二十、新しい服

 この森へ来て八日が過ぎた。一緒にサンドイッチを食べた日から三日、エルネストには一度も会っていない。

 近いうちにこの家を訪ねると言っていたけれど、本当に来るのだろうか。自分が思いのほかエルネストの訪問を楽しみにしていたことに、我ながら驚いてしまう。


(私ったら何を浮かれていたのかしら……馬鹿みたい)


 術式の難易度が上がったことで、腕輪の解呪はここにきてペースが落ちてきている。最初は一日十個の術式を解除できていたのが、いまでは二~三個にまで減っている。あの腕輪を作るには、かなりの労力がかかったのではないだろうか。

 今日は三個の術式を破壊したところで解呪を終えることにした。これでようやく全体の四割近くを解呪できたことになる。


「力足らずでごめんなさい。もう少し早く解呪できる予定だったのだけれど」

「何を言う。クロエ、お主が精いっぱいやってくれておるのは分かっておる」

「アン……」

「あと少しで四割じゃ。こちらこそすまんのう。お主が精神を擦り減らしておるというのに儂は何もしてやれん……」


 アンがしゅんと肩を落とす。幼女がしょんぼりする姿は見るに忍びない。解呪をじっと待たなければならないアンもかなり疲れることだろうに。

 そんなアンに手を伸ばし、慈しむように頭を優しく撫でた。


「いいのよ。どんなに時間がかかっても最後までちゃんとやるからね」

「……ありがたい。クロエ、これからもよろしく頼む」

「任せて」


 ……と笑いながら答えてはみたけれど、術式の難易度はどんどん上がってきている。

 だからといって立ち止まるつもりは毛頭ない。いくら難易度が上がろうとも解呪を諦めたりはしない。絶対にアンを元の姿に戻す。


「ただいま帰りましたぁ」

「お帰りなさい」

「お帰り」


 今日の解呪が終わってひと息ついていると、昼過ぎに外出したハルが戻ってきた。足りないものが多くなってきたので、今日は買い物に行ってもらった。

 上空を移動できて人化できるハルには街へ買い物に行ってもらうことにしたのだ。

 今回はフォレストウルフとビッグホーンディアの素材を売ったお金で、食料や衣類、そして生活用品を買ってきてもらった。

 ハルは大量の荷物を居間の床に置いて、ふぅと溜息を吐いた。


「重かぁないんですけどぉ、量が多かったので落としてしまうんじゃないかとハラハラしましたよぉ。それじゃあ、食糧をしまってきますねぇ」


 さぞ大変だっただろう。大量の荷物をぶら下げながら森の上空を飛んできたのだから。やはり私は幻獣使いが荒すぎるのではないだろうか。


「ありがとう、ハル。服の布地はあった?」

「ありましたよぉ。あと掘り出し物も見つけちゃいましたよぉ。かなりの上物で、なかなかの掘り出し物でした。ニヒヒッ」


 ハルが嬉しそうに笑いながら人差し指と中指を開いて立てる。これを『ピースサイン』というらしい。一体どこでこのようなことを覚えてくるのだろうか。


「そう。でかしたわね、ハル」

「イェ~イ」


 ハルが嬉しそうに手を挙げたので、私は以前ハルに教えてもらった『ハイタッチ』というものを、ハルと交わした。

 ハルが持ってかえった荷物を開いてみると、鮮やかな牡丹色の亜服の古着が入っていた。牡丹の地色に黄色で蝶が描いてある可愛らしい絵柄の生地が使われている。掘り出し物とはこの古着のことだろう。


「綺麗ね……それに異国情緒があって素敵……」


 亜の国には色鮮やかな服に身を包んで髪を高く結い上げた女性が歩いているらしい。国民が着ている服は全て、四角い布を縫い合わせて胸元で交互に閉じている独特なデザインだ。

 そして国民は、草を編んだ畳とかいう敷物の上で靴を脱いで暮らしているらしい。亜の国には一度行ってみたいものだ。

 ハルが持ってかえってきた白の布地と古着の亜服を絨毯の上に広げてデザインを考えてみる。


「おお、これは綺麗な牡丹色じゃのう。これで儂の服を作ってくれるのか?」

「ええ。亜服に近いデザインがいいって言ってたから、ハルに探してもらったのよ」

「楽しみじゃのう。ワクワクするのう」


 アンが私の側に座り込んで、金の瞳をきらきらさせながら私の手元を見ている。

 竜の国では人化するときに亜服に近いデザインを着ていたらしい。着るのが楽なのだそうだ。

 ここに来てから私は簡素な服しか着なくなったけれど、私が以前着ていたドレスは着づらいものが多かったのでちょっとアンが羨ましい。


(子供服でデザインのいいものって、なかなか手に入れるのが難しいのよね……)


 アンの服を買わないといけないけれど、貴族の子ども服は仕立てないと手に入らないし、市井に売っているものでアンが気に入りそうなものはない。

 そこで私がアンの服を作ることにした。私のクリーム色のパジャマシャツをずっと着っぱなしだったから、早くなんとかしないといけないと思っていたのだ。


「古着の割りには綺麗……。生地もちゃんとシルクだし、虫食いもないし、色褪せもない。状態がいいわ」


 折角なら亜の異国情緒溢れるデザインを生かしたものがいい。古着の亜服を一度ほどいて、アンの体に合わせて裁断していく。

 そのまま亜服というのも面白くないから、下に着る白い襦袢の縁に、亜服の襟や袖口や裾からはみ出すように可愛らしいフリルを付けてみよう。帯は茜色の花柄で帯紐は紅色で色合いもいい。


(布地も古着も任せたけど、ハルってとてもセンスがいいわ)


 亜服を縫うのはとても楽だ。カーブが少なくて殆どが直線なのだ。裁縫を始めて三時間ほどで仮縫いが仕上がった。私はアンを呼んで試着してもらう。


「先にこのフリルの襦袢を羽織って、こうして……で、この牡丹色の亜服を羽織るのよ」


 アンが試着したらサイズはいい感じだった。全体的には亜服のデザインに近いけれど、丈は動きやすいように膝上にした。

 袖は長袖で、上腕部から袖口に向かって徐々に広がる形だ。腰の上に茜色の帯を巻いて紅色の帯紐を結ぶ。牡丹色の亜服の襟や袖口や裾の所からは襦袢のフリルがはみ出している。靴は脛ほどの丈の茶色い編み上げブーツだ。

 ――うん、可愛い。アンによく似合ってる。


「完璧だわ」

「おお、可愛いのう! クロエ、礼を言うぞ! 儂はこれが気に入った!」

「光栄ですわ、陛下」


 アンが嬉しそうな笑みを浮かべて、大はしゃぎでくるくる回っている。瑠璃色のツインテールを揺らしながら、姿見で自分の姿を確認している。アンが喜んでくれたのがとても嬉しい。

 喜んでいるところを可哀想だけれど、まだ本縫いが終わったわけではないのでアンに脱いでもらう。もう一度私のパジャマシャツに逆戻りだ。


「むぅ……。いつごろできるのかの?」

「そうね、あと二時間くらいちょうだい」

「に、二時間か。……承知した。儂は大人じゃからな、うん。ちゃんと待てるぞ」


 アンが自分に言い聞かせるように頷いて返事する。「大人」を強調するところが大人げないと思ったけれど言わないでおく。

 私はアンに脱いでもらったオリジナル亜服の本縫いを進めることにした。

 ふとエルネストのことを思い出す。本当にエルネストはどうしたのだろう。まさか知らない間に魔物にやられているとか……?

 いやいや、あんなに強いのだ。この辺の魔物にやられたりはしないだろう。

 もしかして病気で寝込んでいるとか……? 一人で誰にも気付かれずに熱を出して唸ってるんじゃ……。


「…………」

「クロエ、どうした? 顔が怖いぞ?」


 どうやら、ソファーに座って針を進めながら煩悶していたようだ。アンに突然声をかけられてびくりと肩が跳ねあがる。

 アンのほうを見ると、心配そうに私の顔を覗き込んでいる。心配させてしまったみたいで悪いことをした。


「ううん、なんでもない」

「クロエさまはあの男のことを考えてたんじゃないですかぁ? ランチデートも随分楽しかったみたいですしねぇ」


 それまで私たちの様子を見守っていたハルがニヤニヤしながら突っ込んできた。ランチデートって……デートじゃない。

 たくさんの食材を貰ったから、お返しに食べ物のお裾分けをしただけだ。


「あの男? エル地蔵のことか? クロエ、いつの間にそんな仲に……」

「な、何言ってるの。前は憎まれていたのよ? そんなにすぐ仲よくなんてなれるわけないじゃない……」


 思わずむきになって反論したことをすぐに後悔する。むきになる私の顔を見て、ハルとアンがニヤニヤと笑っているのだ。

 なんだか頬が熱くなってくる。一体何なのだ、皆して。


「こんなに暗くて広い森の中で一人ぼっちで寝込んでしまってたとしても、あんなに強い剣士が泣きたくなってるわけないでしょう? そんなこと考えもしなかったわ」

「考えたんじゃな」

「考えたんですねぇ」


 考えまいとすればするほどエルネストの顔が浮かんでくるのだ。私は一体どうしてしまったのだろう。

 もう少しで本縫いが終わるというところで突然入口の扉がノックされた。もしかしてエルネストだろうか。

 ばっと入口の扉のほうを振り向く。なんだかこれでは楽しみにしていたみたいではないか。まったく馬鹿みたいだ。

 立ち上がって入口の扉に近付き、扉越しに声をかけて訪問者を確認してみる。


「どちらさまですか?」

「エルネストだ。突然すまない」


 訪問者はエルネストだった。扉を開けると、何やら思いつめたような表情を浮かべて扉の外に佇んでいる。


「いらっしゃい、エルネスト」


 なぜか嬉しくなってくる気持ちを顔に出さないように声をかけた。別に楽しみになんてしていなかったのにわけがわからない。


「クロエ、実は君に頼みたいことがあるんだ」


 エルネストが扉の外側に立ったまま、ゆっくりと口を開いた。

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