十七、お地蔵さま

 私は家に到着したあと結界の強度を引き下げた。このままでは皆が出入りするのに支障が出る。


「ただいま」

「クロエさま、お帰りなさい。よくぞご無事で……」


 私が家の中に入ると調理場にいたハルが心配そうに駆け寄ってきた。


「お帰り。クロエ、怪我はないか?」


 アンまでも不安げな表情を私に向けてきた。どうやらハルとアンに随分心配させてしまったらしい。悪いことをした。


「ええ、大丈夫よ。こっちはどうだった?」

「特に問題ありませんでしたよぉ。索敵はずっと欠かしませんでしたけどねぇ。クロエさまがボスをやったんでしょ?」

「……そんなことまで分かるんだ」


 驚いた。流石はハルだ。索敵能力の正確さが凄い。まるでその場で見ていたようだ。


「ボスだけ魔力が段違いですからねぇ。クロエさまの向かった先でそれが消えたから殺ったんだろうなと」

「それ、エルネストさんの前では言わないでね……」


 魔物の大群を一人で倒したことが知られれば、エルネストさんの中で私が黒き魔女ではないかという疑惑が再燃するかもしれない。それだけは避けたい。

 特に戦うときの黒衣を見られたらかなりマズい気がする。


「え~~? 滅茶苦茶自慢したいんですけどぉ。あいつの鼻っ柱へし折ってやりたい」


 ハルが嬉しそうにはしゃいでいる。自分の契約主が強いのは、幻獣にとって誇らしいことなのだろう。

 けれど自慢なんてとんでもない。絶対にやめてほしい。


「んもう、絶対にやめて。大体彼だって数百という魔物を一人で倒してるのよ。私が倒したのはボスだけど、雑魚はそんなにはいなかったもの。……それに、私はただでさえ心証が悪いんだから……はぁ」

「あの男、クロエさまに何か失礼なことでも……?」


 ハルの表情から急に笑みが消えた。エルネストさんじゃあるまいし、冷気でも漏れてきそうな雰囲気だ。顔が怖い。

 ハルは私のことに関しては沸点が低い気がするのだけれど、気のせいだろうか。


「いえ、そうじゃないの。実は……」


 私はハルとアンにエルネストから聞いた事実をありのままに伝えた。


「お主の母君がのう……」


 アンが一点を見つめながら考え込む。エルネストさんの話の内容だけを聞けば、アンとハルもお母様のことを黒き魔女だと思うかもしれない。

 だって二人は生きていたころのお母さまを知らないのだから。


「いえ、それは何かの間違いだと思うの。母は絶対にそんなことをする人じゃないわ」

「でも状況だけで推測すると、あの男がクロエさまの母上を魔女だと思っても仕方がないですねぇ」


 ハルが肩を竦めて話す。その点は同感だ。けれどそれはきっと何かの間違いなのだ。誰が信じなくても私はお母様を信じている。証明できないのが心底悔しい。


「ええ、そうじゃないと断言できる証拠もないし……でも絶対に違うわ」

「そんなに信じられるなんて、愛ですねぇ」

「いい母君だったんじゃのう」

「ええ……」


 私の言うことに素直に頷いてくれるハルとアンがありがたい。お母さまの味方が私だけだと思うと悲しかったから。

 もしかして、黒き魔女のことも『追刻の糸車』を使えば真相が分かるのではないだろうか。エルネストさんを殺そうとしたのは一体誰なのか。

 別に真相を暴くことは怖くない。犯人が誰であろうと、それがお母さまではないのは確かだから。

 ちなみに今夜の夕食はフォレストウルフのマスタード焼きだった。


  §


 魔物襲来から二日後の朝、朝食を取ったあとでハルの解呪を進めた。術式の難易度が上がったことで、アンの解呪はここにきてペースが落ちてきている。

 今日は六個の術式が解呪できた。今ようやく三割解呪できたといったところだ。


「軽い! 体が軽いぞ! なんだか今なら竜の体に戻れそうな気がするぞ!」


 アンがそう言って私のパジャマシャツを着たまま、ぴゅーっと外に飛び出していった。そして五分ほどして戻ってきた。しょんぼりと肩を落としている。


「駄目じゃった……」

「アン……。もう少ししたらきっと竜に戻れるようになるわよ」

「ううっ……! クロエぇ!」


 アンが涙目で抱きついてきた。無敵の竜王が竜に戻れなくなってしまったのだ。さぞかし心細いだろう。

 私はアンの体をぎゅっと抱きしめて、慰めるために背中をぽんぽんと叩いた。

 それを目にしたハルがこちらを指差して頬をぷうっと膨らませて抗議する。


「ああっ、アンさまズルいぃ~! もうっ! クロエさまはアタシのメートレスご主人様なんですからね!」

「フンッ、早いもん勝ちじゃ」


 アン……。本気で悲しかったわけじゃなかったのか。騙された。

 そう言えばあれからエルネストさんはどうしただろう。屍だらけの拠点でちゃんと眠れたのだろうか。あの大量の屍は全部片付けられたのだろうか。

 もしかして食べたり……。強酸の唾液を持つアシッドエイプが美味しいとはとても思えなくて、思わず想像して嘔吐きそうになる。迂闊だった。


「あっ、そうじゃ。忘れとった。さっき外に出たら、この敷地の入口に山盛りのビッグホーンディアが置いてあったぞ」

「えっ!?」


 アンの報告の内容に驚いてしまった。そんな異様な光景を目にして忘れていたなんて、流石アンは大物だ。

 ビッグホーンディアは大きな角を持った鹿に似た魔物だ。体は鹿よりもかなり大きい。

 アシッドエイプのように群れをなして行動するけれど、あれほど大きな群れではない。仲間の報復をすることもない。

 それにしても魔物の死体が山盛りなんて……


「それ、なんの嫌がらせ……」

「おお! あれ、美味しいんですよねぇ。狼は食べ飽きてたし、丁度よかったじゃないですかぁ」

「えっ、そうなの? 嫌がらせかと思ってた……」


 嫌がらせじゃなかったのか。では誰が、一体何のために……?


「いやいや、ビッグホーンディア山盛りなんて宝の山ですよぉ。角も皮も高くで売れますしねぇ。……あれじゃないですかぁ? 『笠地蔵』のお地蔵さんが持ってきてくれたんですよぉ」

「カサジゾー? オジゾーサン?」


 初めて聞く言葉に思わず首を傾げてしまった。ハルは私が知らないようなことをよく知っている。


「亜の国の有名な昔話ですよぉ」

「へぇ、そんなのがあるのね」

「よっし! それじゃあ、今夜は腕を振るって今夜は鹿肉料理でも作りますかねぇ」


 ハルがワキワキしながら外へ出ていった。恐らくビッグホーンディアを解体するのだろう。それを見送ったあとにアンがニヤニヤしながら話しかけてきた。


「エルネストじゃないのか? お主に助けてもらった礼に。儂は今度からあの男のことをエル地蔵と呼ぶぞ」

「プッ。……そう。エルネストさん……しかいないわよね、確かにそんなことするご近所さんは」


 ハルの「エル地蔵」という言葉に思わず吹き出してしまった。ちょっとはしたなかった。

 エルネストさんが宝の山を持ってきてくれたのだとしたら、その気持ちが嬉しい。まだ憎まれているかもしれないと思っていたから。

 治癒のお礼だろうか。でも実はエルネストさんじゃなくて、アシッドエイプの嫌がらせとかだったら凄く嫌だ。

 ちゃんと食事はとれているのだろうか。毎日肉しか食べてないのではないだろうか。


(そんなの私なんかに心配してほしくないわよね……)


 私は調理場へと向かった。ランチの準備をするためだ。ポテトサラダとトマトとチーズのサンドイッチを作る。卵サンドも作ろう。

 私が調理を始めると、アンがダイニングへやってきてテーブルの席についた。そして私を見てきょとんとしている。


「珍しいのう。お主が食事を作るとは」

「そう? 気が向いたら作るわよ」

「ん、これは六人分くらいあるのではないか? なんだか多いような気がするのじゃが」


 私が作った大量のサンドイッチを見て、アンがこてんと首を傾げた。


「……ちょっとピクニックに行くからお弁当にね」

「この危険な魔物の徘徊する黄泉の森の奥でピクニックか。まあそんな気分の日もあるかもしれんわのう。気を付けていくんじゃぞ」


 アンがニヤニヤしながら支度する私の様子を見ている。たまには魔物の徘徊する黄泉の森でピクニックもいいじゃない?

 私はサンドイッチを半分だけ持って、アンに見送られながら南の森へとピクニックに出かけることにした。

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