六、傷だらけの少女

 侵入した森は樹木が鬱蒼と生い茂っているため、午前中にもかかわらず太陽の光があまり届かなくてかなり薄暗い。

 人化を解いたハルは空中を飛んで木々の間を縫うように前を進む。私は自身に身体強化の魔法を施してハルのあとに続く。

 ハルが森の奥へ移動しながら一方向を指差して告げる。


「声の主はこっちみたいですねぇ」

「正確に分かるの?」

「ええ。索敵はお任せですよぉ。音波でも感知できるんで」

「たいしたものね。凄いわ、ハル」

「えへへぇ~」


 ハルは褒められたのが嬉しかったのか、目的地へ案内しながら嬉しそうにニヤニヤと笑った。

 それにしてもハルピュイアにそんな特技があるとは知らなかった。幻獣の能力については黒の書に全て記載してあるけれど、それぞれの能力がどんなふうに応用されているかということまでには考えが至らなかった。これから一つ一つ覚えていかなくては。


 森を迷いなく進むハルの後ろについていく。しばらくすると遠くから狼の低い唸り声が聞こえてくる。

 さらに進んだあとに目に飛び込んできたのは、獲物に飛びかかるタイミングを窺いながら間合いを測って歩き回る五匹のフォレストウルフだ。


「うっひゃあ、いるいる!」


 ハルが楽しそうに笑みを浮かべた。まるで面白いものを目にしてはしゃいでいるかのようなハルを見て、私は思わず溜息を吐いた。

 フォレストウルフは鈍色の体毛に覆われた狼に似た魔物だ。狼の体長の一.五倍はあるだろう巨大な体躯に似合わず、狡猾で敏捷な動きをする。

 さらに群れを成して狩りをする習性がある。集団で襲われた場合、普通の人間なら一溜まりもないだろう。


「グルルルル……」


 獰猛に目を光らせて唸っているフォレストウルフの五メートルほど先に、全身傷だらけの六~七才くらいの幼い少女がかろうじて立っている。

 出血が酷く、かなり衰弱しているように見える。今にも力尽きて膝からくずおれてしまいそうだ。

 このままでは膝をついた瞬間に魔物たちに飛びかかられる。もう一刻の猶予も許されない。


「グリモワール」


 私は全身に黒の書を纏ったあと、即座に魔物たちに向かって三日月形の風の刃を放った。魔物が私たちの到着を感知するよりも先に風の刃が着弾する。


「キャインッ」


 風の刃のいくつかが一匹の魔物の体を切り刻んだ。刃の一つが急所に着弾したのだろう。その魔物がトサリとその場に倒れた。

 残りの四匹の注意がこちらへ向いた。危険が迫っているのに目の前の食べ物を優先する魔物はいない。魔物たちは本能的に私の魔力の大きさを感じ取り、怯え、竦む。けれど即座に退却するほど頭が良くはなかったようだ。


「おバカさんだねェ。本能に逆らわなければ長生きできたのにさァ!」


 ハルが魔物たちを嘲笑った。そしてこちらを威嚇しつつもじりじりと後ろへ下がっていく魔物たちに音波攻撃を放った。

 どうやら魔物たちが固まっている狭い範囲を対象としているようで、少女に影響はないみたいだ。少女はきょとんとして戦いの様子を見ている。


「キャンキャンッ!」


 ハルの音波攻撃により魔物たちが耳から血を流している。どうやら魔物の体内に多大なダメージを与えたようだ。


「ハル、やるじゃない」

「こんな雑魚、朝飯前ですよぉ」


 そういえばフォレストウルフの毛皮は高値で取引されると聞いたことがある。毛皮は利用価値が高いのかもしれない。となると、あまり体を傷つけないほうがいいだろう。

 そしてこんな緊急事態に冷静に魔物の利用価値について考える私は、大概薄情なのかもしれない。


「その命、綺麗に終わらせてあげるわ」


 私は朦朧としながらよろめく魔物たちに引き続き風の刃を放った。今度は魔物たちの急所のみをピンポイントで狙う。首の動脈の辺りだ。


「キャンッ!」

「ギャインッ!」


 ハルの音波攻撃で魔物の動きが鈍くなっていたために、容易に急所を攻撃することができた。魔物たちは断末魔の叫びを上げ、次々に絶命してその場に倒れていく。


「クロエさま、すっごぉい! さっすが我が主!」


 ハルが誇らしそうに感嘆の声をあげる横で、私はすぐさま傷ついた少女のもとへと走った。今は少女の状態が心配だ。少女は安心したのか膝からくずおれ、そのまま草の上に倒れ込んだ。


「ちょっと! 貴女、大丈夫!?」

「あー、やばいですねぇ、これ。出血が酷いですもんねぇ」


 ハルは無表情のまま少女の体を見下ろして、まるでお天気の話でもするかのように感想を漏らした。哀れみの情は持ち合わせていないのだろう。こういった一面を見ると、幻獣が人ならざるものであることを改めて痛感する。

 少女は意識を失っている。体中傷だらけで出血が酷く、呼吸が弱々しい。少女の瑠璃色の髪は緩やかなウェーブを描き、腰よりも長い。身長は百二十センチくらいだろうか。顔立ちが非常に整っている。


(なんだか綺麗な子ね。幼いのに妖しい美しさがあるわ)


 白かったと思われるボロボロの衣服は逃げている間に土と血で汚れてしまったのだろう。恐ろしく整った顔立ちは幼くあどけない。長い瑠璃色の睫毛に縁どられた瞼が力なく伏せられている。


 私は足元に横たわる少女の側に屈み込んで治癒魔法を施した。傷は塞がったけれど少女は目を覚まさない。出血が酷かったから重度の貧血状態になっているのかもしれない。

 こんなに幼い子どもを私の目の前で死なせはしない。絶対に助けてみせる。


「私がこの子を連れていくわ」

「りょぉかい。じゃぁ、アタシはこの五匹……いや、四匹を運びまぁっす」


 ハルが引き算したのは私が最初に切り刻んだ一匹だろう。あれじゃ確かに利用価値はない。ハルは状態のいい四匹の足を器用にその辺に落ちていた蔓で括りつけて抱え上げた。凄い力だ。

 私は自分に身体強化をかけて少女をゆっくりと抱え上げた。そしてなるべく揺らさないように細心の注意を払いながら足早に家路を辿った。少女の体は冷え切っている。傷だらけでなんと痛々しいことだろう。


「可哀想に……。もう少し我慢してね」


 家に到着したあと、真っ直ぐに寝室へと向かった。ハルは屋外に獲物を置いたあとに、私に続いて家の中へ入った。

 私は少女をベッドに横たえたあと、ぼろぼろの衣服を脱がせて私のクリーム色のパジャマのシャツを着せた。

 外傷の治癒は済ませた。あとは失った血液を補うために、意識が戻ってから何かを食べさせればいい。そしてこの子の手首の……


「この腕輪……。かなり複雑な術式が組んであるわ」

「なんですかぁ、それ?」


 いつの間にやら人化してお仕着せを着用したハルが後ろに立っている。


「『呪術』よ。何かを縛るかなり強力な呪い。こんなの嵌められたら内側からは決して破壊できないわ。そして外側からでも無理に壊そうとすれば……」

「壊そうとすれば……?」

「この子は間違いなく死ぬわ」


 私は唇の下に指を添えて深く考え込む。ハルはそんな私を見て目をぱちくりさせた。

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