八、迂闊な少女
ベッドから上半身を起こしたまま腕を組んで胸を張るアンジェリク……アンの横で、私とハルが呆然としながら呟く。
「竜なのね」
「竜かぁ」
「竜じゃ」
得意げに胸を張るアンの喋り方を聞いていると、竜は竜でも高位の竜なのではないだろうかと思う。こうして見るとただの可愛らしい幼い少女にしか見えないのだけれど。もしかして、この腕輪をしているから幼い姿なのだろうか。
「しかもただの竜じゃないぞ? 儂は竜の国カーンの女王……竜王なのじゃ」
「竜王!?」
「はぁ!?」
――竜王……。昔話で聞いたことがある。溜息を吐けば一つの国が吹き飛び、くしゃみをすれば十の国が滅ぶという。伝説の竜王が本当に存在したとは……。
「それは嘘じゃ。流石にくしゃみで国は滅びぬ。まあ、儂一人で一国を焦土と化すのは
私の知っている昔話を聞いたアンがあっさりと白状した。
「嘘なんだ……」
「アハハッ。クロエさま、かぁ~わい~。くしゃみで国が滅ぶわけないじゃないですかぁ」
「笑わないで……」
なんだか恥ずかしくて頬が熱くなる。だって本当のほうが夢があるじゃない?
「それにしても、女子なのに竜王とはこれいかにぃ~?」
「カーンでは王じゃろうが女王じゃろうが代々竜王と呼んでおるのじゃ」
「本当に竜王さまなのね」
やはりこの幼女の姿は腕輪のせいなのだ。いくら人化しているとはいえ、竜王がこんなに幼いわけがない。
「それで、その腕輪はどうしたの?」
「うむ、これはじゃな、話せば長くなるのじゃが……」
「眠くならない程度にお願いしますねぇ」
ハルの要求に「うむ」と小さく頷いてアンは話を続ける。
「儂は昔から酒が好きでな……」
「その話、長くなりますぅ?」
「酒って……」
一体この子はいくつなのだろう。腕輪のせいだ。きっとそう。幼女がお酒を飲む絵面など想像したくない。
「まあ、聞け。一週間くらい前じゃったか、空を飛んでおったら地上からいい香りが漂ってきたのじゃ。その匂いに釣られてふらふら~っと地上に降りてみたら酒樽がたくさん置いてあってな。儂はちょちょいっと爪で栓を開けて、樽を
「ジュルル……」
「よっぽどお酒が好きなのね……」
お酒の味を思い出しているのか、うっとりしながら涎を垂らすアンを見て、ハルが貰い涎を垂らしている。そんなアンを見て複雑な気持ちになった。樽ごとと言っていたから竜の姿で飲んだのだろうけれど、どうしても目の前のあどけない少女を見ると釈然としない。
「アンは一体いくつなの?」
「儂は七百六十才じゃ」
「七百六十……」
「アタシよりも年上じゃないですかぁ」
「お主は何才じゃ?」
「アタシは二百八十才なんですよぉ」
「フン、まだ小娘じゃの」
「若いって言ってくださいよぉ、マダム」
竜も幻獣も悠久のときを生きる者だと分かってはいるのだけれど、実際に聞くと気が遠くなりそうで目眩がする。全く羨ましくならない。
「おっと、話が逸れてしまったの。それで、酒樽を十個ばかり飲み干したら少々眠くなってしまっての。迂闊にもその場で居眠りをしてしまったのじゃ」
「何もない所に酒樽十個転がってるのが不自然だと思うんですけどねぇ」
「そうね。警戒心がなさすぎるわね」
私とハルに突っ込まれて、アンがしゅんと肩を落とす。
「う、うむ、面目ない。お主ら、容赦ないのう。……それで気付いたらどこぞの屋敷の部屋で檻に入れられておっての。人化してしもうておったから、竜に戻ろうとしたのじゃが……」
「腕輪が嵌められてて戻れなくなっちゃったのね」
「いかにも。儂はすぐに腕輪の呪いに気付いた。竜に戻ることができなくなっただけではなく、呪いによって本来の腕力、魔力、能力……あらゆる力が抑制されておった」
そこまで説明したアンが肩を竦めてふぅっと溜息を吐いた。どうやら呪いの腕輪は竜の力を大きく削ぎ落とすことができるようだ。
けれど、これだけの術式を刻んだ呪具だ。術師の実力も労力も並大抵のものじゃないだろう。そこまでのことをする理由は何なのだろうか。
「一体誰が何のためにそんなことを?」
「それが分からんのじゃ。食事を運ぶ者には度々会うたが、首謀者には会ったことがない。じゃが、見張りの者が食事を運んできたときに言うておった。『しっかり食べないと血が足らなくなるぞ』とな。あとは『こんな幼子じゃ繁殖は無理だ』とかなんとか……」
「血と繁殖……」
「竜の血は万能薬や不老長寿の妙薬の材料と言われていますからねぇ。眉唾ですが」
「そうね。だけど繁殖って……竜と人を交わらせようとしたのかしら。なんて悪趣味な……」
「全く人間って奴は業が深いですねぇ」
ハルが呆れたように肩を竦めた。ハルの言葉には全く同感だ。人間の中には、己の目的を果たすためなら手段を選ばない輩が確かにいる。
竜の血については黒の書にも記載がある。万能薬エリクシールの素材であるというのは本当のことだ。不老長寿の妙薬については記載がないので、存在自体が怪しい。
そして竜の繁殖とは……。他にも竜が捕らえられていて竜と竜でということなのか、竜と人でということなのか。アンの話だけではどうにも判断ができない。どちらにしても、ろくな目的じゃないことは確かだ。
「それで、どうやって逃げ出したの?」
「見張りが檻に食事を入れる瞬間を狙って、顎に一発食らわせたのじゃ。こんな体じゃが人間の大人の男くらいの力は残っておるからの。奴も幼女だと思うて油断しておったのじゃろう。不意打ちで簡単に気を失いおったわ」
「なかなかやりますねぇ」
「運がよかったわね」
私とハルが感心すると、アンは得意げに大きく頷く。
「うむ。この腕輪がある限り、儂は竜には戻れん。そこで『真理の書』を持つ者ならば、この強力な呪いを解除できるのではないかと考えたのじゃ」
「『真理の書』……黒の書ね」
「そういうことじゃ。儂は特別な魔力を持つ黒持ち……つまりお主を探した。するとそれほど遠くない場所にお主の魔力を感じ取った。この森じゃ」
力を抑制されていても他者の魔力を感じ取れるのか。流石は竜だ。
「よくこんな所まで来られましたねぇ。力を抑えられてるアンさまじゃ、黄泉の森の奥まで来るのは無理でしょぉ?」
「うむ、じゃから儂はこの森に入る前に薬屋で姿を消す薬……エタンドールを盗……ちょっと拝借して使ったのじゃ。ところがクロエの魔力まであと僅かという所で薬が切れてしもうてな。そこをフォレストウルフの奴らに見つかったというわけじゃ」
「悪銭身に付かずってやつですねぇ」
「ハル、それはちょっと違うと思うわ……」
ハルは人間に興味があるのだろう。妙に人間の言葉に詳しいかと思えば、ときどき思い切り間違っている。私は気を取り直してアンに尋ねる。
「そこに私たちが助けに来たというわけね」
「そうじゃ。……ふぅ、すまん、クロエ。話しすぎて少し疲れてしもうたみたいじゃ。今しばらく休ませてもろうてもよいか?」
そう言われてみればアンの顔色が少し悪くなっている。病み上がりに長話をさせてしまって可哀想なことをした。
とは言っても、話が長くなったのは半分以上が本人のせいだけれど。
「あら。無理をさせてしまったわね。ごめんなさい。ゆっくり休んで」
「それじゃぁ、アタシは夕食の準備にかかりますねぇ。フォン・ド・
「楽しみにしておるぞ、ハル」
ハルが寝室を出ていくときに、アンはそう言ってゆっくりと瞼を閉じた。
私は眠りに落ちたアンを見て考えた。もしかして竜王であるアンならば、『
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