、行方までは誰にも分からないはずだ。誰にも行先を漏らしてはいないのだから。
仮に森にいると当てを付けても、広大な黄泉の森にあるこの家の位置を正確に割り出すのは不可能だ。空から探せば分かるかもしれないけれど。
……上空から分からないように、今度幻影の魔法でもかけておいたほうがいいのだろうか。
「それは……。言えないんだ」
エルネストが言い淀む。国家的な秘密ということだろうか。
「極秘事項なの?」
「そうなんだが……」
そう答えたあと、指で顎を触りながら何やらじっと考え込む。
「……君にこちらの願いを聞いてもらったのだから、こちらのカードも見せるべきか」
「……?」
エルネストはそう呟いたあと、小さく頷いて再び話を始める。
「帝国にはグリモワールの使い手の位置を正確に探り出せる者がいるのだ。竜族の占術士だ」
エルネストの言葉を聞いたアンがピクリと眉を動かした。
アンが以前言っていた。私のグリモワールの力を遠くからでも感知できると。しかも色付きでだ。この力は竜族の特殊な能力なのかもしれない。
「そういうことだったの……。色も分かるの?」
「色……? それは聞いたことがないが」
色が分かるのはアンだけということなのだろうか。あとでアンに聞いてみよう。
「……そう。その占術士の名前を聞いても?」
「なぜだ?」
さり気なくアンをちらりと見た。表情は変わらないが、きっと聞きたいはずだ。占術士がアンの国カーンの者なのか。
「無理にとは言わないけれど」
「いや。帝国に竜族の占術士が存在すること自体が極秘事項だから、存在を明かした今となっては名前を隠す意味もないだろう。彼の名前はエヴラールだ」
「エヴラール……」
アンの表情は変わらない。物事に動じないのは流石女王の貫録といったところだ。……何も考えてないだけかもしれないけれど。
正直なところ、知りたいことはまだたくさんある。エルネストの過去を皇太子は知っているのか。なぜブリュノワ王国で殺されかけたのに、今ダルトワ帝国にいるのか。そもそもなぜ殺されそうになったのか。
(でも帝国への招待に、エルネストの過去は直接関係ないか……)
話したくないのならば、無理に聞きだすことはしたくない。もしグリモワールの使い手が犯人ならば同じ血族の罪になるから、私も全くの無関係というわけではないのだけれど。
「そろそろ失礼するよ。クロエ、招待を受けてくれてありがとう。出発は明日……でもいいか?」
「ええ、構わないわ。ドレスなんて持ってきていないから普段着で訪問させていただくけれど」
ドレスは公爵家に全て置いてきた。どうせ流行はあっという間に移り変わる。流行遅れのドレスを着て恥をかくくらいなら、こぎれいなワンピースのほうが幾分かましだ。
「ああ、構わないさ」
「それと、アンジェリクとハルを同行させてもいいかしら?」
「勿論だ。君の好きにするといい。それじゃ明日、迎えに来る」
「分かったわ。おやすみなさい。ではまた明日……」
「ああ、おやすみ」
私はエルネストを見送ったあと、未だかつて足を踏み入れたことのないダルトワ帝国を思い、言い知れない不安に包まれた。
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