十四、群れの行軍

 私はエルネストさんの拠点らしき場所を避けるように、その南東へと向かった。魔物がやってくる方角だ。

 木々の間を縫うようにしばらく疾走を続けたところで、遥か先にゆっくりと右方向へ進む黒い塊が見えてきた。


「あれね」


 この分だと先陣はすでにエルネストさんの拠点に辿り着いているかもしれない。群れには木々を伝いながら進むものと、手足を使って地面を走るものがいるようだ。

 そういった魔物の動きによって森の樹木が揺らされて、ザワザワと激しい葉擦れの音を響かせている。あまりの数の多さに、地響きやら葉擦れの音やらがここまで響いてくる。


「凄い数……」


 黒の書の記載によればアシッドエイプの群れは百~二百ということだけれど、目の前の大群を見る限りとてもそうは思えない。

 今、目に入るだけでも二百はいる。すでにエルネストさんの拠点へ向かっている大軍を入れると、五百近くはいるのではないか。

 群れ同士の戦いで群れが合流することがあるのかもしれない。ボスに統率力があればそれが可能なのかも。……不覚にも猿社会について真剣に考えてしまった。


「ボスはどこかしら」


 私は行軍の後尾を目指して走った。狙いはアシッドエイプのボスだ。乱れのない行進を見る限り、かなり統率が取れている。群れの最後尾の辺りには必ずボスがいるはずだ。


「急がないと……」


 できることなら後方の部隊を、エルネストさんに分からないようにこちらで処理したい。少しでも敵を減らせば負担が減るだろう。

 私はさらに速度を上げた。しばらく進むと、行軍の切れる少し前のほうにひときわ大きな魔物の影を見つけた。

 雑魚の大きさが二メートルそこらだとすると、ボスの大きさはおよそ三メートル半といったところだろうか。雑魚は手足の四本で移動しているのに対し、ボスは速度を合わせるためなのか二本足で移動している。かなりの巨体だ。


「グリモワール。我が身に纏え」


 黒の書が私の体に巻きつくように漆黒の帯を描き、グリモワールの黒衣へと変化した。


「ドリアード、私のもとへ来て」


 召喚の唱えとともに青い光の中から樹木の幻獣ドリアードが現れた。長くてしなやかな蔓の髪を持つ、白い衣を纏った女性の幻獣だ。

 上品な立ち居振る舞いに思わず感心してしまう。


「ご用でしょうか、メートレスご主人様

「アシッドエイプの進行を遮って」

「承知しました」


 私が指示を終えると、ドリアードは地面へと吸い込まれるように消えていった。そして行軍の周囲の樹木がうねうねと動き出した。

 ボスより少し前方に生えていた数本の樹木が急激に巨大化して空までも覆うように伸び上がっていく。ついにはびっちりと隙間を埋めて壁のように立ちはだかった。

 そしてそのままその左右の樹木も連なるように伸びて壁となり、樹木の壁に囲まれた形で後方の行軍が完全に絶たれてしまった。


「上手くいったみたいね」


 どうやら群れの分断に成功したようだ。壁より前を行進していた群れは、後方が絶たれたことにも気付かずそのまま拠点のほうへ前進していく。


 一方壁に阻まれた後方の部隊は何が起ったのか分からずに混乱しているようだ。猿の魔物だけあって樹木の壁をよじ登ろうとするけれど、鼠返しのようにカーブした天井に阻まれ、超えることができずにずるずる落ちている。

 ボスの群れは、私を含めて完全に樹木の壁に囲まれている。間にあった木々もなくなって、まるで閉鎖された闘技場のような空間になっていた。


「エキドナ、私のもとへ来て」


 召喚の唱えとともに青い光から幻獣エキドナが現れた。エキドナは上半身が美しい女性で下半身が蛇の幻獣だ。美しい顔に妖艶な笑みを湛えている。


「何か用かしら、お嬢ちゃん?」

「私の援護をお願い」

「フフ。任せなさい」


 エキドナは私にウィンクをして敵のほうへ視線を向ける。私はエキドナを伴って、混乱の極まるボスのいる部隊へと近付いた。

 右往左往する雑魚の中で唯一どっしりと構えている、ひときわ大きな魔物のボスが手下に指示を飛ばしている。そのボスが私の存在に気付いて唸るように話しかけてくる。


「ジャマを、シタノは、オマエか」


 ボスが言葉を発したことに驚いてしまった。獣人ならともかく、限りなく獣に近いアシッドエイプのボスが言葉を話すほどの知能を持っているなんて想像もしなかった。

 知能があるならこちらの言葉も伝わるだろう。そう考えてボスに向かって話しかけてみる。


「貴方がこの群れのボスね」

「……ナニがイイタイ」

「貴方たちが今やろうとしていることは、群れにとって大きなダメージになるわ。無駄な戦いはしたくないの。このまま仲間と一緒に引き上げなさい」


 ボスは私の忠告を鼻で笑う。


「フン。カトウなニンゲンが、ナニサマの、ツモリだ。ゴミゴトキに、ヤラレルモノか」


 どうやら全く聞く気がないようだ。私は大きな溜息を吐いて確認する。


「退却するつもりはないのね?」

「ソノクチを、トジロ、ニンゲン。……オマエタチ、コノ、メスをコロセ」


 それまで混乱していた雑魚の魔物が、ボスの号令に従って一斉に襲い掛かってきた。やはりかなり統率が取れているようだ。

 私は自分の周りに最大強度の防御結界を張った。今の私はとてつもなく硬い卵の殻の中に入っているようなものだ。


「エキドナ、お願い」

「ウフフ、待ちくたびれたわ。汚いお猿さんたち、私が遊んであげる」


 エキドナはそう言って、私に襲いかかろうとする魔物を蛇の体で纏めて捕まえた。そして数匹の魔物に巻きついた体でギリギリと絞め上げる。


「ギャッ……ヒッ……」


 エキドナの体に捕まった魔物は吐血した挙句、ついには捻り潰された。

 巻きつかれなかった魔物がエキドナに抵抗して向かっていくと、口から毒の吐息を吐きかけられる。


「ハッ、ギッ……」


 酸に強いアシッドエイプもエキドナの猛毒には耐性がないようだ。吐息を吸って喉を掻き毟り、数秒で物言わぬ屍へと変わる。

 余力のある魔物が唾液を吐きつけて攻撃しているけれど、エキドナの体は固い鱗に守られているので酸の攻撃が効かない。アシッドエイプにとっては最悪の相性だろう。

 私はエキドナに雑魚の処理を任せて、ボスの側へと近付いた。


「カトウな、ニンゲンゴトキが! チョウシに、ノルナ!」


 ボスは悔しそうに唾を飛ばしながら叫んだ。かなり憤慨しているようだ。私は肩を竦めながらボスに告げる。


「貴方は判断を誤ったのよ。……残念だわ」

「ウルサイ! ソノナマイキなクチを、キケナク、シテヤル!」


 その巨大な体躯からは想像できないほどの素早さで一気に詰め寄って、振りかぶった大きな鋭い爪を私に向かって振り降ろした。

 けれど私の結界が爪の攻撃を通すことはない。


 会心の一撃を弾かれたことに驚いたのか、ボスが大きく目を見開いた。それから何度も何度も爪での攻撃を試みるけれど、結界に傷ひとつ入れられない。

 ボスは憤怒の表情を浮かべつつ地団太を踏んで悔しがる。


「ナニッ……! ナゼだっ! ナゼ、ツウジナイ!」

「結界があるからよ、お猿さん」

「クソッ、ソレナラバッ!」


 爪の攻撃が通じないと分かって、突然口から大量の唾液を吐き出した。強酸の唾液だ。私の周りの草木が煙を上げながらジュウジュウと溶けていく。


「ナ……ナゼだ。ナゼトケナイのだ……」


 平然と立っている私を見て、ボスは愕然とした。普通の結界ならば耐えきれなかっただろう。けれど私の結界には傷ひとつ入っていない。


「私のは特別製なの。……そろそろ終わりにしましょう」


 私の言葉を聞いたボスが、私を射殺さんばかりに睨みながら、低く唸るような声で呪詛を呟く。


「コムスメが……。コロシテヤル。コロシテヤルぞ……」


 私は再びグリモワールを行使する。


「雷神トールよ。契約のもとに彼の者に裁きの鉄槌を下せ」


 唱えとともに私の前に雷神トールの幻影が現れ、同時に巨大なハンマー、ミョルニルがボスの心の臓を打ち抜く。その瞬間、ドゴンと大きな音が響いた。


「カッ……ハッ! カトウな、……ンゲン、ゴトキ、マケ……」


 ミョルニルの衝撃は凄まじかったようだ。ボスが胸をギュッと抑えたままドサリと前のめりに倒れた。

 そしてボスが倒れると同時に、雷神トールとミョルニルの幻影がすぅっと消えた。


「選択を……誤ったのよ……」


 空虚な気持ちが胸に広がる。私はこと切れたボスの亡骸をぼんやりと見下ろす。後ろを振り返ると、すでにエキドナによって全ての雑魚が殲滅されていた。


「エキドナ、ありがとう。助かったわ」

「お安いご用よ。また呼んでね~」


 エキドナは私に投げキッスをしたあと、ふわりと現れた青い光の中へ消えていった。私は樹木の壁を作ってくれたドリアードにも声をかける。


「ドリアード、ありがとう。樹木の壁、効果的だったわ」


 私の言葉に応えてドリアードが地面から現れた。


「お誉めいただき光栄です。それではご機嫌よう、メートレス」


 ドリアードは私に向かって綺麗なカーテシーをしたあと、エキドナと同じように青い光の中へと消えていった。

 と同時に、壁を形成していた樹木が元の状態に戻っていく。たくさんの樹木が一斉に蠢くさまはなかなか壮観だ。

 今さらだけれど幻獣は本当に頼りになる。お陰で思ったよりも早く片付いた。


「先に進んでいった部隊も多いけど……彼は大丈夫かしら」


 エルネストさんの現状が気になる。私は自分に不可視魔法をかけたあと、グリモワールの黒衣を解いてエルネストさんの拠点へと急いだ。

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