十六、黒き魔女

 私はエルネストさんに理不尽な怨みを向けられていることが、段々悲しくなってきた。


「十年前だ。忘れたとは言わせんぞ」

「……待って。六才の幼女が貴方を殺そうとしたとでも言うの?」


 私の言葉を聞いたエルネストさんが驚いたように目を丸くする。


「……なんだって?」

「私は今、十六才。十年前は六才よ。私が十年前もこの姿だと?」


 エルネストさんは大きく目を見開いて顔の下半分を片手で覆い、信じられないといったような表情を浮かべる。


「……魔女は年を取るのが遅くて、今も姿が変わらないのかと思っていた」


 どこのお伽噺の魔女の話をしているのだろう。幻獣や人外の種族ならばあり得ないことではないけれど。私は一応人間だ。


「……貴方が言う魔女というのがグリモワールの使い手のことだったら、当たり前に年を取るし外見も年相応に変わるわ」


 重ねて言うが、私は一応人間だ。普通に年を取るし、寿命が特別長いということはない。多分。

 私の言葉を聞いたエルネストさんが、片手で口を覆ったまま何かを考え込むように俯いて、再び顔を上げて私を見る。


「そうか……。だが私を殺そうとした魔女の顔は君にそっくりだった」

「え?」


 そんな馬鹿な。十年前、私は六才だった。当時は幼い子どもだし、エルネストさんを殺そうとするわけがない。

 けれど今のエルネストさんの言葉で合点がいった。なぜここまで私を仇の魔女だと決めつけるか不思議だったのだ。

 顔がそっくりという理由ならば勘違いするのも頷ける。十年もの間、私とそっくりの魔女の顔を目に焼き付けていたのだろう。


(そういうことだったのね……。でも……)


 エルネストさんの言う私の顔にそっくりのグリモワール使いに全く心当たりがないわけではない。けれどそれはあり得ない・・・・・

 彼女は人を殺そうとするような人ではなかった。周囲の人間に深い慈愛をもって接し、誰に対しても優しい……そんな女性だった。人を疑うことを知らない純粋な人だった。

 だからこそ……殺されてしまったのだ。


「私にそっくりって……その人の特徴を教えて」


 あり得ない事実を突きつけられて、指先が冷たくなっていくのを感じながらエルネストさんに尋ねた。


「私は当時まだ十三才だった。だから覚えているのは部分的だ。魔女の年齢ははっきりとは分からないが、とても美しい妙齢の女性だったことを覚えている」


 取りあえず私じゃないことだけは確かだ。十年前、私は幼女だ。


「顔は君にそっくりだが、死にかけている私を眺めながら、まるで嘲るように妖艶な笑みを浮かべていた。そして魔女は漆黒のドレスを纏っていた」

「漆黒の……」


 グリモワールの衣は本の色で違う。白の書を持つミレーヌならば白いドレス、赤の書を持つ者は赤のドレス、といった感じだ。

 エルネストさんに聞いた魔女のイメージが、清廉だったお母さまとはかけ離れすぎている。やはりどうしても信じられない。

 けれど漆黒のドレスを着ていたという私とそっくりの女性……。黒の書持ちはお母様と私だけだ。そして十年前ならば、お母さまはまだ生きている。


(黒き魔女が……お母さまだというの?)


 やはり黒き魔女がお母さまだとは思えない。エルネストさんが嘘を言っているとは思わないけれど、何か記憶違いがあるのではないだろうか。そうに違いない。

 それにしても、これほどまでの憎悪を向けるなんて、本当に命を狙われただけなんだろうか。


「貴方はその魔女に何をされたの?」


 そのときの恐怖を思い出してしまったのだろうか。私の問いかけに、エルネストさんは眉根を寄せて苦しそうな顔で答える。


「殺されかけた。悪いがそれ以上のことは言えない」


 何か深い事情があるのだろう。私も全てを打ち明けられるわけじゃない。

 それにしても、グリモワールの強力な力を持ちながら、たった十三才の少年を殺そうとするなんて……。

 グリモワールを持つ女に殺されかけたエルネストさんは、全てのグリモワール持ちに憎悪の感情を抱いているのだろうか。


「貴方はグリモワールを持つ者全てを憎んでいるの?」

「……分からない。君以外にグリモワール持ちはその女しか知らないが、私にはその女が邪悪な魔女にしか見えなかった。その女のことは憎いが、他の者は……分からない」

「そう……」


 エルネストさんを殺そうとしたのは、お母さまではないと信じている。けれど証拠がない。

 それにエルネストさんがグリモワール持ちを憎むのも無理はない。「お母さまは魔女ではない」と主張したところで受け入れられないだろう。憎き仇である黒き魔女の娘として憎まれるだけだ。


「兎に角、私は黒の書を使って人を殺そうとしたことはないし、他人を傷つけたこともないわ。信じられないかもしれないけれど……」


 私がそう言うと、エルネストさんは気まずそうに目を逸らして人差し指で頬を掻く。


「……いや、信じるよ。君に邪悪さは感じられない。顔はそっくりだが、あの女とは纏う雰囲気が全く違う。だからこそ私は初めて君に会ったときに悪しき魔女だと断定できなかった」

「そうだったの……」


 断定はできなくても疑ってはいたというわけか。顔がそっくりならば無理もない。私がその魔女と同じような表情をする女だったら、きっと問答無用で殺そうとしてきただろう。


「傷つけたなら、その……すまなかった」


 エルネストさんが気まずそうに、そして申しわけなさそうに謝罪した。悪いとは思ってくれているようだ。確かにとんでもない濡れ衣だ。

 けれど身内の誰かが魔女なのかもしれないと思うと、素直には喜べない。


「いえ、それだけ状況が揃っていたら、私を見て憎悪が湧くのも当然だわ」


 エルネストさんは私の言葉を受けて、割り切れないといった感じの複雑な表情を浮かべる。


「……君には悪いが、私はまだ混乱している。君が嘘を吐いていないのは分かるんだ。だが私はあの女を十年間怨み続けてきた。だからすぐには気持ちが切り替えられそうにない……」


 確かにそうだろう。目の前に仇と憎んだ女の顔と同じ顔が現れたのだから。例え別人だと分かっても、その事実をすぐには受け入れられないのかもしれない。

 別にエルネストさんに好かれたいわけじゃない。媚びたいわけでもない。憎みたいなら気が済むまで憎ませてあげればいい。傷つけられるのはご免だけれど。


「いいの。それにしてもこの拠点、魔物の死体だらけだけれど、大丈夫?」

「ああ、片付けるから大丈夫だ。ここに結界を張り直してくれてありがとう」

「いいえ」


 エルネストさんが恥ずかしそうに礼を告げた。初めてちゃんとお礼を言われたかもしれない。なんでもないことなのに嬉しく感じてしまう。彼に気に入られたいわけではないのに。


 ふと、エルネストさんの視線が一か所に向けられているのに気付いた。何を見ているのだろうと思って首を傾げると、エルネストさんが申しわけなさそうに口を開く。


「それ……痛かっただろう」

「え?」


 エルネストさんが私の右手首を指差す。右手首にはエルネストさんに強く掴まれた手の痕が赤くなって残っている。


「女性なのに傷つけて……すまなかった」

「いえ、いいの。事情を聞いたら仕方ないなって思うから」


 私の言葉を聞いたエルネストさんが、驚いたように目を丸くして私の顔をじっと見てくる。何か変なことでも言ってしまったのだろうか。落ち着かない。


(あまり見られると恥ずかしいんだけど……)


 もう真っ暗になってしまった。きっとハルたちが心配しているだろう。そろそろ戻らないと。


「そろそろ家へ帰るわ」

「送るよ」


 突然向けられた心遣いの言葉に驚いてしまった。そしてエルネストさんが初めて見せる柔らかな眼差しに、ほんの少しだけ胸がキュッとする。

 これまでに向けられた感情が憎悪だっただけに、余計に親切に感じるのかもしれない。けれどエルネストさんは本来は優しい人なのかもしれない。


「いえ、不可視魔法をかけて帰るので大丈夫」

「そうか……」


 私の返事を聞いてエルネストさんが一瞬肩を落としたように見えた。


「おやすみなさい」

「おやすみ」


 最後のエルネストさんの穏やかな声がいつまでも耳に残る。急に普通の少女に対する態度に変わったことで混乱してしまう。

 私はなんだか嬉しいような気恥ずかしいような気持ちを抱きながら、エルネストさんの拠点をあとにした。

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