十五、憎悪の対象

 ボスを倒したあと、私は自分に不可視魔法をかけてエルネストさんがいるであろう拠点へと急いだ。もうそろそろ陽が落ちそうだ。明るいうちに辿り着きたい。

 ボスと周囲の雑魚を倒したとはいえ、拠点のほうへ向かった群れは相当な数だ。私は拠点に近付くにつれ、森の風景の異常に気付いた。遥か先の森がなぜか白く染まっている。地面も草木もだ。


「あれは何?」


 嫌な予感がしてさらに速度を上げて走ると、突然滑りそうになって何とか踏みとどまった。遠くから見えていた白銀地帯に足を踏み入れたのだ。ここはまるで永久凍土地域のようにありとあらゆる全てが凍りついている。

 それだけではない。その凍りついた地面の上にはアシッドエイプの形をした氷像の残骸が落ちている。中には無残に砕けているものもある。これがただの氷像じゃないことは私にも分かる。


「これは全部彼が……?」


 一体エルネストさんは何をしたんだろう。氷魔法か何かだろうとは思う。

 けれど拠点まではまだ距離があるというのに、この白銀地帯の長さは驚くべきものだ。これが魔法によるものなら、凄まじい射程距離と範囲だ。


 これほど強力な氷魔法を使うなんて……。エルネストさんは私が予想していたよりも遥かに強い氷魔法の使い手だったらしい。

 白銀地帯をさらに進んでようやくエルネストさんの拠点へと辿り着いた。拠点は凍ってはいなかったけれど、一面が大量の躯で埋め尽くされていた。これをたった一人でやったというのか。


(いた……)


 拠点の端のほうでエルネストさんが木に凭れて休んでいるのが見えた。眠っているのかと思ったけれど、ただ静かに目を閉じているだけのようだ。

 エルネストさんの姿を見ると、随分と魔物の返り血を浴びている。周囲の惨憺たる有様から、この拠点で激しい戦いが繰り広げられたことが窺い知れる。

 私は不可視魔法を解いたあと、エルネストさんに近付いて声をかける。


「エルネストさん、大丈夫ですか?」


 私が声をかけるとエルネストさんはゆっくりと瞼を開けた。そしてこちらへ顔を向けて私を見た。エルネストさんのサファイアブルーの瞳には疲労の色が見える。


「君はなぜここに……」

「魔物の大群がここへ向かっていたので様子を見にきました」

「馬鹿なことを……」


 エルネストさんは私に向けていた視線を前のほうへ戻して呟いた。私はエルネストさんの側に座り込んで尋ねてみる。


「あの凍りついた場所と大量の魔物の死体は、貴方がやったんですか?」

「ああ……」


 エルネストさんは私の質問に面倒臭そうに答えた。魔力を使い果たしているのだろうか。顔色が悪い。

 それによく見ると右膝を負傷している。怪我の状態から察するに、アシッドエイプの唾液の酸にやられたのだろう。見るからに痛そうだ。


「その怪我、見せてください」


 私の言葉を聞いてエルネストさんは驚いたように目を丸くした。私が気遣うのはそんなに驚くことだろうか。


「駄目だ。もう暗くなってきた。早く帰れ」


 まるで邪魔だと言わんばかりに拒絶された。そんなに厄介払いがしたいのだろうか。

 けれど残念ながら、私には怪我人を放置する趣味はない。断固として拒否させてもらう。


「大丈夫ですから。怪我、見せてもらいますね」


 私は複雑な表情を浮かべるエルネストさんを余所に、勝手に右膝の状態を見てみた。アシッドエイプの酸にしては傷の症状が軽い。防御強化をかけて軽減したのだろう。とはいえ酷い火傷だ。酸が骨に達していないといいのだけれど。

 エルネストさんの顔を見ると、かなり痛そうに顔を歪めている。どうやら痩せ我慢をしているらしい。


「グリモワール」


 私は左の掌に黒の書を取り出して、治癒を施そうとした。ところが黒の書を目にした途端、エルネストさんがカッと目を見開いた。

 そして患部を治癒しようとした私の右の手首をぐっと掴んで引き寄せた。本当にこの人はいちいち距離が近い。


(ちょっと! 顔が近いっ。綺麗な顔で睨まれると怖いんだからっ)


 一方、私の目を見つめるエルネストさんの瞳には困惑の色が見える。


「やめろ。……やはりお前は魔女だったのか」


 私の目をじっと見ながら紡がれるエルネストの魔女という言葉に疑問が湧く。なぜ急にそんなことを言いだしたのだろう。


「いえ、違います」

「だが、そのグリモワールは魔女の証じゃないか。しかも黒とは……!」


 きっぱりと否定したのに、ようやく尻尾を掴んだとばかりに詰め寄られた。

 ――グリモワールが魔女の証? 黒だから何? この人は一体何を言っているの?

 私の手首を掴むエルネストさんの力がさらに強まる。手首が痛い。ちょっとは手加減してほしい。


「待ってください。エルネストさん、貴方が何を言っているのか分かりません」

「お前は十年前に俺を殺そうとした黒き魔女ではないのか?」


 エルネストさんが私を睨みながら詰め寄ってくる。

 本気でわけが分からない。やはりエルネストさんにちゃんと事情を聞かなくてはいけない。けれど今は取りあえず傷の治癒をさせてほしい。


「エルネストさん、落ち着いて。今は治癒をさせて。そのあとで貴方の質問に答えるから」


 私がそう言うと、エルネストさんは私の手首から手を離して遠ざけた。そして顔を逸らしたあとに吐き捨てるように言った。


「チッ。何もしなくていい。お前の施しは受けない」

「いいえ、貴方が断るのを断るわ。好きにさせてもらうから」


 私は自由になった右手で強引に治癒を施す。患部が白い光に包まれて、あっという間に治癒が終わった。

 止める間もなく治癒が終わってしまったことで、エルネストさんは気まずそうに顔を逸らす。


「余計なことを……礼は言わんぞ」

「お礼なんて要らないわ」


 別に礼なんて欲しくない。そんなことよりも手首が痛い。手首をよく見るとエルネストさんの手の痕が赤くなって残っている。

 それを見て、王太子の側近である騎士のトリスタンを思い出してイラッとする。


 辺りが暗くなってきたので、一度立ち上がって拠点に魔法の灯りを灯し、周囲に結界を張り直した。

 そうしながら苛立たしさを落ち着かせたあとに、再びエルネストさんの側に座って話しかける。


「ねえ、エルネストさん。なぜそんなに魔女を憎むのか教えて」


 私は真っ直ぐにエルネストさんの目を見て尋ねた。顔を逸らしていたエルネストさんがバッと顔をこちらへ向けて私を睨む。


「……白々しいぞ。俺を殺そうとしておきながら」

「何を言っているの?」


 身に覚えのないことを突きつけられても答えようがない。それなのに、エルネストさんの瞳からは、はっきりとした憎悪の感情が見て取れる。

 朝に向けられたような曖昧なものではない。私は理不尽な怨みを向けられていることが、段々悲しくなってきた。

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