十八、お宅訪問
私は魔物が寄ってこないように不可視の魔法をかけて森に入る。南へずっと歩いていくと、エルネストさんの拠点が見えてきた。
「何しに来た……とか言われたりして」
遠目に見た感じ、拠点内に山積みになっていたアシッドエイプの屍は全て片付けられているようだ。どうやって片付けたのだろう。食べるところは想像したくないので、聞かないことにしよう。気にはなるけれど。
「まさかね……」
改めて見てみると、拠点の場所は元々樹木が生えていない草地だったようだ。十メートル四方ほどの草地の端に、五~六人用の軍用テントが設置してある。
拠点の草は短く刈られ、中央付近に焚火の跡と腰かけるための丸太が置いてある。いつもここで食事をしているのだろう。
いつの間にか随分拠点に近付いていた。エルネストさんの姿は見えない。狩りにでも行っているのだろうか。
「お邪魔しまーす……」
留守なのに勝手にお邪魔するのはまずいかな、などと考えながらも、興味が勝って焚火の側まで来てしまった。
焚火の周りには魔物の骨らしきものが散らばっている。猿の骨じゃないと信じたい……。
テントを見てみると何カ所か魔物の皮らしきものでつぎはぎがしてある。特殊な樹液を使って貼り付けているようだ。もしかして戦ったときにアシッドエイプの唾液で溶けてしまったのだろうか。
テントの表面を触りながら、意外と器用なのね、などと思わず感心してしまう。
「おい」
「ひゃっ」
背後から突然声がかけられた。誰もいないと思っていたので驚いてしまった。心臓がドキドキしている。
不可視の魔法をかけていたのに、なぜばれてしまったのだろう。しかも警戒していたのに背後に立たれたことに気付かないなんて。
不可視の魔法を解いて後ろを振り向くと、エルネストさんが無表情のまま私を見下ろしていた。初めて会ったときのような冷たい眼差しを向けられているわけではないけれど、好意的な感情を感じ取れるわけでもない。
「何しに来た」
――あ、これはお約束っていうやつだわ。あのとき何か立てちゃったのね。
「……どうして私がいるのが分かったの?」
「私に不可視魔法は通じない」
不可視魔法が通じない……。魔法をかけても見えてしまっているということだろうか。
隠れていたのを見つかるというのは、何とも言えない悔しさと恥ずかしさがある。こんなことなら不可視魔法を解いて堂々と訪問すればよかった。
「何か用か?」
不意に声をかけられたことで動揺した気持ちをどうにか落ち着かせる。例の贈り物のことを確認しよう。
「……貴方がオジゾーサン?」
「……は?」
エルネストが唖然と聞き返してきた。言った瞬間に失言したと思った。
――美人のちょっと抜けた顔ってレアだわ。……っじゃなくて私ったら何を言っているのかしら。ああ、ハルのせいで変な尋ねかたをしてしまったじゃない……。
「……変なこと言ってごめんなさい。エルネストさんがビッグホーンディアを持ってきてくれたの?」
「……ああ、あれはその、君を傷つけてしまったし、治癒の礼もまだだったから」
エルネストは気まずそうに目を逸らして、申しわけなさそうに答えた。どうやら気にしていたらしい。手首は確かに痛かったけれど。
……また騎士トリスタンのことを思い出してイラッとした。
「贈り物、ありがとう。でもお礼は要らないって言ったのに」
「礼をしないと言ったのは、君を邪悪な魔女だと思っていたからだ。……すまなかった」
エルネストさんが真っ直ぐな眼差しを向けて謝罪する。今失礼な態度を取られているわけではないし、もう気にしていない。
「いいえ、もう謝ってもらったし……」
それにしてもこの距離……。前にも感じたことがあるのだけれど、エルネストさんのパーソナルスペースはいつもこんなに狭いのだろうか。向かい合っているお互いの距離が三十センチくらいしか空いていない。
レオナール殿下にすらここまで近付いたことはない。……そう考えると、レオナール殿下とは他人以上に遠い婚約者同士だった。今となってはどうでもいいことだけれど。
そして今はかなり近いけれど息が白くはならない。きっとエルネストさんが上手く感情を抑え込めているのだろう。
「エルネストさん、お昼、食べない?」
「え?」
「ピクニックに来たんだけど……お弁当多めに作りすぎたから少しあげる」
「ここでピクニック……いや、でも……」
「肉ばっかりじゃ駄目よ。野菜も食べないと」
私は無意識のうちにエルネストさんに迫るように近付いていたらしい。私が近付いた分エルネストさんが後ろに退いた。
「……駄目だ。あまり近付くな」
「……? 何が?」
エルネストさんの周りに冷気が漂う。僅かに魔力が漏れているのかもしれない。動揺しているのだろうか。もともとパーソナルスペースが狭い人なのに近付かれるのが苦手なんて面白い。
あまり感情を表に顕さないエルネストさんが動揺したのを見て、嗜虐心が煽られる。もっと困らせたら、この人はどんな顔をするのだろう。他にはどんな表情を見せるのだろう。
「何がまずいの?」
動揺し始めたエルネストさんにさらに近付く。エルネストさんは後退する。
「ねえ」
私は知らないうちにエルネストさんを困らせるのが楽しくて笑みを浮かべていたようだ。
エルネストさんはじりじりと後退しながらも目を逸らさない。けれど眉根を寄せて何かを堪えているかのように見える。
「っ……! やめろ!」
エルネストさんはそう吐き捨てて、弾かれたように私から離れた。そして距離を置いてこちらに向き直った。
顔を見ると、怒っているわけではなさそうだけれど困惑しているようだ。
私はやり過ぎてしまったことを自覚して、しょんぼりと肩を落とす。男性を揶揄うなんて、はしたないことをしてしまった。
「……ごめんなさい。意地悪をするつもりはなかったの。貴方はあまり感情を見せない人のようだから、つい……」
――面白くて揶揄いすぎてしまった。そう言いかけて口を噤む。
そんな私の魂胆を察したのか、エルネストさんが表情を消して告げた。
「……あまり近付くな。君の纏う香りに咽そうになるんだ」
「香り……?」
エルネストさんが何を言っているのか分からない。私は香水の類は一切付けていないし、今は化粧もしていない。お風呂にもちゃんと毎日入っている。
……もしかして、ここに来る途中で魔物の排泄物でも踏んでしまったのだろうか。
「近くで君の匂いを嗅ぐと頭が働かなくなるんだ。……くそっ、何でもない。俺は何を言っている……」
何やら悔しそうに自問している。犬や狼ではあるまいし、エルネストさんは鼻が効くのだろうか。
「犬……」
「犬じゃない。……そうだな。お言葉に甘えて君のお弁当を分けてくれるか?」
「え、ええ」
動揺するエルネストさんを見るのが楽しくて、つい悪のりしてしまった。
――きっとはしたないって思われたわ。でも困った顔は結構……
(……私は一体何を考えてるのかしら)
私は自分で思っているよりも、エルネストさんに興味を持っているのだろうか。わけが分からない。先ほどの言動を深く反省する。
ここを訪れたそもそもの用件を思い出し、持ってきたお弁当を渡すことにした。
最初は一緒に食べるつもりだった。けれどよく考えたら、私の顔を見ながらだと食事が不味くなってしまうのではないだろうか。
「これ、置いていくから食べて」
そう言ってバスケットを渡そうとした。
「君は食べないのか?」
エルネストさんがきょとんとした顔で尋ねた。きょとんとした顔も……じゃなくて!
「私が一緒だとランチが美味しくないんじゃないかと思って」
「そんなことはないよ」
エルネストが穏やかに微笑んだ。こんな笑顔は初めて見たかもしれない。エルネストさんの笑顔を見て少しだけ胃の上の辺りがキュッとした気がした。
「でも……」
「魔女のことを気にしてるならその必要はない。クロエはクロエだ」
エルネストさんの言葉が嬉しい。気遣ってくれているだけかもしれないけれど。
そして「クロエはクロエ」という言葉を聞いて、お母さまを思い出す。とても安心する。私は胸がじんとしてしまった。
「エルネストさん……」
「私のことは呼び捨てで構わない」
「じゃあ、エルネストさ……も『俺』って言っていいわよ」
一昨日魔女のことで感情的になっていたエルネストが、自分のことを「俺」と言っていたのを思い出したのだ。きっと素ではあの話し方なのだろう。
「え?」
「普段は『俺』って言ってるんでしょう?」
私がそう言うとエルネストはくしゃりと笑った。私はエルネストの笑顔を見て、「笑うと少し幼く見えるな」などとぼんやり考える。
「あー……。じゃあそうさせてもらうか」
「ええ」
砕けて話すエルネストを見て、なんとなく嬉しくて笑った。
それから私たちは焚火の周りに置いてある丸太に腰かけて、一緒にバスケットのサンドイッチを食べることにした。
折角だからこの機会にいろいろ尋ねてみようと考えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます