第一章 黄泉の森

五、メイド召喚

 ペガサスとともに上空から地上を眺める。眼下に広がる広大な森は、ブリュノワ王国と隣国のダルトワ帝国の境界に位置する。

 危険な魔物が徘徊しているため、兵を向かわせるには厳しい森だ。戦闘力の高い少数精鋭でなら進めるだろうけれど、それでも死亡率はかなり高いと言われている。

 そのため人々からは恐れられ、『黄泉の森』と呼ばれている。どちらの国にも属さない不可侵の森として、人々が立ち入ることはない。


「見えてきたわ。あの光の場所へ向かって」


 その真っ暗な森の中に、ほんのり灯る魔法の光を見つけた。その光を目指してペガサスとともに降下していく。

 予め見つけておいた森の小屋に、目印のために魔法の灯りを灯しておいたのだ。私にしか視認できないので他の者に見つかる心配はない。

 私は小屋の周囲の草地にペガサスとともに降り立った。小屋の窓から漏れる光に照らされた草地は、長年放置されて荒れ放題だ。

 小屋とはいっても数人で暮らせるほどには大きい、ダークオークの木で造られた古い平屋だ。今日からここで暮らすことになる。


「草がぼうぼうだわ。畑を作るなら草刈りからやらないといけないわね。……乗せてきてくれてありがとう、ペガサス」


 ペガサスは返事をするように高くいなないて、夜の闇の中へと消えていった。召喚した幻獣とはいえ、いなくなると一気に寂しくなる。孤独など今さらだけれど。

 私は家の扉を開けて中へ入った。そして居間の奥にある扉を開けて寝室へと足を運んだ。寝室に置いてあるドレッサーの椅子にポスンと座ってふぅと溜息を吐く。


「流石に疲れたわ……。っと、グリモワールを解除しなくちゃ」


 私を包む漆黒のドレスがシュルシュルと消えて、元々着ていた青のワンピースが現れた。黒の書が私の中へと戻ったのだ。

 私は後ろで編んだ三つ編みをほどいて頭を左右に振った。真っ直ぐの銀髪がサラサラとほどけていく。

 私は掛けていた眼鏡を外してドレッサーの台の上に置いた。そして頬に載せていた化粧を綿布で落としていく。


 目の前の大きな鏡を見ると、そこにはそばかす一つない雪のような肌をした少女が映っている。長い銀色の睫毛が、大きく鮮やかな緋色の瞳に影を落としている。ぱっちりと大きく、少しだけ吊り上がった目が意志の強さを表している。


「もう地味に装う必要はないのね。この眼鏡にもお世話になったわ」


 眼鏡を掛けると、色付きガラスの補正で緋色の瞳が茶色く、実際の大きさよりも小さく見える仕組みになっている。私が作った特製伊達眼鏡だ。度は入っていない。

 自分で言うのもなんだが、素の私は派手ではないもののかなり整った顔立ちをしていると思う。一般的にはかなりの美少女かもしれない。誰かに興味を持たれる前に対策をしていてよかったと、過去の自分を褒めたくなるくらいには。


「黒の書を纏っているときは『呪われた魔女』に見えなくもないわね。あの表現、嫌いじゃないわ」


 私はお湯を張ったバスタブにラベンダーを散らし、ゆっくりと浸かる。そして長めの入浴を済ませてベッドに横になった。レオナール殿下のこと、ミレーヌのこと、お父さまのこと……。


(悔しさ、怒り……そんなのじゃない。ただ……少し悲しかっただけ)


 瞼を閉じていろいろと思い浮かべていたらいつの間にか深い眠りについてしまった。


  §


 私は朝ベッドから出たあと藍色のワンピースに着替えて白のエプロンを身に着けた。以前この家に荷物を運びこんだときに、ある程度は掃除していた。

 けれど留守の間にまた埃が溜まっている。それほど大きな家ではないけれど、私はちょっとだけ楽をしようと考えた。


「ハルピュイア……私のもとへ来て」


 私は掌に取り出した黒の書を行使して幻獣ハルピュイアを呼び出した。黒の書から現れた青い光が目の前に集まる。そして光の中から、美しい女性の姿をした、翼を持つ鳥の幻獣が現れた。


 全身が薄紅色の艶やかな羽毛に覆われている。上半身が妖艶な女性の曲線を描く一方で、獰猛な鋭い鍵爪が備わる足は鳥そのものだ。

 幻獣といっても実体のない存在というわけではない。グリモワールの契約のもと、魔力を使って異次元に存在する幻界に住む彼らをこの世界へと呼び出しているのだ。

 実体化したハルピュイアが艶然と微笑みながら私に話しかけてくる。


「アタシに何かご用ですかぁ? メートレスご主人さま

「ええ、お願いしたいことがあるの。……そうねぇ、そのままじゃ床に傷がついちゃうから人化できる?」

「お安いご用ですわぁ」


 ハルピュイアは人間の女性へとみるみる姿を変えた。顎よりも短く外側に跳ねた薄紅色の髪が印象的な、妖艶で美しい顔立ちをした妙齢の女性だ。

 そして予想通りではあったけれど、人に変化したハルピュイアは生まれたままの姿だ。


 このまま裸でうろうろさせるわけにはいかない。私はクローゼットから黒のお仕着せとエプロン、それと編み上げブーツを取り出して、それを身に着けるよう指示した。

 するとハルピュイアは面倒臭そうにお仕着せとブーツを身に着ける。


「ああン、もう! 人間って本当に面倒臭いですねぇ」

「フフッ。よく似合ってるわよ。貴女にはしばらくお世話になりたいから、名前を付けましょうか。そうねぇ……ハルと呼びましょう」

「メートレス、捻りがないですねぇ……」


 ハルは人差し指を頬に当ててきょとんと首を傾げた。とはいえ、名前を貰ったことについてはまんざらでもない様子だ。


「そう? いい名前だと思うけど。それと私のことはクロエって呼んで。それじゃあハル、一緒にこの家を掃除しましょう」

「かしこまりぃ。ねえ、クロエさまぁ、ここ、風でピュウゥ~ってやっちゃ駄目ですかぁ? 埃なんていっぺんに吹き飛ばせちゃいますけどぉ」

「そうね、それもいいわね。だけどそれをやっちゃうと、埃と一緒にお布団や家具が全部吹き飛んじゃうから、地道にお掃除しましょう」

「はぁい」


 私はハルと一緒に高い場所の掃除から始めた。召喚した幻獣とは、言葉を交わさなくても、ある程度は意志の疎通ができる。だから掃除に慣れないハルでもスムーズに作業を進めることができるのだ。

 二時間ほど掃除をしたところで概ね綺麗になった。私はふぅと一息ついて調理場でお茶の準備を始める。


「ハル、一緒に紅茶を飲みましょう」

「アハハッ。幻獣と一緒にお茶しようなんて言う人間はクロエさまくらいですねぇ」


 ポットの中に入れた紅茶の葉っぱを蒸らしながら、食べるものはどうしようかなぁなどと考える。取りあえずの食材は持ち込んでいるから当分は大丈夫だけれど、ずっとこのままというわけにはいかない。

 持ち込んだクッキーをハルと一緒に摘みながらお茶を嗜む。ゆったりとした時間を満喫していると、突然何かを思い出したようにハルが尋ねてくる。


「クロエさまはお貴族さまなのに、どぉしてこんな粗末な小屋に住もうとしてるんですかぁ?」


 どうやら幻獣のハルでも私の行動に疑問を感じるらしい。どうして森で暮らし始めたのかなんて、理由は一つしかない。

 幻獣は契約により、決して私の意に反する言動をとることはない。だから秘密を打ち明けたところで他言することもない。


「誰にも邪魔されずに作りたいものがあるのよ」

「作りたいもの?」

「ええ」

「それってなんですかぁ?」

「……『追刻おいとき糸車いとぐるま』」

「えっ?」


 ハルにそう答えたときだった。突然森のほうから子どもの悲鳴が聞こえた気がした。咄嗟にハルと目を合わせる。どうやらハルも気付いたようだ。

 魔物かもしれない。けれど人間かもしれない。この危険な森に幼い子どもがいるはずがない。人を惑わす魔物の罠かもしれないけれど、僅かでも人間の可能性があるなら確かめないわけにはいかない。


「行くわよ、ハル」

「りょぉ~かい」


 ハルは苦笑しながら肩を竦めて答えた。私は幻獣の姿に戻ったハルを従えて家から飛び出した。そして子どもの声が聞こえてきた森の中へと足を踏み入れた。

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