十三、群れの報復

 私はハルから聞いた状況の深刻さに思わず息を飲んだ。


「魔物の気配がない空白の場所は恐らくあの男の拠点でしょうね。場所を確保するために魔物を掃除したんでしょう。それにしても集まってくる魔物の怒りの波動が凄い……」


 ハルが真剣な表情のまま説明を続けた。数百の魔物なんてどう考えても普通じゃない。それらが一か所に向かおうとしているのだ。


「怒り? 魔物が?」

「ええ。魔物の中には、稀に獣人のように群れをなす個体がいるんですよ。そいつらは妙に仲間意識が強くて、仲間がやられると報復に走ることがある。そして縄張り意識も強い。あの男は群れの怒りを買ったんじゃないでしょうか」


 単体では弱い魔物でも集団になると強くなる。それが群れをなす魔物の特徴だ。


「群れの怒り……。この周辺には獣人はいないはずよね。群れをつくる魔物といえばアシッドエイプ、ビッグホーンディア……」

「この数からいってアシッドエイプ猿野郎でしょうね」


 ハルが顎に指を添えて俯きながら答えた。何かを考え込んでいるようだ。もしハルの言ったことがこれから起こるなら、このままにしてはおけない。


「私、行ってくるわ。魔物がここを襲わないとも限らない。ここの結界を最大強度にしていく。ハル、アンを守ってあげて。結界の外に出ないようにね」


 私の指示を聞いたハルが、納得できないと言わんばかりに抗議する。私を心配しているのだろう。


「クロエさま、あんな奴放っとけばいいじゃないですか! 自分で蒔いた種でしょう? 自分で刈り取らせればいいんですよ!」

「そういうわけにはいかないわ。魔物の数が尋常じゃないもの。放っとけばこちらにも被害が及ぶかもしれない。何百という魔物が近くまで来てるんでしょう?」

「ええ、奴の拠点の南東のほうから……。クロエさま……」

「大丈夫よ。ここで待ってて」


 ハルは私の言葉に渋々頷いた。ハルの言っていることのほうが正しいのは分かる。そしてこの家に被害が及ぶかもしれないという私の言葉にも嘘はない。実際に怒り狂った魔物がエルネストさんを倒しても沈静化せずに襲ってくる可能性は高い。

 けれど本当は、誰かが近くで死ぬかもしれないと分かっているのに、何もしないで高みの見物なんて私にはどうしてもできないのだ。


 ハルにアンを託して家の結界を最大限まで強化したあと、森に入って南のほうへと走る。私でも分かる。森がざわめいている。魔力の感知はできないけれど、普段この辺りを徘徊しているはずの魔物や動物が一切いなくなっている。鳥の一羽すら見かけない。


「やっぱり森がおかしい……」


 アシッドエイプは厄介な魔物だ。単体だとたいして強くはないけれど、自分たちの縄張りを作って組織で行動する。

 体は猿に似ていて身長が二メートル前後あり、百~二百の群れを成すと黒の書に書いてある。統率するボスがいて仲間同士で連携攻撃もしてくるらしい。


 けれど一番厄介なのは奴らが吐きかけてくる唾液だ。非常に強い酸性で、素肌にかかってしまったら酷い火傷のような状態になる。そのまま放置すると皮膚から浸透して最後には骨をも侵す。


「何をしでかしたか知らないけれど」


 エルネストさんは拠点の魔物を掃除するときに、奴らの群れの個体を何体か倒してしまったのかもしれない。あるいは拠点の場所が奴らの縄張りの中なのかもしれない。

 兎に角エルネストさんがアシッドエイプの怒りを買って報復されようとしているのは間違いない。


「まったく、面倒をかけてくれるわ」


 私を殺すと言った男だけれど、目の前でむざむざ殺されるのを黙って見過ごすことはできない。いくら強くてもアシッドエイプ数百を一度に相手するのは無理がある。

 南へ走り続けてしばらくすると、薄暗い森の中に明るい開けた草地が見えてきた。


  §


 あの少女に会って拠点へ戻ったあと、しばらく経ってから俺は森の異常に気付いた。この周辺に感じていた魔物や動物の気配がなくなっている。鳴き声や匂いや木々のざわめきなどの一切が綺麗さっぱり消えた。


「ん、なんだ……」


 一方、南東の方角から地響きや葉擦れの音が微かに伝わってくる。徐々に大きくなってくるその気配に嫌な予感がする。伝わってくる気配は一匹や二匹じゃない。桁外れの大群だ。


 すぐに腰に吊るした剣を抜いて準備に取りかかる。体調も魔力も万全だ。襲ってくるものは何であろうと返り討ちにする。それだけだ。

 結界の南東の遥か先のほうから数体のアシッドエイプが木の枝を伝ってくるのがちらりと見えた。俺のほうへ一直線に向かっている。奴らの狙いはどうやら俺らしい。


「仕返しか……」


 今朝早くに、話に聞いていた女に会うためにこの森へと降り立った。丁度いい草地があったのでここを拠点にしようと決めた。

 そこで拠点の場所を確保すべく魔物の掃除に取りかかった。逃げていく魔物を追うことはしない。ただこの草地に元々いた何匹かが牙をむいて襲い掛かってきた。

 その中にアシッドエイプが三匹いた。奴らの習性は知っていたが、報復に来るなら返り討ちにすればいいと考えて躊躇せずに屠った。どうやらそれがまずかったらしい。


「こんな大群で来るとは執念深い。……いや、俺のほうが上か」


 俺はクロエの正体をまだ知らない。再会する前に猿ごときに倒されるなど無様すぎる。俺を殺そうとしたあの黒い魔女に復讐するまでは、絶対に倒れるわけにはいかない。


 右手の長剣に氷属性を付与する魔法をかけて、氷の刃へと変化させた。刃の周りには白い冷気が漂っている。そして自身に身体強化と防御強化の魔法をかけた。

 この拠点を覆う結界は、残念ながら雑魚魔物の侵入を防ぐ程度の弱いものだ。あの猿が集団で襲ってきたら耐えきれないだろう。俺は結界を張るのが少々苦手なのだ。

 そして奴らの唾液攻撃は厄介だ。黒龍の鱗であつらえたこの鎧ならば強酸にも耐えうるが、全身に纏っているわけではないので万全ではない。


「さて、防御強化がどこまでもつか」


 三匹のアシッドエイプが近付いてきた。魔法の射程に入ったのを見計らって、奴らに向かって放射状に大量に氷の槍を放った。そして二匹の魔物が体を貫かれる。


「ギャアッ!」

「ギィアッ!」


 残った一匹が氷の槍をかいくぐって飛びかかってきた。空中で俺に向かって強酸の唾液を発射しつつ、鋭い爪を振りかぶる。

 俺の顔を狙った魔物の唾液を姿勢を低くして躱しつつ爪の攻撃を右に避けながら、一気に間合いを詰めて魔物の胴を横薙ぎに斬り払う。


「ハッ!」

「ギィヤアァッッ!」


 魔物が断末魔の悲鳴を上げた。そして分断されて凍りついた亡骸がボトリと地面に落ちた。

 これで三匹は倒したが、最初にやった二匹の向こうから数十匹の魔物が枝伝いに近付いてくるのが見える。


「数は多いが所詮雑魚だ」


 近づかれると唾液の攻撃が厄介だ。接近される前に魔法で迎え撃つことにする。

 左手をかざして無数の氷の槍を大群の迫る前方へ放ちつつ、氷の剣の先を地面に突き刺して前方へと切り上げた。

 切り上げた地面から鋭い氷の棘が次々に大量に生えて前方へと走っていく。高さ五メートルほどにぐんぐんと伸びた氷の棘が次々と魔物の体を貫いていく。一気に数十匹の魔物が片付いた。

 氷の棘は魔物を貫きながら同時に敵の進行をも妨げる。魔物は地面から生えた大量の氷柱つららに躊躇して速度を落としながらも、氷柱の隙間をかいくぐって接近してくる。


「キリがないな。全部で何匹いるんだ」


 前方に氷の槍を射出しつつ、剣で氷の棘を走らせる。たまにかいくぐって接近してくる魔物を氷の剣で叩き斬る。

 これを何度繰り返しただろうか。もう百五十匹くらいは倒した気がする。


「くそっ、残りは何匹だ……」


 いくら倒してもきりがない。倒しても倒しても次々と魔物が押し寄せる。

 そして一瞬の隙を突かれて、初めて同時に三匹の接近を許してしまった。三方向から同時に唾液攻撃を受けそうになる。

 咄嗟に氷の壁を作って防いだが、うち一匹の唾液攻撃を右膝に受けてしまった。

 右膝に激痛が走る。だが俺はそのまま残りの一匹を斜め上に切り上げた。


「ギャアァッ!」


 断末魔とともに魔物の体が分断されてポトリと地面に落ちた。俺は自分の右膝に目をやり、傷の状態を確認する。


「チッ。よりによって足か」


 予めかけておいた防御強化のお陰で強酸の効果が薄れはしたが、攻撃を受けた右膝は酷い火傷状態になってしまった。

 徐々に激しくなってくる痛みに堪えかねて、不覚にも右膝を地面についてしまう。このまま魔法の攻撃をやめてしまえば一度に多勢の接近を許してしまうことになる。


 案の定、仲間の屍を乗り越えて、怒りで真っ赤に染まった目をぎらつかせながら、数十匹の魔物が押し寄せてきた。このままではあっという間に嬲り殺されてしまうだろう。

 一瞬絶望に支配されそうになった。だがそのとき、なぜかクロエの顔が頭に浮かんだ。そうだ……俺はまだクロエのことを何も知らないじゃないか。


「まだだ……!」


 これ以上近付かせるわけにはいかない。俺は歯を食いしばって立ち上がった。


「あれを使うしかないか……」


 魔力の消費が激しいので長期戦になりそうなときには使わない。所謂とっておきというやつだ。

 すうっと大きく息を吸って呼吸を整え、魔物が押し寄せてくるほうへ両手をかざす。そして残る魔力を全て使い切るつもりで風と氷晶の混ざり合う噴流を放射状に放つ。


 俺を起点として吹き出される猛吹雪に、魔物をはじめ地面や草木もみるみる凍りついていく。前方から向かってきていた何十匹という魔物たちが、そのまま凍りついて次々に地面へと落下していく。攻撃範囲にあったものは全て氷結してしまっている。

 持てる力の全てを出しきったとき、目の前にはまるでツンドラのような、白銀に染まった氷点下の世界が広がっていた。


「……やったか」


 もはや魔力は底をつきかけている。そのまましばらく様子を見てみたが、もうツンドラの向こうから新手の魔物が来ることはなさそうだ。

 凍りついた地面の上には氷像と化した魔物の残骸が無数に散らばっている。そして拠点の中には、何体あるのか判別できないほど大量の屍の山ができている。


 足を引き摺りつつなんとか近くの樹木まで移動して、背中を凭せかけてずるずると座り込んだ。


「なぜあの娘の顔が……」


 ――あのとき浮かんだのだろう。

 右膝の傷を冷却したあと、俺はこれ以上敵が来ないことを祈りながら体を休めた。

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